あいづナチュラルフェスタが開催されています。 - 2016.05.23 Mon
第23回 塩川初市舟引き祭り - 2015.01.19 Mon
毎年1月15日には喜多方市塩川町で初市、そして恒例の舟引き祭りが行われます。
明治以降の鉄道輸送が始まるまで、目の前を阿賀川が流れ、舟による物流の基地であった塩川繁栄の歴史をしのび、農商工業のますますの発展を祈るお祭りです。
今年が第23回ということからわかるようにそれほど古くないお祭りですが、宝舟に改装した和舟を引き合うというのは面白いですね。






この鏡割りの写真を撮ってる瞬間、いきなり舟が動きだし、びびりました(苦笑)。
引手の子供たちが鏡割りの「よいしょ!」の掛け声を引き合いのスタートの合図と勘違いしたためでした(笑)。

舟を戻して、リスタート。
東が勝てば商売繁盛、西が勝てば五穀豊穣。

果たして、子供たちは東の勝利。



続いての大人たちの引き合いでは西の勝利となりました。

舟引きのあとは福まき。
御守銭、御神米、商品券、大福などがまかれ、大騒ぎ。


例によって、写真撮影に専念していた私ですが、福まきの数は多く、気が付けば自分の肩と襟ののところに御守銭と御神米が。
ありがたいことです。
こんな時代だからこそ、根拠なんかなくたって、祭りのひとときで「いい年になる」という雰囲気にみんなが包まれるように。。。
明治以降の鉄道輸送が始まるまで、目の前を阿賀川が流れ、舟による物流の基地であった塩川繁栄の歴史をしのび、農商工業のますますの発展を祈るお祭りです。
今年が第23回ということからわかるようにそれほど古くないお祭りですが、宝舟に改装した和舟を引き合うというのは面白いですね。






この鏡割りの写真を撮ってる瞬間、いきなり舟が動きだし、びびりました(苦笑)。
引手の子供たちが鏡割りの「よいしょ!」の掛け声を引き合いのスタートの合図と勘違いしたためでした(笑)。

舟を戻して、リスタート。
東が勝てば商売繁盛、西が勝てば五穀豊穣。

果たして、子供たちは東の勝利。



続いての大人たちの引き合いでは西の勝利となりました。

舟引きのあとは福まき。
御守銭、御神米、商品券、大福などがまかれ、大騒ぎ。


例によって、写真撮影に専念していた私ですが、福まきの数は多く、気が付けば自分の肩と襟ののところに御守銭と御神米が。
ありがたいことです。
こんな時代だからこそ、根拠なんかなくたって、祭りのひとときで「いい年になる」という雰囲気にみんなが包まれるように。。。
坂下初市大俵引き - 2015.01.15 Thu
1月7日の柳津町七日堂裸参り、1月10日(毎年第二土曜)の会津美里町高田大俵引きと並んで「会津三大奇祭」に数えられる会津坂下町初市大俵引きは、毎年1月14日に行われています。
坂下(ばんげ)が越後街道の駅所として整備された寛永年間から400年続いている初市の日にあわせて大俵引きも行われてきました。
昔も今も米どころの坂下の農民が2組に分かれて米俵を引き合い、その年の米の価格を占ったのが始まりだそうです。
新編会津風土記にも、坂下の初市と俵引きについての記述があり、「その壮観これに過るものなし」と記されています。


喜多方ではあまりみかけなかった「福俵」が売られていました。



蒲生忠郷公の時代に坂下は宿駅として整備されたとのことですが、そのときからあった日月(にちげつ)神社に普段おられる市神様がこの日だけは町役場前に出てこられ、御開帳されます。



直径2.5m、長さ4m、重さなんと5tの大俵。


引き子、入場。






東(赤)が勝つと「米価が上がる」、西(白)が勝つと「豊作になる」とのことでしたが、三本勝負の結果、今年は東(赤)が2勝、米価があがる年と出ました。
ん??? 先日の美里町の大俵引きと逆の結果ですね。
よって今年は豊作かつ価格も高い、いいことづくしの年になります!(笑)

そして、3本勝負のあとは番外編、今度はこの日訪れた方みんな参加しての「4本目」。


まさに「笑門来福」、笑顔が一番です。






かつては若松を含め、会津じゅうでこの俵引きは行われていたそうですが、今では美里町とこの坂下町のふたつのみ。
ずっとずっと続いていってほしいものです。
坂下(ばんげ)が越後街道の駅所として整備された寛永年間から400年続いている初市の日にあわせて大俵引きも行われてきました。
昔も今も米どころの坂下の農民が2組に分かれて米俵を引き合い、その年の米の価格を占ったのが始まりだそうです。
新編会津風土記にも、坂下の初市と俵引きについての記述があり、「その壮観これに過るものなし」と記されています。


喜多方ではあまりみかけなかった「福俵」が売られていました。



蒲生忠郷公の時代に坂下は宿駅として整備されたとのことですが、そのときからあった日月(にちげつ)神社に普段おられる市神様がこの日だけは町役場前に出てこられ、御開帳されます。



直径2.5m、長さ4m、重さなんと5tの大俵。


引き子、入場。






東(赤)が勝つと「米価が上がる」、西(白)が勝つと「豊作になる」とのことでしたが、三本勝負の結果、今年は東(赤)が2勝、米価があがる年と出ました。
ん??? 先日の美里町の大俵引きと逆の結果ですね。
よって今年は豊作かつ価格も高い、いいことづくしの年になります!(笑)

