パワスポファン必見! 蛇石 - 2013.05.30 Thu
昨日の松野トンネルに続き、山都・高郷の穴場シリーズ化?今日は喜多方市高郷町にある奇岩を紹介します。
その名は「蛇石」。
滝下利田(たきしたかがた)集落にある名刹・円満寺の奥にあります。

喜多方市の重要文化財に指定されている銅鐘や、福島県の緑の文化財に指定されている「ならずの銀杏」の左脇の道をどんどん歩いていくと、田んぼの奥にぽつんと「蛇石」はあります。


なるほど、大蛇が折りたたまれて岩に封じ込まれているような模様。



不思議ですねえ。
見方によっては、自然の模様ではなく、古代人の彫ったアートのような気もします。
この岩にまつわる何か伝説や民話が残っていないか、今調べています。
巨岩、奇岩、パワスポ好きな方にはぜひオススメしたい場所です。
その名は「蛇石」。
滝下利田(たきしたかがた)集落にある名刹・円満寺の奥にあります。

喜多方市の重要文化財に指定されている銅鐘や、福島県の緑の文化財に指定されている「ならずの銀杏」の左脇の道をどんどん歩いていくと、田んぼの奥にぽつんと「蛇石」はあります。


なるほど、大蛇が折りたたまれて岩に封じ込まれているような模様。



不思議ですねえ。
見方によっては、自然の模様ではなく、古代人の彫ったアートのような気もします。
この岩にまつわる何か伝説や民話が残っていないか、今調べています。
巨岩、奇岩、パワスポ好きな方にはぜひオススメしたい場所です。
鉄道ファン必見! 幻の「松野トンネル」 - 2013.05.29 Wed
旧喜多方市と旧山都町の境界付近に、知る人ぞ知る約100年前のトンネルの遺構があります。
「松野トンネル」。
1910年に岩越(がんえつ)線(現在の磐越西線)が郡山から山都まで開通しました。
その7年後の1917年3月、この年は38年ぶりといわれた「大正豪雪」の年で、もともと地すべり地帯であったこのトンネル付近で、雪融けによる地すべりが起きてトンネルは崩壊してしまいました。
トンネル崩落事故に関しては→こちらをクリック
その後、半年ほど復旧作業を行ったものの、地すべりをとめることができず、結局別ルートに新しいトンネルを掘ることになり、このトンネルは放棄されたというわけです。


写真じゃわかりずらいかもしれませんが、レンガの作りは緻密で、見事な遺構です。

普通、こういうのって入り口はしっかり閉鎖され「立ち入り禁止」って貼ってあると思うのですが。。。みたところそのまま入れそうな感じ(笑)。

一瞬、私の探検魂がうずきましたが(苦笑)、このときはすでに夕方、コウモリが激しく飛び交っており、なおかつクマでも潜んでいそうな気がしたので(笑)、とりあえず中には入らず戻ってきました。


松野トンネルのさらに山都側にもうひとつトンネルの遺構がみてとれました。
このトンネル工事もきっと当時の人々の大変な苦労、血と汗の染み込んだ「足跡」なんだろうな、と。
「産業遺産」のひとつとして整備して欲しいな、なんてちょっと思いました。
「松野トンネル」。
1910年に岩越(がんえつ)線(現在の磐越西線)が郡山から山都まで開通しました。
その7年後の1917年3月、この年は38年ぶりといわれた「大正豪雪」の年で、もともと地すべり地帯であったこのトンネル付近で、雪融けによる地すべりが起きてトンネルは崩壊してしまいました。
トンネル崩落事故に関しては→こちらをクリック
その後、半年ほど復旧作業を行ったものの、地すべりをとめることができず、結局別ルートに新しいトンネルを掘ることになり、このトンネルは放棄されたというわけです。


写真じゃわかりずらいかもしれませんが、レンガの作りは緻密で、見事な遺構です。

普通、こういうのって入り口はしっかり閉鎖され「立ち入り禁止」って貼ってあると思うのですが。。。みたところそのまま入れそうな感じ(笑)。

一瞬、私の探検魂がうずきましたが(苦笑)、このときはすでに夕方、コウモリが激しく飛び交っており、なおかつクマでも潜んでいそうな気がしたので(笑)、とりあえず中には入らず戻ってきました。


松野トンネルのさらに山都側にもうひとつトンネルの遺構がみてとれました。
このトンネル工事もきっと当時の人々の大変な苦労、血と汗の染み込んだ「足跡」なんだろうな、と。
「産業遺産」のひとつとして整備して欲しいな、なんてちょっと思いました。
アスパラづくしイベント、まだ間に合います! - 2013.05.28 Tue
福島県は、長野、北海道、佐賀、長崎と並ぶアスパラガスの主力産地のひとつです。そして福島県の中の95%以上は会津地方から出荷されています。
平成24年度はその会津地方の中の約15%、140tのアスパラガスが山都から出荷されました。
寒暖の差が大きい山都地区で栽培されたアスパラガスは、やわらかく甘みがあると好評を得ています。
今回、山都のアスパラ農家さんの畑で実際に収穫を体験し、その後、料理講座にて新鮮なアスパラの味を活かした料理法を学びます。
日時:平成25年6月2日(日)
集合場所:喜多方市山都町字蔵ノ後954-1 喜多方市山都総合支所駐車場集合
募集人数:20名 (要予約、先着順)
参加料金:2,500円(収穫体験、料理教室、保険料含む)
日程: 8:45 集合
8:50 開会式後、川隅地区・高橋さんのアスパラ畑へ移動
9:00 高橋さんのアスパラ解説、畑で収穫体験(10:30まで)
10:45 開発センターにてクッキング教室(講師 山口良一先生)
12:45 実食 懇親会
14:00 解散
クッキング講師紹介 山口良一先生
山口先生は会津若松ワシントンホテルやレストランなどでの26年間の調理師としての経験を活かし、現在は自宅での料理教室をはじめ、リオンドールカルチャーセンターや各公民館の教室で、レストランの料理を家庭でも作れるように美味しくヘルシーにアレンジして教えてらっしゃいます。
また、スチームケース「ルクエ」を使ったレシピの研究・開発を手がけ、レシピブックの出版もされたり、テレビショッピングに出演されたりと各方面でご活躍中です。
Cooking Salon “Aizu”主宰、美味しいヘルシー家庭料理研究家、食育インストラクター

チラシPDFは→こちらをクリック
山都のアスパラは本当においしいです!
ぜひ1日まるごと「山都アスパラ」に浸かってその良さを知ってください~。
ご参加申し込みお待ちしてます。
平成24年度はその会津地方の中の約15%、140tのアスパラガスが山都から出荷されました。
寒暖の差が大きい山都地区で栽培されたアスパラガスは、やわらかく甘みがあると好評を得ています。
今回、山都のアスパラ農家さんの畑で実際に収穫を体験し、その後、料理講座にて新鮮なアスパラの味を活かした料理法を学びます。
日時:平成25年6月2日(日)
集合場所:喜多方市山都町字蔵ノ後954-1 喜多方市山都総合支所駐車場集合
募集人数:20名 (要予約、先着順)
参加料金:2,500円(収穫体験、料理教室、保険料含む)
日程: 8:45 集合
8:50 開会式後、川隅地区・高橋さんのアスパラ畑へ移動
9:00 高橋さんのアスパラ解説、畑で収穫体験(10:30まで)
10:45 開発センターにてクッキング教室(講師 山口良一先生)
12:45 実食 懇親会
14:00 解散
クッキング講師紹介 山口良一先生
山口先生は会津若松ワシントンホテルやレストランなどでの26年間の調理師としての経験を活かし、現在は自宅での料理教室をはじめ、リオンドールカルチャーセンターや各公民館の教室で、レストランの料理を家庭でも作れるように美味しくヘルシーにアレンジして教えてらっしゃいます。
また、スチームケース「ルクエ」を使ったレシピの研究・開発を手がけ、レシピブックの出版もされたり、テレビショッピングに出演されたりと各方面でご活躍中です。
Cooking Salon “Aizu”主宰、美味しいヘルシー家庭料理研究家、食育インストラクター

チラシPDFは→こちらをクリック
山都のアスパラは本当においしいです!
ぜひ1日まるごと「山都アスパラ」に浸かってその良さを知ってください~。
ご参加申し込みお待ちしてます。
稲作体験その3 草取りダービー&アスパラ収穫体験 参加者募集! - 2013.05.28 Tue
福島民報 2013.5.26 記事

田植えに引き続き、田んぼ管理の重要な作業のひとつ「草取り」を行います。
といっても、ただやるだけではつまらないので(笑)、
第1回山都G.T.杯争奪草取りダービーを行います。
ルールは簡単、とった雑草の総重量(泥は除きます)をはかり、一番多かった人が山都産コシヒカリ白米5kgGET!
参加者全員に山都産コシヒカリ白米1kg進呈です。
草取り作業後はアスパラ収穫体験も行い、1束お土産でお持ち帰りいただきます。
今回の草取りは稲作4回シリーズの第3回目ですが、今回だけの参加も可能です。
参加特典:4回フル参加 新米10kg+アルファ(10kg)
3回参加 新米10kg
2回参加 新米5kg
1回参加 新米2kg
みなさんのご参加、お待ちしています。
詳しくは以下のチラシをご覧ください。↓

チラシPDFファイルは→こちらをクリック

田植えに引き続き、田んぼ管理の重要な作業のひとつ「草取り」を行います。
といっても、ただやるだけではつまらないので(笑)、
第1回山都G.T.杯争奪草取りダービーを行います。
ルールは簡単、とった雑草の総重量(泥は除きます)をはかり、一番多かった人が山都産コシヒカリ白米5kgGET!
参加者全員に山都産コシヒカリ白米1kg進呈です。
草取り作業後はアスパラ収穫体験も行い、1束お土産でお持ち帰りいただきます。
今回の草取りは稲作4回シリーズの第3回目ですが、今回だけの参加も可能です。
参加特典:4回フル参加 新米10kg+アルファ(10kg)
3回参加 新米10kg
2回参加 新米5kg
1回参加 新米2kg
みなさんのご参加、お待ちしています。
詳しくは以下のチラシをご覧ください。↓

