山都上郷六観音 - 2014.11.28 Fri
今年5月に行ったイベント「山都六観音ウォーク」(→こちらをクリック)。
それは寺内、下村、上林、舘原、広野、舟岡の「山都下郷六観音」を巡るウォーキングでした。
今、会津若松の福島県立博物館では「みちのくの観音さま」展が開催されています。(12月14日まで→こちらをクリック)
特別展の内容は素晴らしく、もう3回も私は観ていますが(あと2回ほど行く予定)、それに伴う関連講座がまた興味深く、観音菩薩についていろいろ勉強させていただいています。
観音菩薩信仰は、インドを起源として中国経由で日本に入ってきたそうで、その時期は仏教伝来とほぼ同時期とのこと。
よく「如来」とか「菩薩」とか聞きますが、違いって意外と知らないですよね。
如来はすでに悟りを開いた仏そのもの、対する菩薩は悟りを求めてまだ修行中の姿、なんですね。
だから観音菩薩は恐れ多い如来様より近しい存在で、その分親近感がわくのか、信仰が全国に広まってるんですね。
また、なぜ「観音」というのでしょうか。
正式には「観世音」。
観音経の中に「人々が苦悩して救いを求めれば、菩薩はすぐにその声を観じて救い出すことができる」という記述があるそうです。
世の音を観じる(聞く)、という意味なんですね。
また観音菩薩は救済に現れるときに、相手や状況によって三十三の姿に変化(へんげ)するといわれています。
その変化の一部?が六観音なのでした。
そして山都「下郷」六観音に対して、山都には「上郷」六観音と呼ばれているものもあります。
川隅、藤沢、本木、賢谷、背戸尻、一ノ戸の六箇所です。
こちらもイベント化可能かどうか、まずは場所の確認に行ってきました。
※なお、五番背戸尻は元は旧朝倉村、つまり山都だったのですが、村の移転に伴い、観音堂も熱塩加納総合支所近くに移築されていて、ひとつだけ山都地区外の飛んだ場所にあります。
◎一番 川隅


御詠歌
二丁橋 渡るみのりの川すみの 大慈のみかげあらたなるらん (川隅観音堂)

◎二番 藤沢


御詠歌
はやとり井 陽明れに輝きて 東長澤に晴るうす雲 (満蔵寺地蔵堂に合祀)
また地蔵堂には
名も高き 藤の澤路に示現して 大慈の利生新たなるらん
と詠まれています。

◎三番 本木


御詠歌
いそぎ来て 願う子安の観世音 月かさなければ身こそ安けれ (本木阿弥陀堂に合祀)
◎四番 賢谷


御詠歌
朝日かげ 夕日輝くすずが澤 急ぎ参りし恵み強よけれ (賢谷観音堂)

◎五番 背戸尻



御詠歌
山深き 岩根の松のひびきまで たいしたいひのみのりなりけ里 (背戸尻観音堂)
◎六番 一ノ戸




御詠歌
大花山 岩を流れるみたらしの かかるすいずいみつくなるらん (月岡家観音堂)
下郷六観音と比べて、今回の上郷六観音は地図上でもわかっていたことですが、背戸尻を除いても、一ノ木とかそれぞれの札所の距離が遠く、ウォーキングイベントにはしずらい感じです。
もし開催するとすれば、2回に分けるか、車移動しか。。。。あ、マラソンかジャーニーランの大会にすれば可能ですかね。
とりあえず、次回、各行政区にお願いして、それぞれの観音像を見させていただこうと考えています。
山都上郷六観音各場所の位置図は→こちらをクリック
それは寺内、下村、上林、舘原、広野、舟岡の「山都下郷六観音」を巡るウォーキングでした。
今、会津若松の福島県立博物館では「みちのくの観音さま」展が開催されています。(12月14日まで→こちらをクリック)
特別展の内容は素晴らしく、もう3回も私は観ていますが(あと2回ほど行く予定)、それに伴う関連講座がまた興味深く、観音菩薩についていろいろ勉強させていただいています。
観音菩薩信仰は、インドを起源として中国経由で日本に入ってきたそうで、その時期は仏教伝来とほぼ同時期とのこと。
よく「如来」とか「菩薩」とか聞きますが、違いって意外と知らないですよね。
如来はすでに悟りを開いた仏そのもの、対する菩薩は悟りを求めてまだ修行中の姿、なんですね。
だから観音菩薩は恐れ多い如来様より近しい存在で、その分親近感がわくのか、信仰が全国に広まってるんですね。
また、なぜ「観音」というのでしょうか。
正式には「観世音」。
観音経の中に「人々が苦悩して救いを求めれば、菩薩はすぐにその声を観じて救い出すことができる」という記述があるそうです。
世の音を観じる(聞く)、という意味なんですね。
また観音菩薩は救済に現れるときに、相手や状況によって三十三の姿に変化(へんげ)するといわれています。
その変化の一部?が六観音なのでした。
そして山都「下郷」六観音に対して、山都には「上郷」六観音と呼ばれているものもあります。
川隅、藤沢、本木、賢谷、背戸尻、一ノ戸の六箇所です。
こちらもイベント化可能かどうか、まずは場所の確認に行ってきました。
※なお、五番背戸尻は元は旧朝倉村、つまり山都だったのですが、村の移転に伴い、観音堂も熱塩加納総合支所近くに移築されていて、ひとつだけ山都地区外の飛んだ場所にあります。
◎一番 川隅