そして、3本勝負のあとは番外編、今度はこの日訪れた方みんな参加しての「4本目」。


まさに「笑門来福」、笑顔が一番です。






かつては若松を含め、会津じゅうでこの俵引きは行われていたそうですが、今では美里町とこの坂下町のふたつのみ。
ずっとずっと続いていってほしいものです。
会津美里町 奇祭 大俵引き - 2015.01.13 Tue
会津美里町(旧会津高田町)には、400年の歴史を誇る伝統行事「大俵引き」があります。
紅白に分かれ、大俵を引き合い、その勝敗によって今年を占う行事です。
会津総鎮守、伊佐須美神社でお清めを済ませ、「わっしょい、わっしょい」の掛け声とともに両陣営入場。


白は農業関係の人たち、赤は商工関係の人たちで、白が勝てば豊作、赤が勝てば商売繁盛、ということになります。

引き合うのは、直径3メートル、長さ5メートル、重さ3トンの大俵。

3本勝負、先に2本取った側が勝ちとなるルール。










果たして、一勝一敗のあとの決戦で白組が勝ち、今年は「豊作の年」とでました。

続いて、大俵に設置されたこの「護守銭棒」の争奪戦。



今年の「福男」はこの方でした。


続いて、今年勝った白組の方々が大俵にのぼり、縁起物の「福小俵」と呼ばれる小さな俵を巻きます。


これが「福小俵」。
私は写真撮影に必死だったのでGETできませんでしたが、おとなりの方が見事GETされたので、お借りして撮らせてもらいました。

福小俵をGETできた人は、このあと福をもたらすという幣束(新米)を受け取っていました。

帰りに伊佐須美神社へ参拝。


蛇の御年始の法用寺同様、伊佐須美神社にも冬は来たことがなかったのですが、しんしんと降りしきる中の参拝もいいですね。
会津五桜のひとつ、「薄墨桜」も今はこんな感じになっていました。
本当に今年は豊作の年になるといいなと思います。
紅白に分かれ、大俵を引き合い、その勝敗によって今年を占う行事です。
会津総鎮守、伊佐須美神社でお清めを済ませ、「わっしょい、わっしょい」の掛け声とともに両陣営入場。


白は農業関係の人たち、赤は商工関係の人たちで、白が勝てば豊作、赤が勝てば商売繁盛、ということになります。

引き合うのは、直径3メートル、長さ5メートル、重さ3トンの大俵。

3本勝負、先に2本取った側が勝ちとなるルール。










果たして、一勝一敗のあとの決戦で白組が勝ち、今年は「豊作の年」とでました。

続いて、大俵に設置されたこの「護守銭棒」の争奪戦。



今年の「福男」はこの方でした。


続いて、今年勝った白組の方々が大俵にのぼり、縁起物の「福小俵」と呼ばれる小さな俵を巻きます。


これが「福小俵」。
私は写真撮影に必死だったのでGETできませんでしたが、おとなりの方が見事GETされたので、お借りして撮らせてもらいました。

福小俵をGETできた人は、このあと福をもたらすという幣束(新米)を受け取っていました。

帰りに伊佐須美神社へ参拝。


蛇の御年始の法用寺同様、伊佐須美神社にも冬は来たことがなかったのですが、しんしんと降りしきる中の参拝もいいですね。
会津五桜のひとつ、「薄墨桜」も今はこんな感じになっていました。
本当に今年は豊作の年になるといいなと思います。
奇祭! 柳津七日堂裸まいり 2015 - 2015.01.08 Thu
昨日は朝に蛇の御年始に行き、よるは柳津の七日堂裸詣りに行ってきました。
七日堂裸詣りについては一昨年のブログ記事に由来も含めて詳細を書きましたので、
よかったらこちらをご参照ください。→2年前の模様 七日堂裸詣り2013





おととしの時の写真と比べると、今年の方が雪が多いですね。
おととしは快晴無風、今年は吹雪で参加者は大変そうでした。

開始時間まで今年もこづゆをいただきに。

こづゆと甘酒とおしるこのフルコースであったまりました(笑)。
寒い中のおもてなし、本当にありがとうございます。


実は今年のお目当ては。。。。
おととし撮影できなかった禊ぎをするシーン。
幸いほとんどの人はメインの堂内が狙いで、特等席で待機。




詳しくは重複するので、おととしのブログ記事をご参照ください。





今年も熱狂しました。
やっぱり何度きてもいいですね~。
七日堂裸詣りについては一昨年のブログ記事に由来も含めて詳細を書きましたので、
よかったらこちらをご参照ください。→2年前の模様 七日堂裸詣り2013





おととしの時の写真と比べると、今年の方が雪が多いですね。
おととしは快晴無風、今年は吹雪で参加者は大変そうでした。

開始時間まで今年もこづゆをいただきに。

こづゆと甘酒とおしるこのフルコースであったまりました(笑)。
寒い中のおもてなし、本当にありがとうございます。


実は今年のお目当ては。。。。
おととし撮影できなかった禊ぎをするシーン。
幸いほとんどの人はメインの堂内が狙いで、特等席で待機。




詳しくは重複するので、おととしのブログ記事をご参照ください。





今年も熱狂しました。
やっぱり何度きてもいいですね~。
蛇の御年始 - 2015.01.07 Wed
今日は会津の数ある年始の祭事の中でも特に珍しいお祭りをご紹介いたします。
今朝はちょっとだけ早起きして、会津美里町の法用寺へ。
法用寺は養老4年(702年)に徳道上人が建てたと伝わる、会津では恵隆寺(養老3年)に次いで二番目に古いお寺です。