チラシPDFファイルは→こちらをクリック
福島県立博物館 2013年大河ドラマ特別展「八重の桜」 - 2013.05.27 Mon
昨日の大河ドラマ「敗戦の責任」はご覧になりましたか?
最近年取ったせいか涙もろくなりつつある私などはもう毎週泣きながらみておりますが(苦笑)、特に昨日はいつのまにか正座してみていたり(笑)。
そんななか、5月17日からはじまった県立博物館の「八重の桜」特別展(こちらをクリック)に行ってきました。
いや~、素晴らしいの一言です!
こういった企画展を心待ちにしていました。
「会津の教え」「幕末の京都」「会津籠城」「古都復興-覚馬と襄-」「ハンサムウーマンへ」の5つの章にわけて新島八重ゆかりの品々や同時代の資料約200点がわかりやすく紹介されています。
どの展示も、とてもとても興味深いものでした。
そのなかでも特に私の心を揺さぶったのは、孝明天皇ゆかりのもの。
「御宸翰(ごしんかん)」、「御製(ぎょせい)」、そして容保公に下賜した「短刀」ですね。
もちろんその存在や中身はいろんな書物で読んでいましたが、本物を目にするのは初めて。
「御宸翰」とは容保公が賜った孝明天皇直筆の手紙。
「堂上以下、暴論をつらね、不正の処置増長につき、痛心堪え難く、内命を下せしところ、
速やかに領掌し、憂患をはらってくれ、朕の存念貫徹の段、全くその方の忠誠、深く感悦の
余り、右一箱これを遣わすものなり」
つまり「堂上(公家)が、乱暴な意見を連ねて、不正の行いも増え、心の痛み耐えがたかったので、内々の命を下したところ、速やかにわかってくれ、憂いを払い私の思っていることを貫いてくれた。全くその方の忠誠に深く感悦し、右一箱を遣わすものである」と。
そして「御製」は容保公が賜った孝明天皇の和歌。
「和(やわ)らくも たけき心も相生の まつの落葉の あらす栄へん」
「武士(もののふ)と心あはしていはほをも 貫きてまし 世々の思ひて」
やわらくも(=平穏を望む心=天皇)も、たけき心(=勇猛な心=容保)も、相生の松のように共に栄えよう!
武士と心を合わせれば、どんな困難にも打ち勝ち、代々伝えられるだろう
そしてこの和歌には「たやすからざる世に武士の忠誠のこころをよろこびてよめる」との詞書もあります。
一大名が天皇からご宸翰と御製を下賜されるのは異例中の異例とのことで、さらに天皇が私事を込めた歌を武士に与えるのもほとんど前例がないとのことです。
この会津が「賊軍」であるはずがない!
あらためてその事実をかみしめました。
また、「御宸翰」と「御製」のとなりには容保公がこのふたつを入れて常に身に付けていた錦袋も展示されていました。
孝明天皇から賜ったときは「箱」に入っていたことが御宸翰には記されており、容保公ご自身がこの錦袋に移して持っていたことになります。
「これを片時も離さずにずっと。。。」そう思うだけで込み上げるものがあります。
明治時代になり、「逆賊」容保公がこの「御宸翰」と「御製」を持っているのはなにかにつけて「不都合」だと考えた「官軍」政府は、高額な条件を容保公に提示して取得しようと動いたけど、容保公は決して手放すことはなかった、というエピソードも紹介されていました。
他にも覚馬が幽閉されているときに書いた「管見」、降伏式の際に敷かれていた赤い布を、藩士たちがこのときの悔しさを忘れないぞ!と小さく切って持ち帰った「泣血氈(きゅうけつせん)」などなど、あげだすときりがないくらいの資料。。。
「本物」の迫力に圧倒されます。
そして、「エピローグ」、最後の1枚の展示写真にも心打たれます。
それは直接会場でご確認ください。
福島県立博物館での「八重の桜」特別展は7月3日まで開催されています。
みなさん、よかったらぜひ!
(私もあと2回は行くと思います(笑))
最近年取ったせいか涙もろくなりつつある私などはもう毎週泣きながらみておりますが(苦笑)、特に昨日はいつのまにか正座してみていたり(笑)。
そんななか、5月17日からはじまった県立博物館の「八重の桜」特別展(こちらをクリック)に行ってきました。
いや~、素晴らしいの一言です!
こういった企画展を心待ちにしていました。
「会津の教え」「幕末の京都」「会津籠城」「古都復興-覚馬と襄-」「ハンサムウーマンへ」の5つの章にわけて新島八重ゆかりの品々や同時代の資料約200点がわかりやすく紹介されています。
どの展示も、とてもとても興味深いものでした。
そのなかでも特に私の心を揺さぶったのは、孝明天皇ゆかりのもの。
「御宸翰(ごしんかん)」、「御製(ぎょせい)」、そして容保公に下賜した「短刀」ですね。
もちろんその存在や中身はいろんな書物で読んでいましたが、本物を目にするのは初めて。
「御宸翰」とは容保公が賜った孝明天皇直筆の手紙。
「堂上以下、暴論をつらね、不正の処置増長につき、痛心堪え難く、内命を下せしところ、
速やかに領掌し、憂患をはらってくれ、朕の存念貫徹の段、全くその方の忠誠、深く感悦の
余り、右一箱これを遣わすものなり」
つまり「堂上(公家)が、乱暴な意見を連ねて、不正の行いも増え、心の痛み耐えがたかったので、内々の命を下したところ、速やかにわかってくれ、憂いを払い私の思っていることを貫いてくれた。全くその方の忠誠に深く感悦し、右一箱を遣わすものである」と。
そして「御製」は容保公が賜った孝明天皇の和歌。
「和(やわ)らくも たけき心も相生の まつの落葉の あらす栄へん」
「武士(もののふ)と心あはしていはほをも 貫きてまし 世々の思ひて」
やわらくも(=平穏を望む心=天皇)も、たけき心(=勇猛な心=容保)も、相生の松のように共に栄えよう!
武士と心を合わせれば、どんな困難にも打ち勝ち、代々伝えられるだろう
そしてこの和歌には「たやすからざる世に武士の忠誠のこころをよろこびてよめる」との詞書もあります。
一大名が天皇からご宸翰と御製を下賜されるのは異例中の異例とのことで、さらに天皇が私事を込めた歌を武士に与えるのもほとんど前例がないとのことです。
この会津が「賊軍」であるはずがない!
あらためてその事実をかみしめました。
また、「御宸翰」と「御製」のとなりには容保公がこのふたつを入れて常に身に付けていた錦袋も展示されていました。
孝明天皇から賜ったときは「箱」に入っていたことが御宸翰には記されており、容保公ご自身がこの錦袋に移して持っていたことになります。
「これを片時も離さずにずっと。。。」そう思うだけで込み上げるものがあります。
明治時代になり、「逆賊」容保公がこの「御宸翰」と「御製」を持っているのはなにかにつけて「不都合」だと考えた「官軍」政府は、高額な条件を容保公に提示して取得しようと動いたけど、容保公は決して手放すことはなかった、というエピソードも紹介されていました。
他にも覚馬が幽閉されているときに書いた「管見」、降伏式の際に敷かれていた赤い布を、藩士たちがこのときの悔しさを忘れないぞ!と小さく切って持ち帰った「泣血氈(きゅうけつせん)」などなど、あげだすときりがないくらいの資料。。。
「本物」の迫力に圧倒されます。
そして、「エピローグ」、最後の1枚の展示写真にも心打たれます。
それは直接会場でご確認ください。
福島県立博物館での「八重の桜」特別展は7月3日まで開催されています。
みなさん、よかったらぜひ!
(私もあと2回は行くと思います(笑))
こんなアスパラ見たことありますか? - 2013.05.24 Fri

今はアスパラ最盛期。一日15cmも伸びちゃうくらいすごい成長です。

と、これはなんだ!

ごくまれに、こんな巨大アスパラが生えてくるそうです。
私はてっきり土が固いか障害物があるとそうなるのかな、と思いましたが、実際はそんなことはなく、いい状態の土からも出てくるので、原因は不明とのこと。


味はまったく同じですが、規格外なので売り物にはならず。。。
私がおいしくいただきました。


結構、形的に料理しやすいし、「ナイフアスパラ」とか名づけて売り出せないかなと思いましたが(笑)、いかにせん今は人為的に作ることできないし、数が少ないので無理だとのこと。
その希少価値からも人気に火がついたり、、、、しないですかね(苦笑)。
第59回 飯豊の集い - 2013.05.22 Wed
稲作体験その2~田植え~ 無事終了しました! - 2013.05.20 Mon
5月18、19日の2日間で、稲作体験その2~田植え~イベントを行いました。
先月行った「その1種蒔き」の模様は→こちらをクリック
初日の18日は田植え機による現代のやり方の体験。

4月21日に種蒔きをしたものが1ヶ月でこうなりました。
ただ、今年は4月から少し涼しかったせいか、昨年より苗の背が若干小さかったような。。
これを田んぼへ運びます。


遠くに雪をいただく飯豊山が見守ってくれてます。


田植え機へ苗を運び田植え開始。
昨年もですが、苗箱単位で全てシステマティックになっている現代の作業に、はじめて体験する参加者は感心しきり。実際に見てみないとこういうのはわからないですもんね。