御詠歌
二丁橋 渡るみのりの川すみの 大慈のみかげあらたなるらん (川隅観音堂)

◎二番 藤沢


御詠歌
はやとり井 陽明れに輝きて 東長澤に晴るうす雲 (満蔵寺地蔵堂に合祀)
また地蔵堂には
名も高き 藤の澤路に示現して 大慈の利生新たなるらん
と詠まれています。

◎三番 本木


御詠歌
いそぎ来て 願う子安の観世音 月かさなければ身こそ安けれ (本木阿弥陀堂に合祀)
◎四番 賢谷


御詠歌
朝日かげ 夕日輝くすずが澤 急ぎ参りし恵み強よけれ (賢谷観音堂)

◎五番 背戸尻



御詠歌
山深き 岩根の松のひびきまで たいしたいひのみのりなりけ里 (背戸尻観音堂)
◎六番 一ノ戸




御詠歌
大花山 岩を流れるみたらしの かかるすいずいみつくなるらん (月岡家観音堂)
下郷六観音と比べて、今回の上郷六観音は地図上でもわかっていたことですが、背戸尻を除いても、一ノ木とかそれぞれの札所の距離が遠く、ウォーキングイベントにはしずらい感じです。
もし開催するとすれば、2回に分けるか、車移動しか。。。。あ、マラソンかジャーニーランの大会にすれば可能ですかね。
とりあえず、次回、各行政区にお願いして、それぞれの観音像を見させていただこうと考えています。
山都上郷六観音各場所の位置図は→こちらをクリック
飯豊の幸「やまとのみそ」つくり体験 無事終了しました。 - 2014.11.26 Wed
雑穀おむすびの結の翌日の24日、今年で3回目になる「飯豊の幸やまとのみそつくり体験」を、山都町相川にある「相原麹店」(こちらをクリック)にて行いました。

これももはや恒例?相原さんのウェルカム甘酒。
米麹と水だけでつくった、無添加、砂糖すら入っていないナチュラルな甘さ。
甘いの苦手な私でもこれは最高です。
甘酒には9種の必須アミノ酸すべてが網羅されていて、ビタミンB群(B1、B2、B6、B12)も豊富。
素晴らしいですねえ。
さらに塩麹で漬けたダイコンも美味。

ほとんどの参加者はリピーターなのですが、あらためて相原さんからみそについて雑学、作り方、保存の仕方などを講義していただきました。

そしてみそづくりへ。
例年と同じく、蒸し終わった大豆から作業が始まります。

浸漬して蒸した大豆は乾燥重量からはすでに倍ぐらいの重さになってます。これをチョッパーにかけてつぶします。


それぞれのコンテナへ、大豆2.7kg(湿重量)、麹1.5kg(乾燥重量)、塩720g(14%)をとり、あわせます。

ポイントは塩をまんべんなくいきわたらせるように混ぜること。偏るとしょっぱいとことそうでないとこができてしまうだけでなく、塩がいきわたってない部分はカビやすくなるからだそうです。


最後に、水を600cc。
これでだいたい5.5kgくらいのみそができる計算になります。
混ぜるものはこれら、大豆、麹、塩、水のみ。
添加物、保存料一切無しの「ホンモノのみそ」です。
そば打ちのときのようにあまりこねるのではなく、まんべんなくいきわたらせるイメージで。





そして保存用の樽につめます。ポイントはなるべく空気が入らないようにすること。内側に厚手のビニール袋を敷き、隙間ないようにつめこみます。空気があるとカビが生えてしまうからだそうです。