私にとって法用寺は会津のお寺の中でも特に好きな寺で、もう何度も訪れているのですが、冬に来たのは初めて。
いや~、雪がある時期もやっぱり素敵ですね。


会津五桜のひとつ、虎ノ尾桜もすっかり雪に覆われこの通り。
そして今朝私がこの法用寺に来たのは、ここ雀林地区で毎年1月7日に行われる伝統行事「蛇の御年始」を観るためでした。

↑この写真は2年前の秋ごろのものですが、法用寺の仁王門には普段このような藁で作られた大きな蛇が祀られています。
この祭りは明治初期頃からはじまったとかで、当時ここ雀林地区は用水不足に苦しんでいて、法用寺境内にある意加美神社に祀られている五龍王神、つまり水の神様である龍を模し藁の大蛇を作り、仁王門に飾ってお参りするようになったんだそうです。
そして、毎年1月7日に前年の藁の大蛇を仁王門から降ろし、子供たちが担いで集落の家々を回ります。
その間に大人たちが新しい藁の大蛇をつくって奉納するのでした。


子供たちは元気に集落の一戸一戸をまわり、家に近づくと「ワー!」っと鬨の声をあげていました。


そして家に入り、無病息災を祈ります。
家の人たちは、蛇に頭をかんでもらいます。










一方、子供たちが集落の一戸一戸を廻っている間、大人たちは着々と新しい蛇をつくっていきます。


若いもんはちゃんと覚えておけよーという声が飛んでいましたが、見た感じ「若者」はいません(苦笑)。
みなさんの「かけあい」がとても面白かったです(笑)。




この蛇にはじつはしっかり雄と雌があり、1年ごとに交互に入れ替わるそうです。
奇数年は雄だそうで、今年は雄。
しかし、雌との違いが僕にはわかりませんでした(苦笑)。




本当は、子供たちがすべての家をまわって帰ってきたら、古い藁の蛇は、門前で燃やされ、その後新しい蛇が奉納されてお参りするそうですが、昼をまたぐとのことで私は時間切れ。

とても珍しい伝統行事。
「蛇の御年始」ずっとずっと続いていってほしいものです。
今朝はちょっとだけ早起きして、会津美里町の法用寺へ。
法用寺は養老4年(702年)に徳道上人が建てたと伝わる、会津では恵隆寺(養老3年)に次いで二番目に古いお寺です。



私にとって法用寺は会津のお寺の中でも特に好きな寺で、もう何度も訪れているのですが、冬に来たのは初めて。
いや~、雪がある時期もやっぱり素敵ですね。


会津五桜のひとつ、虎ノ尾桜もすっかり雪に覆われこの通り。
そして今朝私がこの法用寺に来たのは、ここ雀林地区で毎年1月7日に行われる伝統行事「蛇の御年始」を観るためでした。

↑この写真は2年前の秋ごろのものですが、法用寺の仁王門には普段このような藁で作られた大きな蛇が祀られています。
この祭りは明治初期頃からはじまったとかで、当時ここ雀林地区は用水不足に苦しんでいて、法用寺境内にある意加美神社に祀られている五龍王神、つまり水の神様である龍を模し藁の大蛇を作り、仁王門に飾ってお参りするようになったんだそうです。
そして、毎年1月7日に前年の藁の大蛇を仁王門から降ろし、子供たちが担いで集落の家々を回ります。
その間に大人たちが新しい藁の大蛇をつくって奉納するのでした。


子供たちは元気に集落の一戸一戸をまわり、家に近づくと「ワー!」っと鬨の声をあげていました。


そして家に入り、無病息災を祈ります。
家の人たちは、蛇に頭をかんでもらいます。










一方、子供たちが集落の一戸一戸を廻っている間、大人たちは着々と新しい蛇をつくっていきます。


若いもんはちゃんと覚えておけよーという声が飛んでいましたが、見た感じ「若者」はいません(苦笑)。
みなさんの「かけあい」がとても面白かったです(笑)。




この蛇にはじつはしっかり雄と雌があり、1年ごとに交互に入れ替わるそうです。
奇数年は雄だそうで、今年は雄。
しかし、雌との違いが僕にはわかりませんでした(苦笑)。




本当は、子供たちがすべての家をまわって帰ってきたら、古い藁の蛇は、門前で燃やされ、その後新しい蛇が奉納されてお参りするそうですが、昼をまたぐとのことで私は時間切れ。

とても珍しい伝統行事。
「蛇の御年始」ずっとずっと続いていってほしいものです。
ジュンサイ摘み体験 - 2014.08.08 Fri
8月3日に裏磐梯エコツーリズム協会さんの夏の特別モニター企画「ジュンサイ摘み体験」に参加してきました。

場所は桧原湖の東にあるジュンサイ池。
来年以降、ジュンサイ営農復活を目指して急遽企画されたイベントなんだそうです。

ジュンサイとはスイレンの仲間の水草で、初夏から出る若芽や巻いた葉の表面が透き通ったゼリー質に包まれ、それが食用になります。
万葉集の歌に詠まれているくらい日本人には昔からなじみのある植物なんですね。
まずはジュンサイ摘み専用舟、「方舟」ならぬ「箱舟」に乗ります。
底が平らになっている舟です。
普通のボートみたいな底がとんがってるやつだと、ジュンサイを傷めてしまうからだそうです。