機械がUターンする部分は最後に植えるので、わだちをならします。

そしてまずは隣りに乗って田植え機体験。

昼食タイム。

お昼は山都町小布瀬原にあるおいしい山都そば屋さん、「やまと路」で。
やまと路については→こちらをクリック

通常のさしみこんにゃくに、風味の強いそばの実の外側部分を挽いたそば粉をプラスしたオリジナル「そばこんにゃく」。
言うまでもなく絶品です(笑)。

おつゆがそのまま飲めちゃうくらいとってもおいしいので、ざるそばのみでも大満足間違いなしなのですが、さらに「おっとろろそば」もオススメです。

これが「おっとろろそば」。オクラとトロロのネバネバとおそばがとてもよく合います。

午後の部開始。
あらためて田植え機の構造を説明していただき、学びました。


そして参加者みなさんに実際に操縦していただきました。




最初は慎重になりすぎて逆に蛇行してしまったり、方向転換で苦戦する人もいましたが、2度3度と乗るたびに上手になっていきました。
17:00までみっちり作業して初日は終了しました。
2日目(19日)

2日目はいよいよ昔ながらの「手植え」体験です。講師に昨年の稲刈り同様、私の集落の長老・渡部翁を招いて、しっかり学びました。

御歳92歳。数年前に現役引退しましたが、それまで50年以上、機械の入れない棚田でお米を作り続けてきた大ベテランです。



おじいちゃんがはいているのが、「サルッパカマ」と呼ばれる昔の野良着兼普段着兼夜着、つまり万能着。
厚手のもめん製で丈夫です。

おじいちゃんが使っていた「じょうばん」を使って整然と植えるやりかた講習。
私は当初、はしご状の枠のコーナーに植えていくと思っていましたが、実際は小さい目印ごとに植えるのでした。

正統派の苗の持ち方はこうです!(笑)
人指し指と中指でそっとつかんで刺しこんでいくそうです。

ジョウバンを置いて、目印にあわせて苗を植えていきます。

みんな植えたら、ジョウバンを移動してその繰り返し。





列がシッチャカメッチャカになってしまった昨年がウソのように、今年はおじいちゃんの指導よろしきを得て、整然と田植えができました。


そして最後に「すみひきじょうばん」と呼ばれるもうひとつの形のじょうばんを使うやり方も体験しました。

これは一気に目印の線を引いていくタイプ。横もひいて交点に植えていくやり方もあるみたいですが、今回は縦線のみでやる方法を行いました。






お昼は山都の「総合食品 タシロ」(0241-38-2136)のお弁当。安くてボリュームタップリです。

食事しながら、各参加者の感想、そしておじいちゃんの「講演会」?を(笑)。おじいちゃんの経験に基づく貴重なお話の数々はほんと興味深く、何時間あっても聞き飽きることありません。
また、みなさん、はじめて知ったことも多く、植えてやぱり愛着がわくのか、稲刈りまでとおして参加したい気持ちが強くなったのか、はやくも草取り参加表明を(笑)。
おじいちゃんには秋の稲刈りでまたご指導いただく予定です。
次回稲作体験イベントのその3~草取り~は6月16日に行います。
「草取りダービー」と称し、参加者全員にコシヒカリ1kg、とった雑草の総重量が一番多い人にはなんと!コシヒカリ5kgを差し上げます。
ふるってご参加ください。
先月行った「その1種蒔き」の模様は→こちらをクリック
初日の18日は田植え機による現代のやり方の体験。

4月21日に種蒔きをしたものが1ヶ月でこうなりました。
ただ、今年は4月から少し涼しかったせいか、昨年より苗の背が若干小さかったような。。
これを田んぼへ運びます。


遠くに雪をいただく飯豊山が見守ってくれてます。


田植え機へ苗を運び田植え開始。
昨年もですが、苗箱単位で全てシステマティックになっている現代の作業に、はじめて体験する参加者は感心しきり。実際に見てみないとこういうのはわからないですもんね。

機械がUターンする部分は最後に植えるので、わだちをならします。

そしてまずは隣りに乗って田植え機体験。

昼食タイム。

お昼は山都町小布瀬原にあるおいしい山都そば屋さん、「やまと路」で。
やまと路については→こちらをクリック

通常のさしみこんにゃくに、風味の強いそばの実の外側部分を挽いたそば粉をプラスしたオリジナル「そばこんにゃく」。
言うまでもなく絶品です(笑)。

おつゆがそのまま飲めちゃうくらいとってもおいしいので、ざるそばのみでも大満足間違いなしなのですが、さらに「おっとろろそば」もオススメです。

これが「おっとろろそば」。オクラとトロロのネバネバとおそばがとてもよく合います。

午後の部開始。
あらためて田植え機の構造を説明していただき、学びました。


そして参加者みなさんに実際に操縦していただきました。




最初は慎重になりすぎて逆に蛇行してしまったり、方向転換で苦戦する人もいましたが、2度3度と乗るたびに上手になっていきました。
17:00までみっちり作業して初日は終了しました。
2日目(19日)

2日目はいよいよ昔ながらの「手植え」体験です。講師に昨年の稲刈り同様、私の集落の長老・渡部翁を招いて、しっかり学びました。

御歳92歳。数年前に現役引退しましたが、それまで50年以上、機械の入れない棚田でお米を作り続けてきた大ベテランです。



おじいちゃんがはいているのが、「サルッパカマ」と呼ばれる昔の野良着兼普段着兼夜着、つまり万能着。
厚手のもめん製で丈夫です。

おじいちゃんが使っていた「じょうばん」を使って整然と植えるやりかた講習。
私は当初、はしご状の枠のコーナーに植えていくと思っていましたが、実際は小さい目印ごとに植えるのでした。

正統派の苗の持ち方はこうです!(笑)
人指し指と中指でそっとつかんで刺しこんでいくそうです。

ジョウバンを置いて、目印にあわせて苗を植えていきます。

みんな植えたら、ジョウバンを移動してその繰り返し。





列がシッチャカメッチャカになってしまった昨年がウソのように、今年はおじいちゃんの指導よろしきを得て、整然と田植えができました。


そして最後に「すみひきじょうばん」と呼ばれるもうひとつの形のじょうばんを使うやり方も体験しました。

これは一気に目印の線を引いていくタイプ。横もひいて交点に植えていくやり方もあるみたいですが、今回は縦線のみでやる方法を行いました。






お昼は山都の「総合食品 タシロ」(0241-38-2136)のお弁当。安くてボリュームタップリです。

食事しながら、各参加者の感想、そしておじいちゃんの「講演会」?を(笑)。おじいちゃんの経験に基づく貴重なお話の数々はほんと興味深く、何時間あっても聞き飽きることありません。
また、みなさん、はじめて知ったことも多く、植えてやぱり愛着がわくのか、稲刈りまでとおして参加したい気持ちが強くなったのか、はやくも草取り参加表明を(笑)。
おじいちゃんには秋の稲刈りでまたご指導いただく予定です。
次回稲作体験イベントのその3~草取り~は6月16日に行います。
「草取りダービー」と称し、参加者全員にコシヒカリ1kg、とった雑草の総重量が一番多い人にはなんと!コシヒカリ5kgを差し上げます。
ふるってご参加ください。
田んぼの夕日に飯豊山 - 2013.05.17 Fri
田植えイベント関連いくつか。 - 2013.05.17 Fri
昨年の「手植え」は一列だけあらかじめ田植え機で植えておいて、その間隔を見ながら植える方法をとったのですが、結局列がムチャクチャになってしまいました(苦笑)。
今年は一味違います!
昨年秋の稲刈りだけ来ていただいた御歳92歳の長老・渡部翁を、今年は春の田植えから講師として招きご指導いただき、正統派「手植え」を体験する予定です。

その渡部翁の家から、昔の手植えで使っていた「じょうばん(定盤?)」をお借りしてきました。
これで目印をつけて、それにあわせてきれいに植えるわけです。
といっても恥ずかしながら、私は実際に使っているところを見たことないので(苦笑)、あさっては非常に楽しみです。



こちらは「スズヒキジョウバン」と呼ばれるもの。これも体験します。

また、講師をしていただく渡部翁に、何か昔の稲作がわかる古写真とかないですか?とお願いしていたところ、蔵の奥からいくつか探し出してきてくださいました。

これはそれほど昔のではないそうですが、私の集落はこのような狭い棚田が続いていて、大きな機械は入れられないので、おじいちゃんが稲作をやめる今から7年くらい前まで、ずっと昔ながらのやり方でやっていたそうです。
ちなみにこの写真は今でも普通に使われてる「コロバシ」を用いた雑草とりですね。

こんな非効率的な小さな田でよく。。。と感動すらおぼえます。
そして以下の↓2枚は民俗資料としての価値も高いのではないかと思うような、かつての雰囲気がわかる貴重な写真。

おじいちゃんの記憶によると、大体昭和10年前後のものとのこと。
今から80年ほど前の田植え作業の合間のひとときの雰囲気がよくわかります。
写真右の田んぼにあるのがまさに「ジョウバン」ですね。

これも同時期、昭和初期の写真だそうです。
早乙女(あ、稲刈りのときはこの呼び方はしないのかな?)の方々の表情、衣装も興味深いですが、昨年の秋の稲刈り体験でおじいちゃんが教えてくれた稲わらを立てる「わらまるき」に注目。
実はおじいちゃんはあさってのイベントの時に昔の農作業のかっこ(「さるっぱかま」って言ってましたが、私はわかりません(苦笑))を披露してくださるとのこと。
楽しみです(笑)。
今年は一味違います!
昨年秋の稲刈りだけ来ていただいた御歳92歳の長老・渡部翁を、今年は春の田植えから講師として招きご指導いただき、正統派「手植え」を体験する予定です。

その渡部翁の家から、昔の手植えで使っていた「じょうばん(定盤?)」をお借りしてきました。
これで目印をつけて、それにあわせてきれいに植えるわけです。
といっても恥ずかしながら、私は実際に使っているところを見たことないので(苦笑)、あさっては非常に楽しみです。