「手前みそ」仕込み完了。
来年の秋には食べられるようになります。

昨年、一昨年つくった「手前みそ」を持ち寄って、比べてみました。
みそは「生き物」、同じ大豆、同じやり方でつくっても、その後の保存環境などでだいぶ変わります。

色、味、香り。。。五感でその違いを味わってもらいました。


そして定番、みそ焼きおにぎりをつくります。


と、みなさん、待ちきれなかったのか?(笑)新米コシヒカリにみそつけて、焼く前に結構食べちゃっていました(笑)。


相原さんの味噌汁。もちろん「やまとのみそ」使用です。


具だくさん。

やっぱり焼きおにぎりの香ばしさは絶品。
食べ過ぎた人、続出(笑)。

納豆もちまで登場しました。

今回も山都G.T.恒例、参加者全員による自己紹介。親睦を深めました。
今年もお世話になりました相原さんご夫婦。
ありがとうございました。
「みそ汁は医者殺し」
「医者に払うなら味噌屋に払え」
以前、みそのパワーについて書いたブログ記事は→こちらをクリック
みその力ってほんとにすごいんですよー。
相原さんのところでは全国発送も行っています。
添加物・保存料なしの昔ながらの山都みそ。
麹も好評です。
ご興味のある方、よかったら電話して取り寄せてみてください。
相原麹店
〒969-4107 福島県喜多方市山都町相川字東向甲1490
TEL・FAX 0241-38-3013

これももはや恒例?相原さんのウェルカム甘酒。
米麹と水だけでつくった、無添加、砂糖すら入っていないナチュラルな甘さ。
甘いの苦手な私でもこれは最高です。
甘酒には9種の必須アミノ酸すべてが網羅されていて、ビタミンB群(B1、B2、B6、B12)も豊富。
素晴らしいですねえ。
さらに塩麹で漬けたダイコンも美味。

ほとんどの参加者はリピーターなのですが、あらためて相原さんからみそについて雑学、作り方、保存の仕方などを講義していただきました。

そしてみそづくりへ。
例年と同じく、蒸し終わった大豆から作業が始まります。

浸漬して蒸した大豆は乾燥重量からはすでに倍ぐらいの重さになってます。これをチョッパーにかけてつぶします。


それぞれのコンテナへ、大豆2.7kg(湿重量)、麹1.5kg(乾燥重量)、塩720g(14%)をとり、あわせます。

ポイントは塩をまんべんなくいきわたらせるように混ぜること。偏るとしょっぱいとことそうでないとこができてしまうだけでなく、塩がいきわたってない部分はカビやすくなるからだそうです。


最後に、水を600cc。
これでだいたい5.5kgくらいのみそができる計算になります。
混ぜるものはこれら、大豆、麹、塩、水のみ。
添加物、保存料一切無しの「ホンモノのみそ」です。
そば打ちのときのようにあまりこねるのではなく、まんべんなくいきわたらせるイメージで。





そして保存用の樽につめます。ポイントはなるべく空気が入らないようにすること。内側に厚手のビニール袋を敷き、隙間ないようにつめこみます。空気があるとカビが生えてしまうからだそうです。





「手前みそ」仕込み完了。
来年の秋には食べられるようになります。

昨年、一昨年つくった「手前みそ」を持ち寄って、比べてみました。
みそは「生き物」、同じ大豆、同じやり方でつくっても、その後の保存環境などでだいぶ変わります。

色、味、香り。。。五感でその違いを味わってもらいました。


そして定番、みそ焼きおにぎりをつくります。


と、みなさん、待ちきれなかったのか?(笑)新米コシヒカリにみそつけて、焼く前に結構食べちゃっていました(笑)。


相原さんの味噌汁。もちろん「やまとのみそ」使用です。


具だくさん。

やっぱり焼きおにぎりの香ばしさは絶品。
食べ過ぎた人、続出(笑)。

納豆もちまで登場しました。

今回も山都G.T.恒例、参加者全員による自己紹介。親睦を深めました。
今年もお世話になりました相原さんご夫婦。
ありがとうございました。
「みそ汁は医者殺し」
「医者に払うなら味噌屋に払え」
以前、みそのパワーについて書いたブログ記事は→こちらをクリック
みその力ってほんとにすごいんですよー。
相原さんのところでは全国発送も行っています。
添加物・保存料なしの昔ながらの山都みそ。
麹も好評です。
ご興味のある方、よかったら電話して取り寄せてみてください。
相原麹店
〒969-4107 福島県喜多方市山都町相川字東向甲1490
TEL・FAX 0241-38-3013
雑穀おむすびの結その5 大豆収穫、干し柿づくり、脱穀 - 2014.11.25 Tue
11月22-23日に雑穀おむすびの結シリーズの第5回、大豆収穫、干し柿づくり、雑穀おとお米の脱穀を行いました。
まずは初日の模様を。
(1日目)