乗り降りする瞬間が難しく、ちょっとしたコツがいります。まず膝は陸に。両足をしっかりついて安定したあと。。。。

じわじわと体重移動して座る感じです。

あせったり、テキトーに乗るとひっくり返るそうです(苦笑)。
舟からあがるのはこの逆をゆっくりやります。

水面より数10㎝下にあるヌルヌルで包まれた若芽を摘みます。

小っちゃい方がクセがなく高級?だそうですが、私は「ガサ」の多さとその「クセ」を味わいたくて大き目を狙いました。

ジュンサイ独特の食感をささえる一番の特徴ともいえるゼリー状のヌルヌルは、タンパク質の消化吸収を助けたり、ビタミン・ミネラルを体内にスムーズに運んでくれる働きがあるそうです。このヌルヌルは一般的に「ムチン」と呼ばれていますが、植物の場合は別の物質であり、構造上から「ムチン」ではないとされているのが現状です。

ひもをひっぱって進みながらひたすら新芽を探して摘みます。鈴なりになっているわけでなく、効率はそんなによくないのですが、それがまた宝探しのように楽しくて(笑)。

ジュンサイ農家がほとんどいなくなってしまった理由として、ジュンサイの値段の低下、作業の過酷さ、腰の負担が大きいことなどがあげられるようですが、私は腰にはまったく負担はありませんでした。おそらく私のヘヴィ級の体重で舟の吃水が下がり、水面が近かったせいかと思いますが(苦笑)。

磐梯山をバックに。


写真にはおさめられませんでしたが、この池にはメダカサイズの小さな魚がいっぱいいて、他にもよくわからない小さな甲虫や、オオタニシ、ヤゴ、イトトンボ、ときおりオニヤンマなど、かなりの種類の生物の生息場になっていました。

どこからか浸水してくるので、たまにかき出し作業が必須。なんだかボルネオやオリノコの川での舟移動のときを思い出しました(苦笑)。


夢中でとっててあっという間に2時間経過。これが成果です。


さっそく料理を。
まずは水で洗い、夾雑物を取り除きます。

そして熱湯でさっとゆがき、緑色が濃くなったら、


水で冷やします。
これでできあがり。


あとはお好みで三杯酢、わさび醤油等で、ヌルヌルシャキシャキ感を味わいます。日本酒にすごくあいます~。
市販のモズク酢やところてんに混ぜるのもいいそうです。
私はあと味噌汁にもいれました。
低カロリーで食物繊維リッチ、整腸作用・腸内浄化作用・過剰栄養の吸収抑制など、肥満や生活習慣病の予防に役立つヘルシー食品だそうで、どんどん食べたいですね(笑)。
このジュンサイ摘み体験は8月下旬まで行われるそうです。(前日までに要予約)
貴重な体験して、おいしいジュンサイを味わえる、いいイベントです。
詳しくは裏磐梯エコツーリズム協会 080-2827-1687 までお問い合わせいただくか、
http://www.eco-urabandai.com/preserve_nature/nature_urabandai/entry4874.html
をご覧ください。
G.T.イベントとして可能性を感じましたし、山都でもかつてジュンサイをつくってた痕跡のある池がいくつかあるので、可能だったら復活させてみたいですね。

場所は桧原湖の東にあるジュンサイ池。
来年以降、ジュンサイ営農復活を目指して急遽企画されたイベントなんだそうです。

ジュンサイとはスイレンの仲間の水草で、初夏から出る若芽や巻いた葉の表面が透き通ったゼリー質に包まれ、それが食用になります。
万葉集の歌に詠まれているくらい日本人には昔からなじみのある植物なんですね。
まずはジュンサイ摘み専用舟、「方舟」ならぬ「箱舟」に乗ります。
底が平らになっている舟です。
普通のボートみたいな底がとんがってるやつだと、ジュンサイを傷めてしまうからだそうです。

乗り降りする瞬間が難しく、ちょっとしたコツがいります。まず膝は陸に。両足をしっかりついて安定したあと。。。。

じわじわと体重移動して座る感じです。

あせったり、テキトーに乗るとひっくり返るそうです(苦笑)。
舟からあがるのはこの逆をゆっくりやります。

水面より数10㎝下にあるヌルヌルで包まれた若芽を摘みます。

小っちゃい方がクセがなく高級?だそうですが、私は「ガサ」の多さとその「クセ」を味わいたくて大き目を狙いました。

ジュンサイ独特の食感をささえる一番の特徴ともいえるゼリー状のヌルヌルは、タンパク質の消化吸収を助けたり、ビタミン・ミネラルを体内にスムーズに運んでくれる働きがあるそうです。このヌルヌルは一般的に「ムチン」と呼ばれていますが、植物の場合は別の物質であり、構造上から「ムチン」ではないとされているのが現状です。

ひもをひっぱって進みながらひたすら新芽を探して摘みます。鈴なりになっているわけでなく、効率はそんなによくないのですが、それがまた宝探しのように楽しくて(笑)。

ジュンサイ農家がほとんどいなくなってしまった理由として、ジュンサイの値段の低下、作業の過酷さ、腰の負担が大きいことなどがあげられるようですが、私は腰にはまったく負担はありませんでした。おそらく私のヘヴィ級の体重で舟の吃水が下がり、水面が近かったせいかと思いますが(苦笑)。

磐梯山をバックに。


写真にはおさめられませんでしたが、この池にはメダカサイズの小さな魚がいっぱいいて、他にもよくわからない小さな甲虫や、オオタニシ、ヤゴ、イトトンボ、ときおりオニヤンマなど、かなりの種類の生物の生息場になっていました。