こちらは「スズヒキジョウバン」と呼ばれるもの。これも体験します。

また、講師をしていただく渡部翁に、何か昔の稲作がわかる古写真とかないですか?とお願いしていたところ、蔵の奥からいくつか探し出してきてくださいました。

これはそれほど昔のではないそうですが、私の集落はこのような狭い棚田が続いていて、大きな機械は入れられないので、おじいちゃんが稲作をやめる今から7年くらい前まで、ずっと昔ながらのやり方でやっていたそうです。
ちなみにこの写真は今でも普通に使われてる「コロバシ」を用いた雑草とりですね。

こんな非効率的な小さな田でよく。。。と感動すらおぼえます。
そして以下の↓2枚は民俗資料としての価値も高いのではないかと思うような、かつての雰囲気がわかる貴重な写真。

おじいちゃんの記憶によると、大体昭和10年前後のものとのこと。
今から80年ほど前の田植え作業の合間のひとときの雰囲気がよくわかります。
写真右の田んぼにあるのがまさに「ジョウバン」ですね。

これも同時期、昭和初期の写真だそうです。
早乙女(あ、稲刈りのときはこの呼び方はしないのかな?)の方々の表情、衣装も興味深いですが、昨年の秋の稲刈り体験でおじいちゃんが教えてくれた稲わらを立てる「わらまるき」に注目。
実はおじいちゃんはあさってのイベントの時に昔の農作業のかっこ(「さるっぱかま」って言ってましたが、私はわかりません(苦笑))を披露してくださるとのこと。
楽しみです(笑)。
タニシ料理 - 2013.05.16 Thu
タニシ料理の続きです。
実は正式には「マルタニシ」といって、昔はどこにでもいたそうですが、今は農薬の影響や冬季の圃場の掘り返しなどで急速に数を減らし、なかなかみられなくなりつつある「準絶滅危惧種」なんですよね。
そのマルタニシがほんの15分ほどでバケツいっぱいとれるほど、逆に言えば山都の田んぼは昔ながらの生環境が今なお残っている証明なんですね。
おいしいお米がとれるはずです。

本日泥抜き終了。しっかりゆでてこんな状態に。

かち割ってむき身にするとどうしても殻が混入してしまうので、地道にひとつひとつ身をとっていきます。



全部終えるのに1時間半かかりました(苦笑)。


泥臭くは全然ないので、タニシ本来の味をなるべく損なわないように、薄く味噌と醤油で味付けしてさらに煮込みました。
酒飲みにはたまらない逸品です(笑)。
19日のイベント昼食時にお出しする予定です。

ウチの周りにはウドが出だしました。
実は正式には「マルタニシ」といって、昔はどこにでもいたそうですが、今は農薬の影響や冬季の圃場の掘り返しなどで急速に数を減らし、なかなかみられなくなりつつある「準絶滅危惧種」なんですよね。
そのマルタニシがほんの15分ほどでバケツいっぱいとれるほど、逆に言えば山都の田んぼは昔ながらの生環境が今なお残っている証明なんですね。
おいしいお米がとれるはずです。

本日泥抜き終了。しっかりゆでてこんな状態に。

かち割ってむき身にするとどうしても殻が混入してしまうので、地道にひとつひとつ身をとっていきます。



全部終えるのに1時間半かかりました(苦笑)。


泥臭くは全然ないので、タニシ本来の味をなるべく損なわないように、薄く味噌と醤油で味付けしてさらに煮込みました。
酒飲みにはたまらない逸品です(笑)。
19日のイベント昼食時にお出しする予定です。

ウチの周りにはウドが出だしました。
6月2日 山都アスパラ収穫体験&クッキング教室 参加者募集! - 2013.05.16 Thu
福島県は、長野、北海道、佐賀、長崎と並ぶアスパラガスの主力産地のひとつです。そして福島県の中の95%以上は会津地方から出荷されています。
平成24年度はその会津地方の中の約15%、140tのアスパラガスが山都から出荷されました。
寒暖の差が大きい山都地区で栽培されたアスパラガスは、やわらかく甘みがあると好評を得ています。
今回、山都のアスパラ農家さんの畑で実際に収穫を体験し、その後、料理講座にて新鮮なアスパラの味を活かした料理法を学びます。
日時:平成25年6月2日(日)
集合場所:喜多方市山都町字蔵ノ後954-1 喜多方市山都総合支所駐車場集合
募集人数:20名 (要予約、先着順)
参加料金:2,500円(収穫体験、料理教室、保険料含む)
日程: 8:45 集合
8:50 開会式後、川隅地区・高橋さんのアスパラ畑へ移動
9:00 高橋さんのアスパラ解説、畑で収穫体験(10:30まで)
10:45 開発センターにてクッキング教室(講師 山口良一先生)
12:45 実食 懇親会
14:00 解散
クッキング講師紹介 山口良一先生
山口先生は会津若松ワシントンホテルやレストランなどでの26年間の調理師としての経験を活かし、現在は自宅での料理教室をはじめ、リオンドールカルチャーセンターや各公民館の教室で、レストランの料理を家庭でも作れるように美味しくヘルシーにアレンジして教えてらっしゃいます。
また、スチームケース「ルクエ」を使ったレシピの研究・開発を手がけ、レシピブックの出版もされたり、テレビショッピングに出演されたりと各方面でご活躍中です。
Cooking Salon “Aizu”主宰、美味しいヘルシー家庭料理研究家、食育インストラクター

チラシPDFは→こちらをクリック
山都のアスパラは本当においしいです!
ぜひ1日まるごと「山都アスパラ」に浸かってその良さを知ってください~。
ご参加申し込みお待ちしてます。
平成24年度はその会津地方の中の約15%、140tのアスパラガスが山都から出荷されました。
寒暖の差が大きい山都地区で栽培されたアスパラガスは、やわらかく甘みがあると好評を得ています。
今回、山都のアスパラ農家さんの畑で実際に収穫を体験し、その後、料理講座にて新鮮なアスパラの味を活かした料理法を学びます。
日時:平成25年6月2日(日)
集合場所:喜多方市山都町字蔵ノ後954-1 喜多方市山都総合支所駐車場集合
募集人数:20名 (要予約、先着順)
参加料金:2,500円(収穫体験、料理教室、保険料含む)
日程: 8:45 集合
8:50 開会式後、川隅地区・高橋さんのアスパラ畑へ移動
9:00 高橋さんのアスパラ解説、畑で収穫体験(10:30まで)
10:45 開発センターにてクッキング教室(講師 山口良一先生)
12:45 実食 懇親会
14:00 解散
クッキング講師紹介 山口良一先生
山口先生は会津若松ワシントンホテルやレストランなどでの26年間の調理師としての経験を活かし、現在は自宅での料理教室をはじめ、リオンドールカルチャーセンターや各公民館の教室で、レストランの料理を家庭でも作れるように美味しくヘルシーにアレンジして教えてらっしゃいます。
また、スチームケース「ルクエ」を使ったレシピの研究・開発を手がけ、レシピブックの出版もされたり、テレビショッピングに出演されたりと各方面でご活躍中です。
Cooking Salon “Aizu”主宰、美味しいヘルシー家庭料理研究家、食育インストラクター

チラシPDFは→こちらをクリック
山都のアスパラは本当においしいです!
ぜひ1日まるごと「山都アスパラ」に浸かってその良さを知ってください~。
ご参加申し込みお待ちしてます。
山都の峠ウォーク(雙座松峠編) 無事終了しました! - 2013.05.15 Wed
少し遅れましたが、このブログのメイン記事、G.T.イベント報告です。
5月12日 「山都の峠ウォーク(雙座松峠編)」を開催しました。今回は準備期間が短く、プレ大会のような位置づけだったのですが、予想外に申し込みが殺到し、会館や送迎のキャパを考え先着20名様限定とさせていただいたので、多くの方々の参加をお断りせざるをえず、ご迷惑をおかけしました。
いにしえの峠道への関心の高さをあらためて知りました。

山都は山間にあり、昔はどこに出るにもほぼ必ず峠を越えていました。
今回イベントで辿った雙座松峠の道は、奥川(西会津町)・相川・一の木(以上喜多方市山都町)など山三郷と呼ばれた地域の人々にとっては重要な交易路、生活道路でした。
「そうざまつとうげ」は空海が植えたと伝える二本の松の木があったことから「双座松峠」とも、飯豊山の一の鳥居や色々な神社があったので「総社松峠」ともいいます。
山三郷の人々は、漆器の原料を加工した木地や薬草を運び、小荒井で米や塩などの日用品を買って帰りました。雙座松峠には三軒の茶屋があり、競争で客を呼び合ったそうです。
江戸時代から明治時代には飯豊山信仰が盛んで、村ごとに行屋があり、男子15歳までに先達に導かれて入山し、これが済めば村では一人前として扱われたそうです。村の若者たちは、先達に率いられて白い衣を身にまとって笠をかぶって飯豊山に向かい、その間、家族の人たちは水ごりをとって神仏に無事を祈ったそうです。
喜多方地方から飯豊山に登るには新町(喜多方市慶徳町)から馬坂と呼ばれる坂道を上り、古四王山→双座松峠を越えて小布瀬川→藤沢(以上喜多方市山都町)と行き、登り口の一ノ戸(一ノ木)と向かうのが普通でした。新町の古老の話によると、夏になるとこの峠への道は飯豊山への参詣者で賑わい、まるで白い行列が通るようであったとのことです。
市街地の喜多方プラザに集合し、まずはそこから名刹・古四王神社へ向けて歩き始めました。