雑穀畑はほぼ収穫も完了し、冬の装い。

今回はその中でまだ未収穫の大豆の収穫作業から始まります。








大豆は茎が太いので、刈るのに結構苦戦していた方もいましたが、慣れてくるとペースもあがり、かなりの収穫。


大豆収穫後は、干し柿づくりを。
柿をつるす縄をなうところからはじまります。
まずは縄ない用のワラを打って柔らかくします。


そして縄を綯います。



みてくれや完成度はともかく(笑)、みなさんそれなりにクリアー。

つづいて柿の皮むき。

柿はこうやって枝に鈴なりについています。

それをひとつひとつこんな感じに「T」の字に枝を残して切ります。

そのT字を縄のよりの間に差し込んで固定します。





吊るす前に一瞬熱湯にくぐらせて、カビの発生を防ぎます。



おいしい干し柿を食べれるの、楽しみですね。

そして初日の作業終了、いいでのゆで汗を流したのち、黒森山荘で恒例の交流会。

この日のメイン、「モチキビボール入り雑穀甘酒キムチ鍋」。
車麩、白菜、豆腐、ニラ、モチキビボールなどが入ってます。

右側の器に入っている「甘酒コチュジャン」というピり辛みそをお好みでくわえます。

モチキビボール。美味美味。

右上:カブとリンゴとフノリの柿梅酢和え。
左下:ヒエとヤマイモのフリッター。面白いことになぜか白身魚のような味と食感。ノリがついてるのは、魚の皮をイメージしてるとか(笑)。

ごはんはモチアワ入り。モッチモチしててさらに香ばしく味があって、食べ過ぎちゃいます(苦笑)。

けんちん汁は野菜たっぷり。
にんじん、だいこん、ごぼう、かぼちゃ、こんにゃく、さといもなど。

さつまいものきんつば。
さつまいもを塩蒸しして、タカキビ粉の衣をつけて焼いたもの。

これがまたおいしい、ヤマイモのフライ(手前)とモチキビチーズコロッケ(奥)。

コロッケはブロッコリーとニンニク入りポテトサラダにとろーりモチキビ入ってます。
絶品です!(笑)
(二日目)
いよいよ脱穀作業です。

ドンモ。。ヤイダ。。て? いえいえダイヤモンドですね。
去年やおととしの山都G.T.稲作体験でも使った、昔ながらの足踏み式脱穀機です。


まずはタカキビを脱穀します。

足でペダルを踏んでドラムを回転させ、そこに束を押し付けて実をそいでいきます。





結構とれました。
これを唐箕にかけます。

これが唐箕(とうみ)です。
左の風車をまわして風を送り、上から落とす穀物から、籾殻や屑などを吹き飛ばして取り除く装置です。
「唐」ということからもわかるように中国から伝来したようですが、足踏み式脱穀機が明治の末期の発明品という比較的新しいものであるのに比べ、この唐箕はなんと江戸時代からすでに使われていたのだそうです。
この唐箕が日本で初めて紹介された本というのが、何を隠そう、会津の誇る名著「会津農書」(1684年編纂)なのです!


風の強さを調整しながら、上から脱穀したものを落としていくと、手前に一番重い必要な穀物が選別されて出てきます。

正面方向には一番軽い主に夾雑物が飛んで出ます。

二番出口にはその中間の重さのもの。この中には実の入ってるものも混ざってるので、これをもう一度唐箕にかけて選別します。

これが夾雑物が取り除かれたタカキビ。


続いてお米の脱穀。

こちらも唐箕にかけて。



籾摺り機へ。

玄米になりました。
来月食べるの楽しみですね。

最後にモチキビを脱穀しました。

次回その6は今日午前中にアップしたように12月13-14日開催です。
こんにゃくづくり体験と収穫祭。
ご興味ある方ぜひご参加ください。
まずは初日の模様を。
(1日目)