どこからか浸水してくるので、たまにかき出し作業が必須。なんだかボルネオやオリノコの川での舟移動のときを思い出しました(苦笑)。


夢中でとっててあっという間に2時間経過。これが成果です。


さっそく料理を。
まずは水で洗い、夾雑物を取り除きます。

そして熱湯でさっとゆがき、緑色が濃くなったら、


水で冷やします。
これでできあがり。


あとはお好みで三杯酢、わさび醤油等で、ヌルヌルシャキシャキ感を味わいます。日本酒にすごくあいます~。
市販のモズク酢やところてんに混ぜるのもいいそうです。
私はあと味噌汁にもいれました。
低カロリーで食物繊維リッチ、整腸作用・腸内浄化作用・過剰栄養の吸収抑制など、肥満や生活習慣病の予防に役立つヘルシー食品だそうで、どんどん食べたいですね(笑)。
このジュンサイ摘み体験は8月下旬まで行われるそうです。(前日までに要予約)
貴重な体験して、おいしいジュンサイを味わえる、いいイベントです。
詳しくは裏磐梯エコツーリズム協会 080-2827-1687 までお問い合わせいただくか、
http://www.eco-urabandai.com/preserve_nature/nature_urabandai/entry4874.html
をご覧ください。
G.T.イベントとして可能性を感じましたし、山都でもかつてジュンサイをつくってた痕跡のある池がいくつかあるので、可能だったら復活させてみたいですね。
柏木城ウォーク - 2014.07.30 Wed
だいぶ前の記事で申し訳ないのですが。。。(苦笑)
6月14日に開催された北塩原村の「会津米沢街道歴史ウォーク」に参加してきました。
といっても、米沢街道は個人的に何度も歩いているので、前からとても興味のあったCコースの柏木城に関する講話や柏木城跡周辺を中心に史跡に関する話を聞きながら歩くプログラムへ参加しました。

スタートは北塩原村活性化センター。
ここはかつては芦名氏の家臣、清野六郎の屋敷があったところです。



柏木城へ行く前に、大塩集落の北のはずれにある山塩工場へ。
地名が示す通り、伝承ではここ大塩では今から1200年以上も前に、弘法大師がこの地を訪れて護摩を焚き続けたところ、濃い塩分を含む温泉が湧き出したとされています。
そして噴出する温泉から製塩して会津藩に納めたり、明治時代には皇室にも献上していたとこのと。
「新編会津風土記」には塩井(塩をとる温泉井戸)が2基、「会津邑日記」には塩を精製する塩釜が34基あったと記されています。
その後昭和に入り、物流がよくなって海の塩が安価で入るようになったり、煮詰めるための薪が不足するようになったりで、山塩作りは昭和24年から完全に途絶えてしまっていたそうですが、地域活性化のために地域名産品を作りたいとの地元の熱い想いから平成19年からこの工場ができて復活しました。

製塩作業は昔ながらの至ってシンプルな、しかしこれまた昔ながらのすべて手作業なのでメッチャ大変そうなやり方です。
この釜で2段階に分けて煮詰め、そのあと仕上げの釜へ移すとのこと。


これも昔ながらの薪を使用。ガスだと火を均等に回すことができず、味に影響してしまうとか。こだわりですねえ。
昔はこの薪を確保するためにそこらじゅうの森林を伐採してしまい、そのため米沢街道筋にはカヤしかない「萱峠」なんて地名が残っているくらいで、薪不足は深刻な問題となっていたそうですが、今の時代は森の整備、間伐材の有効利用として逆にメリット大かもしれないですね。

これが仕上げの釜。
私は勘違いしてたのですが、ここで結晶になるまで煮詰めることはご法度で、水分が残った状態で、これまた手作業で少しずつ掬い取っていき、最後は天日乾燥させるとのこと。
そしてさらに手作業で夾雑物を取り除いてようやく山塩として出荷できるようになるそうで、ほんと大変な作業ですね。
今度からは大切に使わないと(苦笑)。


そしていよいよ本題の、柏木城跡探索へ。
上の写真の墓の台地の上あたりが中島氏の舘跡で、狼煙台があったといわれています。
柏木城は天正12年(1584)頃に会津の雄・葦名氏が、米沢・伊達政宗の侵攻に対抗すべく築いたといわれる山城で、「檜原軍物語」には檜原峠から侵攻してきた伊達政宗が、対岸の萱峠あたりからこの柏木城を見たとき、その堅固さに驚き(政宗はこのとき石垣を持つ城というのを初めて見たとか)、攻めるのをあきらめ軍を引いた、とあります。


このイベントにあわせて草刈り等がなされたと思われ、快適なウォークに。苦労がわかるだけに、頭がさがります。

柏木城にはいわゆる「石垣」と呼べるような本格的なものはないようですが、「石塁」と呼ばれる石を土塁状に積んだものはそこここに見られました。

こんなにしっかり残っているなんて、ちょっと感動しました。
でも、これらもおそらく最初はブッシュの中に埋もれていたことでしょう。調査された石田先生、そして草刈り整備された方々に感謝です。






柏木城には多くの曲輪(くるわ)が確認されており、この写真の上部はその中の一番東側の曲輪があるあたりです。


城の中心部、一番大きい曲輪と丸馬出の間には空堀があって、かつては木橋が架けられていたとのこと。
いざというときは橋を落とし、敵の侵入を阻止するシステムですね。

このあたりが丸馬出。これは武田信玄が多用した技法で、武田氏が滅んだあと、葦名氏は武田氏の家臣を引き取っているので、それによって甲斐の技法がこの地にもたらされた可能性もあるとのことです。