30分ほどで古四王神社の鳥居に到着。

ちなみに私の持っている古写真ハガキの同じ場所はこんな感じ。

ここから本堂までは15分ほど急な参道を登ります。




かつてはここでお清めをしてから本堂へお参りしたと思われる場所。お宮は雪で壊れ、湧水量も減っている感じです。


◎古四王神社(こしおうじんじゃ)
弘治3年(1557年)八月在銘の棟札があったことから、現在の社殿は、戦国期に建てられたものと思われます。
祭神は言い伝えによると、大ひこの命(大彦命=大畏古命)と武ぬなかわわけの命(武渟川別命=武沼河別命)だということです。
第十代崇神天皇は、四道に四人の将軍を派遣されました。その時、そのうちの二人、大ひこの命と武ぬなかわわけの命という父子二人の将軍が、この地に向かわれました。大ひこの命は高志道(こしのみち)(これは今の北陸道=北陸地方)を平げて越後の国から会津の国に向かわれました。又武ぬなかわわけの命は、東海道を平げて、これまた白川地方から会津の国に向かわれました。そして、この地でたまたま父子二人の将軍がめぐりあわれました。
このエピソードは会津の地名の由来、「相津」につながってます。
父子二人の将軍は再会を喜ばれて、ここから共に京にひき返されました。そこでこの父子の将軍が、征夷の祭神としてまつられるようになったということです。
社殿が北をむいているのは蝦夷の方をにらんでいる意味からだそうです。
御神体は四天王(東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天)ですが、秘仏で拝観することは出来ません。像はなんと聖徳太子の御作と伝えられています。
社殿はもと小原の東北にあったが、水害のため山上に移築したという伝承があります。


古四王神社本堂からさらに登り、最初の寄り道、琴平山展望台へ。

参加者の一人が、その昔、青春時代に好きな女の子の名前をこの柱に書いたと懐かしそうに語ってくれました(笑)。

展望台からは喜多方市街地やこの日は少し雲がかかってましたが、雄国、磐梯山が一望できます。


これもまた別の参加者の思い出で、かつて40年くらい前まではこの古四王山にはスキー場があったそうで、ゲレンデはこの写真のあたりだとか。
今はどこがゲレンデかわからないほどですね(笑)。

そして二つ目の寄り道、不動滝へ。


峠道の途中を南に400mほどそれたところに清めの滝・不動滝・行者ケ滝、弁天滝・大蛇ゲ滝・雨降り滝の6滝があり、各滝には不動明王の像があります。
今から100年以上前、大正時代にお不動さまが荒川吉馬さんなる人の夢枕に立ち、かの地の不動明王、村をあげて大事にせよ、とのお告げがあり、荒川さんが翌朝峠を越えて行ったところ、六つの滝に囲まれた石像があり、それ以来村の人は四代にわたって守り続けて来たのだそうです。
不動明王は「水」の神様であるといわれ、霊地の滝の水をくみ帰り、眼病などを癒すという方がいまでもおり、又、背に火炎を負うことからも「火」の神様でもあるのですが、その心は広く、願い事の多くをかなえてくれるとのことです。

その中のひとつ、「大蛇ヶ滝」。


滝つぼには不動明王の石像があります。

その滝の上にある独特の空気漂う「空間」。写真奥の場所、わかりますか?


ここは「奥の院」と呼ばれているところで、なんらかの祭事が行われていたのではないかと思われます。

そして峠道に戻り、先を進みます。
右手にはちょくちょく飯豊連峰が見えるビューポイントが。

そして、ここが「雙座松峠」。
わかりづらいかもしれませんが、広場になっており、かつてはここに3軒の茶屋があったとか。
雙座松峠についての話は結構残っており、「喜多方の民話と伝説」や「会津・山都の民話」のものをここに転載すると以下のとおり↓。
「双座松の茶屋
相川から喜多方へ出るのに、小布瀬川という、山都の奥を通る。
その相川寄りの峠に双座松というのがあった。
そこで爺さま戸婆さまが茶屋をやっていて、いい人が通ると、ばっさりやって金をとったという。
昭和十八年に戦死した弟が、若松連隊をたつというので見送りに行った時、夜そこを通るのが気持ち悪くしばらく足踏みをしていた。」
「惣社松(双座松)
飯豊山登山道の一ノ鳥居があったといわれる惣社松(双座松)の峠に一軒の茶屋があって、登山道を記した版画や、甘酒を売っているおじいさんとおばあさんがおった。
その人達の若い頃は、そこに大きな松の木があり、それがその峠の名前となったといわれている。
が、その松は明治の末頃に枯れてしまい、そのあとにヒノキがすくすくと育って茶店をおおい道者達をよろこばせてくれていた。鉄道が敷かれて参道が変ると、急に人通りが少なくなり、一ノ戸方面などから喜多方へ馬で荷をはこぶ人とか、小布瀬川の人達が日用品などを求めに色々な荷を背負って通る位となってしまったが、それでも双座松は、その人達にとって大切な休み場所だった。
昭和になって、ある大雪の年、誰も峠を越えられないまま何日か過ぎて、小布瀬川の人達が喜多方への道を開けようと、そろってガンジキで踏んで行くと、雪にとざされた峠の茶店で二人はヒッソリと冷たくなっていたということでした。
そのあと、茶店はなくなっても、双座松は荷駄を運ぶ人にとっては、茶店があった時と同じに必ず一服する場所となり、双座松の休み場としてあとあとまで親しまれた所。」


途中、何箇所か倒木にふさがれてる箇所がありましたが、どんどん突破(笑)。




ゴールの手前で、今回お昼をお世話になった川吉集落の区長さんが出迎えてくれました。区長さんはアスパラ農家で、畑からアスパラを収穫してその場で振舞ってくださいました。

ナマのアスパラをそのまま食べるのは初めてという方も多く、甘いアスパラ本来の味のおいしさにびっくりしていました(笑)。



これは都会ではもうなかなか見ることができない「ニホンタンポポ」です。


そして、川吉会館へゴール。お土産用の採れたてアスパラとニラが用意されていました。

川吉集落の方々がつくってくださった「こづゆ」。

アスパラ、コシアブラ、タラノメ、ワラビなど山菜料理がズラリ。

川吉の方々の心づくしに舌鼓をうちながら、参加者ひとりひとりに自己紹介を兼ねて感想を述べていただきました。
遠い昔、通い歩いた記憶を懐かしく思った人、道に迷った思い出がある人、全く初めての道で楽しんだ人、みなさんいろいろで非常に興味深かったです。

そして川吉集落のすぐ前の線路でSL鑑賞を。


私の街道、旧道好きからの思いつきから始まった今回のイベントですが、川吉集落の方々をはじめ、多くの方々のあたたかい協力をえて、素晴らしいものになりました。
企画者として、もうほんと感謝、感謝しかありません。
今後もがんばっていきたいと気持ちを新たにしました。
本イベントに関わった全ての方々、本当にありがとうございました!
5月12日 「山都の峠ウォーク(雙座松峠編)」を開催しました。今回は準備期間が短く、プレ大会のような位置づけだったのですが、予想外に申し込みが殺到し、会館や送迎のキャパを考え先着20名様限定とさせていただいたので、多くの方々の参加をお断りせざるをえず、ご迷惑をおかけしました。
いにしえの峠道への関心の高さをあらためて知りました。

山都は山間にあり、昔はどこに出るにもほぼ必ず峠を越えていました。
今回イベントで辿った雙座松峠の道は、奥川(西会津町)・相川・一の木(以上喜多方市山都町)など山三郷と呼ばれた地域の人々にとっては重要な交易路、生活道路でした。
「そうざまつとうげ」は空海が植えたと伝える二本の松の木があったことから「双座松峠」とも、飯豊山の一の鳥居や色々な神社があったので「総社松峠」ともいいます。
山三郷の人々は、漆器の原料を加工した木地や薬草を運び、小荒井で米や塩などの日用品を買って帰りました。雙座松峠には三軒の茶屋があり、競争で客を呼び合ったそうです。
江戸時代から明治時代には飯豊山信仰が盛んで、村ごとに行屋があり、男子15歳までに先達に導かれて入山し、これが済めば村では一人前として扱われたそうです。村の若者たちは、先達に率いられて白い衣を身にまとって笠をかぶって飯豊山に向かい、その間、家族の人たちは水ごりをとって神仏に無事を祈ったそうです。
喜多方地方から飯豊山に登るには新町(喜多方市慶徳町)から馬坂と呼ばれる坂道を上り、古四王山→双座松峠を越えて小布瀬川→藤沢(以上喜多方市山都町)と行き、登り口の一ノ戸(一ノ木)と向かうのが普通でした。新町の古老の話によると、夏になるとこの峠への道は飯豊山への参詣者で賑わい、まるで白い行列が通るようであったとのことです。
市街地の喜多方プラザに集合し、まずはそこから名刹・古四王神社へ向けて歩き始めました。

30分ほどで古四王神社の鳥居に到着。

ちなみに私の持っている古写真ハガキの同じ場所はこんな感じ。

ここから本堂までは15分ほど急な参道を登ります。




かつてはここでお清めをしてから本堂へお参りしたと思われる場所。お宮は雪で壊れ、湧水量も減っている感じです。


◎古四王神社(こしおうじんじゃ)
弘治3年(1557年)八月在銘の棟札があったことから、現在の社殿は、戦国期に建てられたものと思われます。
祭神は言い伝えによると、大ひこの命(大彦命=大畏古命)と武ぬなかわわけの命(武渟川別命=武沼河別命)だということです。
第十代崇神天皇は、四道に四人の将軍を派遣されました。その時、そのうちの二人、大ひこの命と武ぬなかわわけの命という父子二人の将軍が、この地に向かわれました。大ひこの命は高志道(こしのみち)(これは今の北陸道=北陸地方)を平げて越後の国から会津の国に向かわれました。又武ぬなかわわけの命は、東海道を平げて、これまた白川地方から会津の国に向かわれました。そして、この地でたまたま父子二人の将軍がめぐりあわれました。
このエピソードは会津の地名の由来、「相津」につながってます。
父子二人の将軍は再会を喜ばれて、ここから共に京にひき返されました。そこでこの父子の将軍が、征夷の祭神としてまつられるようになったということです。
社殿が北をむいているのは蝦夷の方をにらんでいる意味からだそうです。
御神体は四天王(東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天)ですが、秘仏で拝観することは出来ません。像はなんと聖徳太子の御作と伝えられています。
社殿はもと小原の東北にあったが、水害のため山上に移築したという伝承があります。