雑穀畑はほぼ収穫も完了し、冬の装い。

今回はその中でまだ未収穫の大豆の収穫作業から始まります。








大豆は茎が太いので、刈るのに結構苦戦していた方もいましたが、慣れてくるとペースもあがり、かなりの収穫。


大豆収穫後は、干し柿づくりを。
柿をつるす縄をなうところからはじまります。
まずは縄ない用のワラを打って柔らかくします。


そして縄を綯います。



みてくれや完成度はともかく(笑)、みなさんそれなりにクリアー。

つづいて柿の皮むき。

柿はこうやって枝に鈴なりについています。

それをひとつひとつこんな感じに「T」の字に枝を残して切ります。

そのT字を縄のよりの間に差し込んで固定します。





吊るす前に一瞬熱湯にくぐらせて、カビの発生を防ぎます。



おいしい干し柿を食べれるの、楽しみですね。

そして初日の作業終了、いいでのゆで汗を流したのち、黒森山荘で恒例の交流会。

この日のメイン、「モチキビボール入り雑穀甘酒キムチ鍋」。
車麩、白菜、豆腐、ニラ、モチキビボールなどが入ってます。

右側の器に入っている「甘酒コチュジャン」というピり辛みそをお好みでくわえます。

モチキビボール。美味美味。

右上:カブとリンゴとフノリの柿梅酢和え。
左下:ヒエとヤマイモのフリッター。面白いことになぜか白身魚のような味と食感。ノリがついてるのは、魚の皮をイメージしてるとか(笑)。

ごはんはモチアワ入り。モッチモチしててさらに香ばしく味があって、食べ過ぎちゃいます(苦笑)。

けんちん汁は野菜たっぷり。
にんじん、だいこん、ごぼう、かぼちゃ、こんにゃく、さといもなど。

さつまいものきんつば。
さつまいもを塩蒸しして、タカキビ粉の衣をつけて焼いたもの。

これがまたおいしい、ヤマイモのフライ(手前)とモチキビチーズコロッケ(奥)。

コロッケはブロッコリーとニンニク入りポテトサラダにとろーりモチキビ入ってます。
絶品です!(笑)
(二日目)
いよいよ脱穀作業です。

ドンモ。。ヤイダ。。て? いえいえダイヤモンドですね。
去年やおととしの山都G.T.稲作体験でも使った、昔ながらの足踏み式脱穀機です。


まずはタカキビを脱穀します。

足でペダルを踏んでドラムを回転させ、そこに束を押し付けて実をそいでいきます。





結構とれました。
これを唐箕にかけます。

これが唐箕(とうみ)です。
左の風車をまわして風を送り、上から落とす穀物から、籾殻や屑などを吹き飛ばして取り除く装置です。
「唐」ということからもわかるように中国から伝来したようですが、足踏み式脱穀機が明治の末期の発明品という比較的新しいものであるのに比べ、この唐箕はなんと江戸時代からすでに使われていたのだそうです。
この唐箕が日本で初めて紹介された本というのが、何を隠そう、会津の誇る名著「会津農書」(1684年編纂)なのです!


風の強さを調整しながら、上から脱穀したものを落としていくと、手前に一番重い必要な穀物が選別されて出てきます。

正面方向には一番軽い主に夾雑物が飛んで出ます。

二番出口にはその中間の重さのもの。この中には実の入ってるものも混ざってるので、これをもう一度唐箕にかけて選別します。

これが夾雑物が取り除かれたタカキビ。


続いてお米の脱穀。

こちらも唐箕にかけて。



籾摺り機へ。

玄米になりました。
来月食べるの楽しみですね。

最後にモチキビを脱穀しました。

次回その6は今日午前中にアップしたように12月13-14日開催です。
こんにゃくづくり体験と収穫祭。
ご興味ある方ぜひご参加ください。
12/13-14 雑穀おむすびの結その6 収穫祭&たくあん、こんにゃく作り 参加者募集 - 2014.11.25 Tue
11月22、23日に無事終了した雑穀おむすびの結その5の模様はのちほど、ということで、先に来月開催予定のその6収穫祭&こんにゃく作りのご案内です。

印刷用PDFは→こちらをクリック
先日少しご紹介しましたが、次回はまず宮古でこんにゃくづくりを体験します。
その後たくあん、白菜漬け、干しリンゴづくりなどを行い、翌日は今年収穫したお米や雑穀を用いて収穫祭!
餅つきとかもやる予定です。
予定スケジュール
12/13
9:30 喜多方市山都総合支所裏側駐車場 集合
9:50 宮古・大下 着
10:00 こんにゃく作り体験開始
12:00 昼食 宮古そば こんにゃく実食
13:30 宮古・大下 発
14:00 黒森山荘 着
たくあん作り
白菜漬け 干しりんご作り
17:00 作業終了
17:30 いいでのゆ
18:30 食事つくり
19:30 交流会
黒森山荘泊
12/14
7:00 起床
8:00 朝食
9:00 おにぎり作り
雑穀料理作り
12:00 収穫祭開始
餅つきなど
15:00 終了・解散
過去5回に参加されていなくても参加可能です。お申込みお待ちしています。