丸馬出から空堀越しに曲輪1をみたところ。結構深いです。ここに木橋がかけられていたとのこと。

大手口側の虎口から中心部へ。クネクネ曲がってます。


倉があったと思われる?場所。苔むした石塁が並んでいます。



いよいよ城主が住んでいたといわれる場所へ向かいますが、いきなり行き止まりのようになっています。
埋門(うずみもん)といって、敵が侵入してきた場合、大きな石や土で塞ぐ構造になっていたそうです。

その門を乗っ越すと、中心部の曲輪の中でもさらに石塁で区画されている場所に出ました。
城主の居た主殿があった場所と思われ、塀が周囲に建てられ、ここには冠木門があったのではないかといわれています。


ここが城主のいた主殿跡。二階建ての建物があったとのこと。

中心部の曲輪の西側にも空堀がめぐらされ、ここにも木橋がかけられていたとか。

橋を置いたと思われる石。

こちらは城の南西部、裏口の搦手(からめて)口。
やはり埋門になっていて、石積石垣でつくられた内枡形の虎口がありました。

石積みは少し崩れていますが、いい感じで残っています。

この門のわきには今でも「鏡石」が残っていました。
権威の象徴、そして魔除けの意味で城の門に置く巨大な石です。

城の南は今は水田になっていますが、かつては水堀になっていたそうです。

城を下りると大久保集落で、採れたてアスパラのおもてなし。
味付けの塩はもちろん「山塩」です。



心配された天気も持ちこたえ、いいウォーキングでした。
正直こんなに遺構が残っていると思わなかったので、とても有意義な日となりました。
やはり文献だけで見てるのと、実際歩いてみるのは大違いですね。
維持管理するのはとても大変かと思いますが、これも地域の大切な宝、しっかり整備して山城散策を楽しめるようにしておいてほしいなと思います。
6月14日に開催された北塩原村の「会津米沢街道歴史ウォーク」に参加してきました。
といっても、米沢街道は個人的に何度も歩いているので、前からとても興味のあったCコースの柏木城に関する講話や柏木城跡周辺を中心に史跡に関する話を聞きながら歩くプログラムへ参加しました。

スタートは北塩原村活性化センター。
ここはかつては芦名氏の家臣、清野六郎の屋敷があったところです。



柏木城へ行く前に、大塩集落の北のはずれにある山塩工場へ。
地名が示す通り、伝承ではここ大塩では今から1200年以上も前に、弘法大師がこの地を訪れて護摩を焚き続けたところ、濃い塩分を含む温泉が湧き出したとされています。
そして噴出する温泉から製塩して会津藩に納めたり、明治時代には皇室にも献上していたとこのと。
「新編会津風土記」には塩井(塩をとる温泉井戸)が2基、「会津邑日記」には塩を精製する塩釜が34基あったと記されています。
その後昭和に入り、物流がよくなって海の塩が安価で入るようになったり、煮詰めるための薪が不足するようになったりで、山塩作りは昭和24年から完全に途絶えてしまっていたそうですが、地域活性化のために地域名産品を作りたいとの地元の熱い想いから平成19年からこの工場ができて復活しました。

製塩作業は昔ながらの至ってシンプルな、しかしこれまた昔ながらのすべて手作業なのでメッチャ大変そうなやり方です。
この釜で2段階に分けて煮詰め、そのあと仕上げの釜へ移すとのこと。


これも昔ながらの薪を使用。ガスだと火を均等に回すことができず、味に影響してしまうとか。こだわりですねえ。
昔はこの薪を確保するためにそこらじゅうの森林を伐採してしまい、そのため米沢街道筋にはカヤしかない「萱峠」なんて地名が残っているくらいで、薪不足は深刻な問題となっていたそうですが、今の時代は森の整備、間伐材の有効利用として逆にメリット大かもしれないですね。

これが仕上げの釜。
私は勘違いしてたのですが、ここで結晶になるまで煮詰めることはご法度で、水分が残った状態で、これまた手作業で少しずつ掬い取っていき、最後は天日乾燥させるとのこと。
そしてさらに手作業で夾雑物を取り除いてようやく山塩として出荷できるようになるそうで、ほんと大変な作業ですね。
今度からは大切に使わないと(苦笑)。


そしていよいよ本題の、柏木城跡探索へ。
上の写真の墓の台地の上あたりが中島氏の舘跡で、狼煙台があったといわれています。
柏木城は天正12年(1584)頃に会津の雄・葦名氏が、米沢・伊達政宗の侵攻に対抗すべく築いたといわれる山城で、「檜原軍物語」には檜原峠から侵攻してきた伊達政宗が、対岸の萱峠あたりからこの柏木城を見たとき、その堅固さに驚き(政宗はこのとき石垣を持つ城というのを初めて見たとか)、攻めるのをあきらめ軍を引いた、とあります。


このイベントにあわせて草刈り等がなされたと思われ、快適なウォークに。苦労がわかるだけに、頭がさがります。

柏木城にはいわゆる「石垣」と呼べるような本格的なものはないようですが、「石塁」と呼ばれる石を土塁状に積んだものはそこここに見られました。

こんなにしっかり残っているなんて、ちょっと感動しました。
でも、これらもおそらく最初はブッシュの中に埋もれていたことでしょう。調査された石田先生、そして草刈り整備された方々に感謝です。