古四王神社本堂からさらに登り、最初の寄り道、琴平山展望台へ。

参加者の一人が、その昔、青春時代に好きな女の子の名前をこの柱に書いたと懐かしそうに語ってくれました(笑)。

展望台からは喜多方市街地やこの日は少し雲がかかってましたが、雄国、磐梯山が一望できます。


これもまた別の参加者の思い出で、かつて40年くらい前まではこの古四王山にはスキー場があったそうで、ゲレンデはこの写真のあたりだとか。
今はどこがゲレンデかわからないほどですね(笑)。

そして二つ目の寄り道、不動滝へ。


峠道の途中を南に400mほどそれたところに清めの滝・不動滝・行者ケ滝、弁天滝・大蛇ゲ滝・雨降り滝の6滝があり、各滝には不動明王の像があります。
今から100年以上前、大正時代にお不動さまが荒川吉馬さんなる人の夢枕に立ち、かの地の不動明王、村をあげて大事にせよ、とのお告げがあり、荒川さんが翌朝峠を越えて行ったところ、六つの滝に囲まれた石像があり、それ以来村の人は四代にわたって守り続けて来たのだそうです。
不動明王は「水」の神様であるといわれ、霊地の滝の水をくみ帰り、眼病などを癒すという方がいまでもおり、又、背に火炎を負うことからも「火」の神様でもあるのですが、その心は広く、願い事の多くをかなえてくれるとのことです。

その中のひとつ、「大蛇ヶ滝」。


滝つぼには不動明王の石像があります。

その滝の上にある独特の空気漂う「空間」。写真奥の場所、わかりますか?


ここは「奥の院」と呼ばれているところで、なんらかの祭事が行われていたのではないかと思われます。

そして峠道に戻り、先を進みます。
右手にはちょくちょく飯豊連峰が見えるビューポイントが。

そして、ここが「雙座松峠」。
わかりづらいかもしれませんが、広場になっており、かつてはここに3軒の茶屋があったとか。
雙座松峠についての話は結構残っており、「喜多方の民話と伝説」や「会津・山都の民話」のものをここに転載すると以下のとおり↓。
「双座松の茶屋
相川から喜多方へ出るのに、小布瀬川という、山都の奥を通る。
その相川寄りの峠に双座松というのがあった。
そこで爺さま戸婆さまが茶屋をやっていて、いい人が通ると、ばっさりやって金をとったという。
昭和十八年に戦死した弟が、若松連隊をたつというので見送りに行った時、夜そこを通るのが気持ち悪くしばらく足踏みをしていた。」
「惣社松(双座松)
飯豊山登山道の一ノ鳥居があったといわれる惣社松(双座松)の峠に一軒の茶屋があって、登山道を記した版画や、甘酒を売っているおじいさんとおばあさんがおった。
その人達の若い頃は、そこに大きな松の木があり、それがその峠の名前となったといわれている。
が、その松は明治の末頃に枯れてしまい、そのあとにヒノキがすくすくと育って茶店をおおい道者達をよろこばせてくれていた。鉄道が敷かれて参道が変ると、急に人通りが少なくなり、一ノ戸方面などから喜多方へ馬で荷をはこぶ人とか、小布瀬川の人達が日用品などを求めに色々な荷を背負って通る位となってしまったが、それでも双座松は、その人達にとって大切な休み場所だった。
昭和になって、ある大雪の年、誰も峠を越えられないまま何日か過ぎて、小布瀬川の人達が喜多方への道を開けようと、そろってガンジキで踏んで行くと、雪にとざされた峠の茶店で二人はヒッソリと冷たくなっていたということでした。
そのあと、茶店はなくなっても、双座松は荷駄を運ぶ人にとっては、茶店があった時と同じに必ず一服する場所となり、双座松の休み場としてあとあとまで親しまれた所。」


途中、何箇所か倒木にふさがれてる箇所がありましたが、どんどん突破(笑)。




ゴールの手前で、今回お昼をお世話になった川吉集落の区長さんが出迎えてくれました。区長さんはアスパラ農家で、畑からアスパラを収穫してその場で振舞ってくださいました。

ナマのアスパラをそのまま食べるのは初めてという方も多く、甘いアスパラ本来の味のおいしさにびっくりしていました(笑)。



これは都会ではもうなかなか見ることができない「ニホンタンポポ」です。


そして、川吉会館へゴール。お土産用の採れたてアスパラとニラが用意されていました。

川吉集落の方々がつくってくださった「こづゆ」。

アスパラ、コシアブラ、タラノメ、ワラビなど山菜料理がズラリ。

川吉の方々の心づくしに舌鼓をうちながら、参加者ひとりひとりに自己紹介を兼ねて感想を述べていただきました。
遠い昔、通い歩いた記憶を懐かしく思った人、道に迷った思い出がある人、全く初めての道で楽しんだ人、みなさんいろいろで非常に興味深かったです。

そして川吉集落のすぐ前の線路でSL鑑賞を。


私の街道、旧道好きからの思いつきから始まった今回のイベントですが、川吉集落の方々をはじめ、多くの方々のあたたかい協力をえて、素晴らしいものになりました。
企画者として、もうほんと感謝、感謝しかありません。
今後もがんばっていきたいと気持ちを新たにしました。
本イベントに関わった全ての方々、本当にありがとうございました!
今週末の田植えイベントへ向けて、タニシ採り。 - 2013.05.15 Wed
いよいよ5月18日19日の「稲作体験その2 田植え」が迫ってきました。こちらをクリック
昨年同様、今年の稲作体験でもお世話になる山都町堰沢地区の平野さんの田んぼには、代掻き後にいっぱいタニシが出てきます。
昨年もとったのですが、これがまたとってもおいしくて(笑)。

週末の参加者にも食べていただこうと、昨日の夕方、とりにいってきました。

潮干狩りもいいですが、子供とかにはこのタニシ採りも潮干狩りに負けないくらい面白いんじゃないかな、と思います。なにしろドロンコ遊びも兼ねられますし(笑)。

これもまさに自然の恵み。

ウチの岩清水で洗って、3日ほど流水で飼って泥を抜いた後に調理して、週末には参加者に提供できると思います。


私は田んぼに水を張ってから田植えまでの、夕日が映るこの時期の田んぼの景色が大好きです。
昨年同様、今年の稲作体験でもお世話になる山都町堰沢地区の平野さんの田んぼには、代掻き後にいっぱいタニシが出てきます。
昨年もとったのですが、これがまたとってもおいしくて(笑)。

週末の参加者にも食べていただこうと、昨日の夕方、とりにいってきました。

潮干狩りもいいですが、子供とかにはこのタニシ採りも潮干狩りに負けないくらい面白いんじゃないかな、と思います。なにしろドロンコ遊びも兼ねられますし(笑)。

これもまさに自然の恵み。

ウチの岩清水で洗って、3日ほど流水で飼って泥を抜いた後に調理して、週末には参加者に提供できると思います。


私は田んぼに水を張ってから田植えまでの、夕日が映るこの時期の田んぼの景色が大好きです。
またウチのネコがやっちゃいました - 2013.05.14 Tue
昨年秋、ウチのネコが天然記念物のヤマネをとってきてしまったのを書いたことありますが、(こちらをクリック)今日はなんと。。。。

コウモリをとってきちゃいました。。。
ちょっとコウモリには詳しくないので、何コウモリかはわかりませんが、幸いヤマネのとき同様、あまり大きなダメージはなさそうで、すぐに森に帰ってもらいました。



とってきた犯人はコイツです(苦笑)。
しかし。
昔、中国で食べたコウモリのスープ、おいしかったなあ、などと思い出す自分もいまして。。。(苦笑)
やっぱり飼い主に似ちゃったのかな。。(笑)

コウモリをとってきちゃいました。。。
ちょっとコウモリには詳しくないので、何コウモリかはわかりませんが、幸いヤマネのとき同様、あまり大きなダメージはなさそうで、すぐに森に帰ってもらいました。



とってきた犯人はコイツです(苦笑)。
しかし。
昔、中国で食べたコウモリのスープ、おいしかったなあ、などと思い出す自分もいまして。。。(苦笑)
やっぱり飼い主に似ちゃったのかな。。(笑)
平成25年度第1回会津発見塾 ~現在の鶴ヶ城の赤瓦のふるさとへ~ - 2013.05.14 Tue
次回イベントの準備の合間に少し時間ができましたので、ブログ書きを。
でも雙座松峠ウォークの報告へ行く前に、先週5月9日に今年度の第1回会津発見塾が行われたのでその時の模様を。
(ちなみに昨年同様、山都公民館主催の「会津発見塾」に僭越ながら私も今年1年間また企画&講師として参加させていただくことになりました。)
第1回はいきなり会津を出ておとなり新潟県へ~。
ちょっと長くなりますが、前段を。
今、「八重の桜」で盛り上がっている会津若松の鶴ヶ城。
2年前、震災直前にかつての赤瓦に葺き替えられたのをご存知の方は結構いらっしゃるかと思います。
「新編会津風土記」によると、戦国時代末期に、時の領主蒲生氏郷公が鶴ヶ城の大改修を手がけた記述があります。氏郷公は播磨国(現在の兵庫県)から瓦職人を呼び寄せて瓦をつくらせたそうですが、そのときの瓦は黒く、品質的にもあまり良質なものではなかったようです。
黒瓦は冬の寒さで凍ると割れてしまうことから改良が求められ、氏郷公から約半世紀後、藩主が保科正之公の時代に、瓦に釉薬をかけて焼くと寒さに強くなることがわかり、以降赤瓦として使用されたそうです。
もちろん当時は2011年のように一気に全部葺き替えたわけではなく、文献では、承応2年(1653)に太鼓門が初めて赤瓦によって葺き替えられたのを皮切りに、城内の屋根瓦が順次赤瓦に変わっていったようです。
城跡の発掘調査では、出土する瓦の約8割が釉薬を施された赤瓦という結果が出ています。また江戸時代後期の城下絵図では、屋根が赤系統の色で描かれていることを確認できます。
そんな結果に基づいて2年前の葺き替え工事においては、赤瓦で復元することとなったのでした。
前置きが長くなりましたが、2年前に瓦を葺き替えることになったとき、会津ではそれに対応できる瓦屋さんは少なく、寒冷地に強い、いい赤瓦をつくれる新潟県阿賀野市にある「安田瓦」さんに白羽の矢が立ったのでした。
そこで、現在の鶴ヶ城の赤瓦を葺き替えた「安田瓦産業協業組合」さん(詳しくはこちらをクリック)の瓦工場見学に行くことになりました。
下見のとき、実際の鶴ヶ城の赤瓦をいただいたときの模様は→こちらをクリック