印刷用PDFは→こちらをクリック
先日少しご紹介しましたが、次回はまず宮古でこんにゃくづくりを体験します。
その後たくあん、白菜漬け、干しリンゴづくりなどを行い、翌日は今年収穫したお米や雑穀を用いて収穫祭!
餅つきとかもやる予定です。
予定スケジュール
12/13
9:30 喜多方市山都総合支所裏側駐車場 集合
9:50 宮古・大下 着
10:00 こんにゃく作り体験開始
12:00 昼食 宮古そば こんにゃく実食
13:30 宮古・大下 発
14:00 黒森山荘 着
たくあん作り
白菜漬け 干しりんご作り
17:00 作業終了
17:30 いいでのゆ
18:30 食事つくり
19:30 交流会
黒森山荘泊
12/14
7:00 起床
8:00 朝食
9:00 おにぎり作り
雑穀料理作り
12:00 収穫祭開始
餅つきなど
15:00 終了・解散
過去5回に参加されていなくても参加可能です。お申込みお待ちしています。
いいで荘より 忘年会・新年会プランのご案内 - 2014.11.21 Fri
こんにゃくづくり - 2014.11.20 Thu
12月に行うイベント、こんにゃくづくり体験の実際を学びに行ってきました。

大きなこんにゃくいも。1.5㎏近くありました。
本番ではひとり300gくらい使う予定ですので、これで4人分くらいあります。

皮をむいて、手ごろな大きさに切り、水を足してミキサーへ。イモ300gに対し、水1ℓくらい。
なお当日の参加者には基本的にはおろし金でおろしてもらいます。

火にかけ、焦げ付かないようにかき回しながらおよそ5分。
ねっちょりしてきたら火をとめます。

こんにゃくを固めるための炭酸ソーダを準備。
昔はいろりとかから出る灰を溶いて、そのアクを使っていたとか。

炭酸ソーダ粉末をお湯で溶いたものをくわえ、さっと全体にいきわたるように混ぜます。
まんべんなく、手際よく。 ここがどうもこんにゃくづくりのキモのような気がしました。

冷やすと、すごい弾力。

アクをとりやすくするため適当な大きさに切ります。

30分~1時間くらいグツグツ煮ます。


で、あとは水を。
流水が理想だけど、数時間ごとにアクの出た水を換えればOKとか。
面白いのは色とか弾力とかは、コンニャクイモ次第で結構ばらつくとか。
例えば、成長の早かったイモは、結構スカスカで、出来上がりの重量も少なく、逆に成長に時間かかったイモは中身がぎっちりなのか、同じ重量のイモ使って作っても、出来上がりの重量が多いとのこと。
また、収穫の時傷ついたイモは出来上がりのコンニャクが黒かったり赤味がかったりするとか。
まさに生き物ですね。
興味深い。

今日つくったコンニャクは頂いて帰ってきました。楽しみです。

大きなこんにゃくいも。1.5㎏近くありました。
本番ではひとり300gくらい使う予定ですので、これで4人分くらいあります。

皮をむいて、手ごろな大きさに切り、水を足してミキサーへ。イモ300gに対し、水1ℓくらい。
なお当日の参加者には基本的にはおろし金でおろしてもらいます。

火にかけ、焦げ付かないようにかき回しながらおよそ5分。
ねっちょりしてきたら火をとめます。

こんにゃくを固めるための炭酸ソーダを準備。
昔はいろりとかから出る灰を溶いて、そのアクを使っていたとか。

炭酸ソーダ粉末をお湯で溶いたものをくわえ、さっと全体にいきわたるように混ぜます。
まんべんなく、手際よく。 ここがどうもこんにゃくづくりのキモのような気がしました。

冷やすと、すごい弾力。

アクをとりやすくするため適当な大きさに切ります。

30分~1時間くらいグツグツ煮ます。


で、あとは水を。
流水が理想だけど、数時間ごとにアクの出た水を換えればOKとか。
面白いのは色とか弾力とかは、コンニャクイモ次第で結構ばらつくとか。
例えば、成長の早かったイモは、結構スカスカで、出来上がりの重量も少なく、逆に成長に時間かかったイモは中身がぎっちりなのか、同じ重量のイモ使って作っても、出来上がりの重量が多いとのこと。
また、収穫の時傷ついたイモは出来上がりのコンニャクが黒かったり赤味がかったりするとか。
まさに生き物ですね。
興味深い。

今日つくったコンニャクは頂いて帰ってきました。楽しみです。
「かんじる」。 - 2014.11.20 Thu
週末の雑穀おむすびの結 脱穀と干し柿づくり - 2014.11.19 Wed
今週末に迫った「雑穀おむすびの結その5 脱穀&干し柿づくり」。
先ほど申し込み締め切らせていただきました。
参加者みなさん、24日の「みそづくり体験」もエントリーされていますので、黒森山荘に連泊となり、そのため23日の夜は昔の農家さんはみんなそうだった「夜なべ脱穀作業」も体験できることに(笑)。
それも含め23日のスケジュールに多少の変更をくわえたので、申し込んでくださった方には新スケジュールをお送りします。