柏木城には多くの曲輪(くるわ)が確認されており、この写真の上部はその中の一番東側の曲輪があるあたりです。


城の中心部、一番大きい曲輪と丸馬出の間には空堀があって、かつては木橋が架けられていたとのこと。
いざというときは橋を落とし、敵の侵入を阻止するシステムですね。

このあたりが丸馬出。これは武田信玄が多用した技法で、武田氏が滅んだあと、葦名氏は武田氏の家臣を引き取っているので、それによって甲斐の技法がこの地にもたらされた可能性もあるとのことです。

丸馬出から空堀越しに曲輪1をみたところ。結構深いです。ここに木橋がかけられていたとのこと。

大手口側の虎口から中心部へ。クネクネ曲がってます。


倉があったと思われる?場所。苔むした石塁が並んでいます。



いよいよ城主が住んでいたといわれる場所へ向かいますが、いきなり行き止まりのようになっています。
埋門(うずみもん)といって、敵が侵入してきた場合、大きな石や土で塞ぐ構造になっていたそうです。

その門を乗っ越すと、中心部の曲輪の中でもさらに石塁で区画されている場所に出ました。
城主の居た主殿があった場所と思われ、塀が周囲に建てられ、ここには冠木門があったのではないかといわれています。


ここが城主のいた主殿跡。二階建ての建物があったとのこと。

中心部の曲輪の西側にも空堀がめぐらされ、ここにも木橋がかけられていたとか。

橋を置いたと思われる石。

こちらは城の南西部、裏口の搦手(からめて)口。
やはり埋門になっていて、石積石垣でつくられた内枡形の虎口がありました。

石積みは少し崩れていますが、いい感じで残っています。

この門のわきには今でも「鏡石」が残っていました。
権威の象徴、そして魔除けの意味で城の門に置く巨大な石です。

城の南は今は水田になっていますが、かつては水堀になっていたそうです。

城を下りると大久保集落で、採れたてアスパラのおもてなし。
味付けの塩はもちろん「山塩」です。



心配された天気も持ちこたえ、いいウォーキングでした。
正直こんなに遺構が残っていると思わなかったので、とても有意義な日となりました。
やはり文献だけで見てるのと、実際歩いてみるのは大違いですね。
維持管理するのはとても大変かと思いますが、これも地域の大切な宝、しっかり整備して山城散策を楽しめるようにしておいてほしいなと思います。
「庄助の春こい絵巻」 鶴ヶ城プロジェクションマッピング はるか2014 - 2014.03.16 Sun
行ってまいりました。
実は昨年のプロジェクションマッピングも、その日ちょうど仲間が来ていたので一緒に鶴ヶ城までは行ってみたのですが、メチャクチャ混んでいて入れず、断念したのでした。
昨年の混乱が教訓となったのか、今年は駐車場も空いていたし、城内誘導もスムーズで、なんのストレスもなく快適に観れました。
(日曜の最終だったせいか、観覧者数もかなり少なかったようでしたが。(苦笑))
スタッフのみなさん、ありがとうございました。
内容は昨年のバージョンと今年の新作の二本立て。
昨年バージョンはそんなわけで私にとってリベンジでした(笑)。
全編「八重の桜」の挿入曲やテーマ曲。
昨年、毎週涙・涙で観ていた私にとって、なんだか大河ドラマのワンシーン、ワンシーンが走馬灯のようによみがえってきて、思わず涙(苦笑)。
続いて新作「庄助の春こい絵巻」。
曲はなんと「あまちゃん」の大友良英氏。
そしてなんといってもあの日本の影絵界の第一人者、藤城清治氏の作品映像が。
さすが“光と影の詩人”。
堪能しました。
あっという間のひとときでしたが、ほんと最高でした。









鶴ヶ城プロジェクションマッピングは
今月の 19[水] 20[木] 21[金・祝] 22[土] 23[日]
にも1日4回 ①18:30~②19:15~③20:00~④20:45~
2013年版と2014年版の2本同時に上映されます。
事前予約が必要です。(残念ながらすでに締め切られたそうです)
詳しくは
http://www.fukushimasakura.jp/tsurugajo/
実は昨年のプロジェクションマッピングも、その日ちょうど仲間が来ていたので一緒に鶴ヶ城までは行ってみたのですが、メチャクチャ混んでいて入れず、断念したのでした。
昨年の混乱が教訓となったのか、今年は駐車場も空いていたし、城内誘導もスムーズで、なんのストレスもなく快適に観れました。
(日曜の最終だったせいか、観覧者数もかなり少なかったようでしたが。(苦笑))
スタッフのみなさん、ありがとうございました。
内容は昨年のバージョンと今年の新作の二本立て。
昨年バージョンはそんなわけで私にとってリベンジでした(笑)。
全編「八重の桜」の挿入曲やテーマ曲。
昨年、毎週涙・涙で観ていた私にとって、なんだか大河ドラマのワンシーン、ワンシーンが走馬灯のようによみがえってきて、思わず涙(苦笑)。
続いて新作「庄助の春こい絵巻」。
曲はなんと「あまちゃん」の大友良英氏。
そしてなんといってもあの日本の影絵界の第一人者、藤城清治氏の作品映像が。
さすが“光と影の詩人”。
堪能しました。
あっという間のひとときでしたが、ほんと最高でした。









鶴ヶ城プロジェクションマッピングは
今月の 19[水] 20[木] 21[金・祝] 22[土] 23[日]
にも1日4回 ①18:30~②19:15~③20:00~④20:45~
2013年版と2014年版の2本同時に上映されます。
事前予約が必要です。(残念ながらすでに締め切られたそうです)
詳しくは
http://www.fukushimasakura.jp/tsurugajo/
手作りかんじきウォークと喜多方そばフェスタ - 2014.02.16 Sun
喜多方市中央公民館主催イベントの「手作りのカンジキをはいてイエローフォールを見に行こう!」第2回に行ってきました。
第1回かんじきつくりの模様は→こちらをクリック
今回第2回は第1回でつくった手作りかんじきを履いて、裏磐梯のイエローフォールへトレッキング。

喜多方プラザから裏磐梯スキー場までバスで。

吹雪強風のコンディションでしたが、とりあえず第1リフトに乗って上へ。



しかし第2リフトは止まっていたため、ここから歩いて登ります。

2週間前につくったかんじき装着。
果たして履き心地は??