まずは「安田瓦」をはじめ、全国の瓦について教えていただきました。
全国にはその焼き方において大きく分けて3種類の瓦があるそうで、すなわち
釉薬を用いず、焼成の最後の段階で蒸し焼きにして炭素の被膜をつくる「いぶし瓦」、
釉薬を用いず、素焼きのままで仕上げる「無釉瓦」、
生地成型・乾燥後、ガラス質の釉薬(うわ薬)を施して焼く「釉薬瓦」
があり、ここの安田瓦は生釉を使って酸化焼成から還元焼成まで時間をかけて焼成する「還元瓦」と呼ばれる釉薬瓦の一種とのことです。
ちなみに東北、上信越、北陸などの積雪寒冷地では、凍害防止のため高温焼成して強度をあげ、吸水率を低く抑える工夫がなされ、釉薬の両面がけや還元瓦が多く用いられ、
比較的温暖な、太平洋側の関東、東海、近畿地方などでは、いぶし瓦の照りや冴えなどの表現方法が発達しているという特徴が見られます。


実際に今、鶴ヶ城に葺かれている赤瓦を用いて、本物と同じ組み方を再現して詳しく解説していただきました。




これも、実際に今鶴ヶ城に葺かれている鬼瓦。大きさといい迫力満点ですね。

これは通常の安田瓦の完成品。ひとつ5kg弱ととても重く、逆に重いと建物が倒壊しやすいんじゃないかと素人は思ってしまいますが、重いからこそしっかり安定して強度が増すとのこと。


そして工場内部へ。瓦粘土のもととなる原土がここから搬入されます。

原土には木片だどいろんなものが混ざっているので、それを取り除いて練る処理。



練られてなんかチョコレートかキャラメルのように一本になってでてきた瓦の粘土。



まだ焼く前なので、このとおりクニャクニャです。





乾燥させたあと、釉薬をつける工程。


さすがに焼くところはみれませんでしたが、それぞれの工程で厳しい選別が行われており、品質管理はさすがだなあ、と思いました。
なんだか、小さい頃の社会科見学を彷彿とさせるような、とても楽しい見学のひとときでした。
その後、旧村松藩3万石の城下町へ。

屋敷などはほとんど残っていませんが、区割りなどは往時の面影が少し残っており、こうやってしっかり説明看板だけでも設置してあると本当にありがたいですね。
あまり時間がなく、さわりだけになってしまいましたが、今度個人的にじっくり歩いてみようと思います。

安田瓦の社長さんの話によると、鬼瓦の数で予算が決まるとのことで、一見無意味に見えるような屋根ですが、鬼瓦の数をわざと増やし、格をアピールしていたのかな、なんて思いました。
そして最後に新津市にある新潟県立植物園(こちらをクリック)へ。

樹木医の田中さんの解説案内で館内を見学しました。



バナナの花が咲いていました。

オクナ セルラタ。
南アフリカ原産。赤い花床に黒い石果がついてかわいらしく、それがミッキーマウスにも見えるので、別名「ミッキーマウスノキ」とも呼ばれているとか。

ベニヒモノキ。
西インド諸島原産で、小さな花が密になって、まるでふさふさの赤いしっぽのようだな、なんて思っていると、なるほど英名で「フォックステール」というとか。考えることは同じですね(笑)。


ルリゴクラクチョウカ。
南アフリカ原産。なんかヤシの実を細く割ったとこから花が咲いているような、不思議な形ですね。

これもなんでこんな形の花なの?って直接本人に聞いてみたい不思議な形、トケイソウの花。
花の珍しい形にしては結構平凡な名前がついてるな、と(笑)。

これは見慣れたウツボカズラ。

これは人工?それとも自然にこんなにきれいに編まれた?
名前がわからなかったので、「ネジリドーナツノキ」と名付けました。

フィリピンに自生するヒスイカズラ。
その名のとおり、ヒスイ色の美しい花をつけていました。
現地ではオオコウモリがこの花の蜜を吸いにくるとのことですが、今絶滅の危機に瀕している希少種とか。


この植物園のウリであるボタンの時期には少し早かったようですが、それでも何種類かは咲いていました。
次回の発見塾は6月18日、林道飯豊桧枝岐線の開通にあわせて、山都の向こう側、山形県飯豊町を巡ります。
早く下見にいかなくちゃ(笑)。
でも雙座松峠ウォークの報告へ行く前に、先週5月9日に今年度の第1回会津発見塾が行われたのでその時の模様を。
(ちなみに昨年同様、山都公民館主催の「会津発見塾」に僭越ながら私も今年1年間また企画&講師として参加させていただくことになりました。)
第1回はいきなり会津を出ておとなり新潟県へ~。
ちょっと長くなりますが、前段を。
今、「八重の桜」で盛り上がっている会津若松の鶴ヶ城。
2年前、震災直前にかつての赤瓦に葺き替えられたのをご存知の方は結構いらっしゃるかと思います。
「新編会津風土記」によると、戦国時代末期に、時の領主蒲生氏郷公が鶴ヶ城の大改修を手がけた記述があります。氏郷公は播磨国(現在の兵庫県)から瓦職人を呼び寄せて瓦をつくらせたそうですが、そのときの瓦は黒く、品質的にもあまり良質なものではなかったようです。
黒瓦は冬の寒さで凍ると割れてしまうことから改良が求められ、氏郷公から約半世紀後、藩主が保科正之公の時代に、瓦に釉薬をかけて焼くと寒さに強くなることがわかり、以降赤瓦として使用されたそうです。
もちろん当時は2011年のように一気に全部葺き替えたわけではなく、文献では、承応2年(1653)に太鼓門が初めて赤瓦によって葺き替えられたのを皮切りに、城内の屋根瓦が順次赤瓦に変わっていったようです。
城跡の発掘調査では、出土する瓦の約8割が釉薬を施された赤瓦という結果が出ています。また江戸時代後期の城下絵図では、屋根が赤系統の色で描かれていることを確認できます。
そんな結果に基づいて2年前の葺き替え工事においては、赤瓦で復元することとなったのでした。
前置きが長くなりましたが、2年前に瓦を葺き替えることになったとき、会津ではそれに対応できる瓦屋さんは少なく、寒冷地に強い、いい赤瓦をつくれる新潟県阿賀野市にある「安田瓦」さんに白羽の矢が立ったのでした。
そこで、現在の鶴ヶ城の赤瓦を葺き替えた「安田瓦産業協業組合」さん(詳しくはこちらをクリック)の瓦工場見学に行くことになりました。
下見のとき、実際の鶴ヶ城の赤瓦をいただいたときの模様は→こちらをクリック

まずは「安田瓦」をはじめ、全国の瓦について教えていただきました。
全国にはその焼き方において大きく分けて3種類の瓦があるそうで、すなわち
釉薬を用いず、焼成の最後の段階で蒸し焼きにして炭素の被膜をつくる「いぶし瓦」、
釉薬を用いず、素焼きのままで仕上げる「無釉瓦」、
生地成型・乾燥後、ガラス質の釉薬(うわ薬)を施して焼く「釉薬瓦」
があり、ここの安田瓦は生釉を使って酸化焼成から還元焼成まで時間をかけて焼成する「還元瓦」と呼ばれる釉薬瓦の一種とのことです。
ちなみに東北、上信越、北陸などの積雪寒冷地では、凍害防止のため高温焼成して強度をあげ、吸水率を低く抑える工夫がなされ、釉薬の両面がけや還元瓦が多く用いられ、
比較的温暖な、太平洋側の関東、東海、近畿地方などでは、いぶし瓦の照りや冴えなどの表現方法が発達しているという特徴が見られます。


実際に今、鶴ヶ城に葺かれている赤瓦を用いて、本物と同じ組み方を再現して詳しく解説していただきました。




これも、実際に今鶴ヶ城に葺かれている鬼瓦。大きさといい迫力満点ですね。

これは通常の安田瓦の完成品。ひとつ5kg弱ととても重く、逆に重いと建物が倒壊しやすいんじゃないかと素人は思ってしまいますが、重いからこそしっかり安定して強度が増すとのこと。


そして工場内部へ。瓦粘土のもととなる原土がここから搬入されます。

原土には木片だどいろんなものが混ざっているので、それを取り除いて練る処理。



練られてなんかチョコレートかキャラメルのように一本になってでてきた瓦の粘土。



まだ焼く前なので、このとおりクニャクニャです。





乾燥させたあと、釉薬をつける工程。


さすがに焼くところはみれませんでしたが、それぞれの工程で厳しい選別が行われており、品質管理はさすがだなあ、と思いました。
なんだか、小さい頃の社会科見学を彷彿とさせるような、とても楽しい見学のひとときでした。
その後、旧村松藩3万石の城下町へ。

屋敷などはほとんど残っていませんが、区割りなどは往時の面影が少し残っており、こうやってしっかり説明看板だけでも設置してあると本当にありがたいですね。
あまり時間がなく、さわりだけになってしまいましたが、今度個人的にじっくり歩いてみようと思います。