一部のお米はすでに黒森山荘内に運んであります。これは23日夜なべ用になるかな。
もちろん、大部分はハザ掛けしたまま干しているので、晴れていれば田んぼに脱穀機を持って行って脱穀します。

昨年、一昨年のG.Tイベントと同様、足踏み式脱穀機を使用します。

こちらは雑穀。

唐箕(とうみ)も昔ながらのものを使います。

干し柿づくり用の柿もスタンバイ完了。



皮も昔は貴重な甘味料として使われていたとのことで、それにならって捨てずに使います。

6月の雑穀おむすびの結その2でつくった梅干しがいい感じでできています。

その時参加された方にはお米ができてから一緒にお渡しする予定です。
味わうの、楽しみですね。
先ほど申し込み締め切らせていただきました。
参加者みなさん、24日の「みそづくり体験」もエントリーされていますので、黒森山荘に連泊となり、そのため23日の夜は昔の農家さんはみんなそうだった「夜なべ脱穀作業」も体験できることに(笑)。
それも含め23日のスケジュールに多少の変更をくわえたので、申し込んでくださった方には新スケジュールをお送りします。

一部のお米はすでに黒森山荘内に運んであります。これは23日夜なべ用になるかな。
もちろん、大部分はハザ掛けしたまま干しているので、晴れていれば田んぼに脱穀機を持って行って脱穀します。

昨年、一昨年のG.Tイベントと同様、足踏み式脱穀機を使用します。

こちらは雑穀。

唐箕(とうみ)も昔ながらのものを使います。

干し柿づくり用の柿もスタンバイ完了。



皮も昔は貴重な甘味料として使われていたとのことで、それにならって捨てずに使います。

6月の雑穀おむすびの結その2でつくった梅干しがいい感じでできています。

その時参加された方にはお米ができてから一緒にお渡しする予定です。
味わうの、楽しみですね。
今年もおいしいお米です! - 2014.11.17 Mon
昨年、一昨年とG.T.イベント「稲作体験」でお世話になった山都町堰沢の平野さんの今年のお米の食味分析結果がでました。
すでに私は平野さんの新米を毎日味わっていますが、今年のは昨年一昨年と比べてもさらにおいしいなあ、と思っていたところ。。。。
今年のスコアは
「88」
昨年より4ポイントアップ!
同時に計測された「JA会津いいで」の64箇所のお米の中でも平野さんのはなんと5位!
米・食味分析鑑定コンクールに出品されることが決定しました。
おいしさに定評のある(全国の食味試験で過去10年中9回「特A」)ハイレベルな会津のお米の中で上位ってチョットすごいんじゃないでしょうか。
数字がすべてではないとはいえ、実際食べて、おいしい!と感じている私としては、「やっぱり!」という感じです。
ぜひ多くの人に味わっていただきたいですね~。
ちなみに昨年の結果は→こちらをクリック
おととしの結果、そして測定項目の詳しい説明は→こちらをクリック



すでに私は平野さんの新米を毎日味わっていますが、今年のは昨年一昨年と比べてもさらにおいしいなあ、と思っていたところ。。。。
今年のスコアは
「88」
昨年より4ポイントアップ!
同時に計測された「JA会津いいで」の64箇所のお米の中でも平野さんのはなんと5位!
米・食味分析鑑定コンクールに出品されることが決定しました。
おいしさに定評のある(全国の食味試験で過去10年中9回「特A」)ハイレベルな会津のお米の中で上位ってチョットすごいんじゃないでしょうか。
数字がすべてではないとはいえ、実際食べて、おいしい!と感じている私としては、「やっぱり!」という感じです。
ぜひ多くの人に味わっていただきたいですね~。
ちなみに昨年の結果は→こちらをクリック
おととしの結果、そして測定項目の詳しい説明は→こちらをクリック



第6回 会津発見塾 会津街道~阿賀町探訪~ - 2014.11.14 Fri
思えば今年も4月から、昨年、一昨年と同様、山都公民館事業「会津発見塾」の講師を担当させていただいたのですが、G.T.イベントを優先して、一度も発見塾の報告をアップしていませんでした。
そのうち4月まで遡って書こうかなと思いますが、まずは直近、昨日の今年度最終回の模様を。
今回は「会津街道~阿賀町探訪~」というタイトルで行いました。
実は山都G.T.の越後街道探索ウォークシリーズで西会津や阿賀町の方々にご協力いただいた際、1回限りじゃもったいないな、特に山都の人たちにも体感してもらいたいな、と思ったので、当初イメージしていた内容を変更して、もう一度阿賀町の方々にご協力をいただいて、いいとこどりしようと企画したのでした。
今回の発見塾のメンバーはみなさんご高齢で、足が不自由な方もいらっしゃるので、ポイントを絞って車で移動する行程。
それぞれの詳しい解説は重複するので、7月に行った越後街道ウォークその2の2日目の模様をご覧ください→こちらをクリック