軽いし、いい感じです。しかし。。。

すぐに脱げてしまい、再度チャレンジしてもその繰り返し(苦笑)。ひもがちょっと短すぎました。
でも構造的には使えそうなので、あとは足への固定方法の改良ができれば、日帰り程度の山行ならOKそうです。(僕は雪かきで使用しようかと(笑))。

しかし、第2リフト上部までなんとか登っていったものの。。。雪、風ともに強く。ここで引き返すことが決定されました。まあ、自然相手だからこういう日もあります。公民館事業ですから、無理は禁物です。

そのかわり、下りはリフトを使わず、樹林帯ウォークとなりました。

これがまた意外と楽し(笑)。

プラザに戻ると、この日初日を迎えたそばフェスタへ。
喜多方はラーメンだけではありません。
全国屈指のそば処なんです。
喜多方市内8団体のそばを一気に味わえる贅沢な日です。

まずは高郷・雷神そば。
噂にたがわぬおいしさ。

続いて上高・天満そば。
歯ごたえ充分、もちろん〇。

初日最後は、知名度全国レベル、会津山都そば。
ん?身内だから盛りがいい?(笑)
味の方はいうまでもありません~。

そして家での晩飯は。。。同じくそばフェスタに行ったおじいちゃんが買ってきたお土産そば、熱塩加納「ひめさゆりそば」。

Akibaさんからもらった「わさび大根」をすって、高遠そばにしました。

これまた絶品。

そして宮古・大下からいただいた刺身こんにゃく。幸せ(笑)。

二日目は前日食べていないそばを味わいに。

雄国そば。



岩月そば。

会津駒形そば。
どれも甲乙つけがたく、ほんと喜多方のソバのレベルの高さを再認識しました。
あとは好みの問題。
麺の細さ、コシ、のどごし、風味。
つゆの出汁のとりかた。
いっぺんに食べるとその微妙な違いもわかるかも。
来年もこの頃にやると思いますので、そば好きな方、ぜひ自分の好みにジャストフィットなソバを見つけに喜多方へお越しください。
そして。。。
次週2月22日23日はラーメンフェスタです!
こちらもぜひ!
第1回かんじきつくりの模様は→こちらをクリック
今回第2回は第1回でつくった手作りかんじきを履いて、裏磐梯のイエローフォールへトレッキング。

喜多方プラザから裏磐梯スキー場までバスで。

吹雪強風のコンディションでしたが、とりあえず第1リフトに乗って上へ。



しかし第2リフトは止まっていたため、ここから歩いて登ります。

2週間前につくったかんじき装着。
果たして履き心地は??

軽いし、いい感じです。しかし。。。

すぐに脱げてしまい、再度チャレンジしてもその繰り返し(苦笑)。ひもがちょっと短すぎました。
でも構造的には使えそうなので、あとは足への固定方法の改良ができれば、日帰り程度の山行ならOKそうです。(僕は雪かきで使用しようかと(笑))。

しかし、第2リフト上部までなんとか登っていったものの。。。雪、風ともに強く。ここで引き返すことが決定されました。まあ、自然相手だからこういう日もあります。公民館事業ですから、無理は禁物です。

そのかわり、下りはリフトを使わず、樹林帯ウォークとなりました。

これがまた意外と楽し(笑)。

プラザに戻ると、この日初日を迎えたそばフェスタへ。
喜多方はラーメンだけではありません。
全国屈指のそば処なんです。
喜多方市内8団体のそばを一気に味わえる贅沢な日です。

まずは高郷・雷神そば。
噂にたがわぬおいしさ。

続いて上高・天満そば。
歯ごたえ充分、もちろん〇。

初日最後は、知名度全国レベル、会津山都そば。
ん?身内だから盛りがいい?(笑)
味の方はいうまでもありません~。

そして家での晩飯は。。。同じくそばフェスタに行ったおじいちゃんが買ってきたお土産そば、熱塩加納「ひめさゆりそば」。

Akibaさんからもらった「わさび大根」をすって、高遠そばにしました。

これまた絶品。

そして宮古・大下からいただいた刺身こんにゃく。幸せ(笑)。

二日目は前日食べていないそばを味わいに。

雄国そば。



岩月そば。

会津駒形そば。
どれも甲乙つけがたく、ほんと喜多方のソバのレベルの高さを再認識しました。
あとは好みの問題。
麺の細さ、コシ、のどごし、風味。
つゆの出汁のとりかた。
いっぺんに食べるとその微妙な違いもわかるかも。
来年もこの頃にやると思いますので、そば好きな方、ぜひ自分の好みにジャストフィットなソバを見つけに喜多方へお越しください。
そして。。。
次週2月22日23日はラーメンフェスタです!
こちらもぜひ!