安田瓦の社長さんの話によると、鬼瓦の数で予算が決まるとのことで、一見無意味に見えるような屋根ですが、鬼瓦の数をわざと増やし、格をアピールしていたのかな、なんて思いました。
そして最後に新津市にある新潟県立植物園(こちらをクリック)へ。

樹木医の田中さんの解説案内で館内を見学しました。



バナナの花が咲いていました。

オクナ セルラタ。
南アフリカ原産。赤い花床に黒い石果がついてかわいらしく、それがミッキーマウスにも見えるので、別名「ミッキーマウスノキ」とも呼ばれているとか。

ベニヒモノキ。
西インド諸島原産で、小さな花が密になって、まるでふさふさの赤いしっぽのようだな、なんて思っていると、なるほど英名で「フォックステール」というとか。考えることは同じですね(笑)。


ルリゴクラクチョウカ。
南アフリカ原産。なんかヤシの実を細く割ったとこから花が咲いているような、不思議な形ですね。

これもなんでこんな形の花なの?って直接本人に聞いてみたい不思議な形、トケイソウの花。
花の珍しい形にしては結構平凡な名前がついてるな、と(笑)。

これは見慣れたウツボカズラ。

これは人工?それとも自然にこんなにきれいに編まれた?
名前がわからなかったので、「ネジリドーナツノキ」と名付けました。

フィリピンに自生するヒスイカズラ。
その名のとおり、ヒスイ色の美しい花をつけていました。
現地ではオオコウモリがこの花の蜜を吸いにくるとのことですが、今絶滅の危機に瀕している希少種とか。


この植物園のウリであるボタンの時期には少し早かったようですが、それでも何種類かは咲いていました。
次回の発見塾は6月18日、林道飯豊桧枝岐線の開通にあわせて、山都の向こう側、山形県飯豊町を巡ります。
早く下見にいかなくちゃ(笑)。
中反のカスミザクラ - 2013.05.13 Mon
昨日は峠ウォーク、盛況の中、終了しました。
すぐにでも報告アップしたいのですが、、、、ここんとこブログ書く暇なくて(苦笑)、ネタもたまってしまってて。。。
そんな中、やはりタイムリーな話題を優先したいので・・・・ちょっとピークは過ぎてしまったのですが、今咲いている山都町蓬莱地区、中反(なかぞり)集落のサクラの名木をご紹介します。
撮影日は本日13日10時頃です。
中反集落の北のはずれ、「石塔公園」と呼んでいる場所にそのサクラはあります。
品種はカスミザクラ。




まだ、踏査してませんが、ここはかつて越後裏街道が通っていたところで、この先の沓掛峠を越えると深沢に出て、さらに西会津の奥川へ続いていました。
「山都の峠ウォーク」シリーズ沓掛峠編へ向けて、近々歩いて調査してみる予定です。




すぐにでも報告アップしたいのですが、、、、ここんとこブログ書く暇なくて(苦笑)、ネタもたまってしまってて。。。
そんな中、やはりタイムリーな話題を優先したいので・・・・ちょっとピークは過ぎてしまったのですが、今咲いている山都町蓬莱地区、中反(なかぞり)集落のサクラの名木をご紹介します。
撮影日は本日13日10時頃です。
中反集落の北のはずれ、「石塔公園」と呼んでいる場所にそのサクラはあります。
品種はカスミザクラ。




まだ、踏査してませんが、ここはかつて越後裏街道が通っていたところで、この先の沓掛峠を越えると深沢に出て、さらに西会津の奥川へ続いていました。
「山都の峠ウォーク」シリーズ沓掛峠編へ向けて、近々歩いて調査してみる予定です。




「會」の杯 - 2013.05.11 Sat
平成25年 山都G.T.年間スケジュール - 2013.05.08 Wed
峠ウォーク等、多少変更があったので、最新の年間スケジュール表です。
ほぼこのとおりいく予定ですが、さらにまだ少し考えていることがあって。。。
1.ニラ収穫&ニラ餃子つくり体験
2.「やまとのみそ」を生かした料理教室
3. 山都の峠ウォーク第2弾
4.長井の「そばの道」ウォーク
などなど。
今年度はやれないかもしれませんが、入れ替えやプラスアルファがあるかもしれません。
その都度アナウンスさせていただきますのでよろしくお願いいたします。

年間スケジュールPDFファイルは→こちらをクリック
ほぼこのとおりいく予定ですが、さらにまだ少し考えていることがあって。。。
1.ニラ収穫&ニラ餃子つくり体験
2.「やまとのみそ」を生かした料理教室
3. 山都の峠ウォーク第2弾
4.長井の「そばの道」ウォーク
などなど。
今年度はやれないかもしれませんが、入れ替えやプラスアルファがあるかもしれません。
その都度アナウンスさせていただきますのでよろしくお願いいたします。

年間スケジュールPDFファイルは→こちらをクリック
5月18-19日 稲作体験その2 田植え 参加者募集! - 2013.05.07 Tue
稲作体験の第2回、いよいよ田んぼのシーズン、田植えを行います。
昨年の田植え体験の様子は→こちらをクリック
日時 5月18日と19日の2日間(どちらか片方の日のみの参加も可能です)
場所 山都町三津合字諏訪北1368-1 堰沢会館
参加費 二日間3,000円 (1日のみは2,000円) 体験料、昼食代、保険料含む
募集人員:10名(要予約、先着順)
日程: 初日(18日)田植え機による田植え
8:30 堰沢会館集合
8:40 開会
9:00 作業開始(苗運び、田植え機による田植えの手伝い。実際に乗ったり、機械で植えられないところの田んぼならし・補植など)
10:30 休憩
12:00 昼食
13:00 田植え続き
14:30 休憩
16:00 初日終了
2日目(19日)昔ながらの手植えによる田植え
8:45 集会
9:00 作業開始(渡部浩翁の指導のもと、昔の器具等を使って手植え体験)
10:30 休憩
12:00 昼食・反省会
14:00 滝の湯
15:00 解散
田植え機使う方法と、手植えを両方体験できます。
(昨年の感じだと、田植え機を操縦できるのが参加者にとって楽しかったようです(笑)。)
いい汗かいて、秋にはおいしい新米コシヒカリをGETして堪能してください!

チラシPDFファイルは→こちらをクリック
平成25年稲作体験(4回シリーズ)
第1回 4月21日 種蒔き (+そばうち) 終了
第2回 5月18、19日 田植え(機械・手植え両方、タニシ取り&タニシ料理)
第3回 6月16日 草取り(平野杯争奪草取りダービー賞品付きあり)
第4回 9月15、16日 稲刈り(機械・手刈り両方、収穫を祝う会あり)
参加特典:4回フル参加 新米10kg+アルファ(10kg)
3回参加 新米10kg
2回参加 新米5kg
1回参加 新米2kg
昨年の田植え体験の様子は→こちらをクリック
日時 5月18日と19日の2日間(どちらか片方の日のみの参加も可能です)
場所 山都町三津合字諏訪北1368-1 堰沢会館
参加費 二日間3,000円 (1日のみは2,000円) 体験料、昼食代、保険料含む
募集人員:10名(要予約、先着順)
日程: 初日(18日)田植え機による田植え
8:30 堰沢会館集合
8:40 開会
9:00 作業開始(苗運び、田植え機による田植えの手伝い。実際に乗ったり、機械で植えられないところの田んぼならし・補植など)
10:30 休憩
12:00 昼食
13:00 田植え続き
14:30 休憩
16:00 初日終了
2日目(19日)昔ながらの手植えによる田植え
8:45 集会
9:00 作業開始(渡部浩翁の指導のもと、昔の器具等を使って手植え体験)
10:30 休憩
12:00 昼食・反省会
14:00 滝の湯
15:00 解散
田植え機使う方法と、手植えを両方体験できます。
(昨年の感じだと、田植え機を操縦できるのが参加者にとって楽しかったようです(笑)。)
いい汗かいて、秋にはおいしい新米コシヒカリをGETして堪能してください!

チラシPDFファイルは→こちらをクリック
平成25年稲作体験(4回シリーズ)
第1回 4月21日 種蒔き (+そばうち) 終了
第2回 5月18、19日 田植え(機械・手植え両方、タニシ取り&タニシ料理)
第3回 6月16日 草取り(平野杯争奪草取りダービー賞品付きあり)
第4回 9月15、16日 稲刈り(機械・手刈り両方、収穫を祝う会あり)
参加特典:4回フル参加 新米10kg+アルファ(10kg)
3回参加 新米10kg
2回参加 新米5kg
1回参加 新米2kg
5月12日 山都の峠ウォーク (雙座松峠編) 参加者募集! - 2013.05.01 Wed
山間にある山都町はどこへ行くにも峠があります。
かつてはみんないろんな思いを胸に越えた峠道。
今は車道ができて通ることも少なくなり、どの道も藪に埋まりつつあります。
そんななか、できるだけ古の道の同定、あわよくば復活を目標に、旧道を調査探索し、イベントにつなぎたいと思っていました。
今回、山都の峠シリーズ第1弾として、「雙座松(そうざまつ)峠」ウォークを企画しました。
開催日が近いですが、もしご都合つく方いらっしゃれば、ぜひ往時をしのびながら古の道を歩いてみませんか?

チラシPDFは→こちらをクリック
かつてはみんないろんな思いを胸に越えた峠道。
今は車道ができて通ることも少なくなり、どの道も藪に埋まりつつあります。
そんななか、できるだけ古の道の同定、あわよくば復活を目標に、旧道を調査探索し、イベントにつなぎたいと思っていました。
今回、山都の峠シリーズ第1弾として、「雙座松(そうざまつ)峠」ウォークを企画しました。
開催日が近いですが、もしご都合つく方いらっしゃれば、ぜひ往時をしのびながら古の道を歩いてみませんか?

チラシPDFは→こちらをクリック