県境、鳥井の駐車場からスタート。
今回も阿賀町観光ガイドの渡部氏、川上氏という強力な助っ人に解説をお願いしました。


続いて福取の一里塚へ。


福取集落、明治初期に三方道路開削の際に道を平らにするためのローラーに使用した石と伝わる通称「ゴロ石」。

そして八木山集落へ。
かつての旅籠、「三条屋」。


すぐとなりの「本陣」、渡部家では、渡部一郎氏が、いろりに火を入れて我々を待っていてくださました。


そして越後街道ウォークのときと同様、渡部節炸裂!(笑)

ほんと話題は尽きず、半日くらいずっとお話をうかがっていたいのですが。。。。そうもいかず、次の目的地へ。

平堀の地蔵尊に行く前に、高齢者ふれあい会館で昼食。

昼食後、平堀地蔵尊へ。
南北朝時代以前の作といわれる、新潟県指定重要文化財の3体の仏像を拝観。


地蔵菩薩像(延命地蔵様)。

閻魔天倚像(ジジ)。

倶生神坐像(バサ)。

その後、津川市街の新善光寺へ。

今回は、30年以上、観音堂を守り続けてくださっている寺久保氏からじきじきに貴重なお話をうかがいました。

福海観音菩薩像。


阿賀町観光ガイドの佐藤氏からもこの新善光寺がどれだけ権威があるか、様々な興味深いお話をしていただきました。

佐藤氏のお話の中には、越後街道ウォークのときには聞けなかった白虎隊士藤森八太郎の臨終のエピソードなどもありました。

そしてここから、阿賀町観光ガイドの会長、犬飼氏にご登場いただき、ユーモアたっぷりのお話を。

ちょっと風は強かったのですが、たまたま雨はあがり、明治時代以降の津川新港にてお話をうかがいました。


最後は諏訪峠入口、石畳の前で渡部氏からレクチャーを。

一応、私、「講師」という立場でしたが、実際はほとんど阿賀町観光ガイドさんに丸投げで(笑)、「コーディネーター」に徹しさせていただきました。
ほんと阿賀町の方々は知識が深く、話題も豊富で、話も面白くて、素晴らしいです。
この場を借りて厚く御礼申し上げます。

帰りはあがの温泉まんじゅう、そして阿賀町の地酒屋に寄り、参加者みなさん、いっぱいお土産購入されていました。


これで今年度の会津発見塾も終了。
肩の荷が降り、ほっとしております。
会津の人と、越後の人の交流する機会はこれからもなんらかの形で設けていきたいと思う次第です。
そのうち4月まで遡って書こうかなと思いますが、まずは直近、昨日の今年度最終回の模様を。
今回は「会津街道~阿賀町探訪~」というタイトルで行いました。
実は山都G.T.の越後街道探索ウォークシリーズで西会津や阿賀町の方々にご協力いただいた際、1回限りじゃもったいないな、特に山都の人たちにも体感してもらいたいな、と思ったので、当初イメージしていた内容を変更して、もう一度阿賀町の方々にご協力をいただいて、いいとこどりしようと企画したのでした。
今回の発見塾のメンバーはみなさんご高齢で、足が不自由な方もいらっしゃるので、ポイントを絞って車で移動する行程。
それぞれの詳しい解説は重複するので、7月に行った越後街道ウォークその2の2日目の模様をご覧ください→こちらをクリック

県境、鳥井の駐車場からスタート。
今回も阿賀町観光ガイドの渡部氏、川上氏という強力な助っ人に解説をお願いしました。


続いて福取の一里塚へ。


福取集落、明治初期に三方道路開削の際に道を平らにするためのローラーに使用した石と伝わる通称「ゴロ石」。

そして八木山集落へ。
かつての旅籠、「三条屋」。


すぐとなりの「本陣」、渡部家では、渡部一郎氏が、いろりに火を入れて我々を待っていてくださました。


そして越後街道ウォークのときと同様、渡部節炸裂!(笑)

ほんと話題は尽きず、半日くらいずっとお話をうかがっていたいのですが。。。。そうもいかず、次の目的地へ。

平堀の地蔵尊に行く前に、高齢者ふれあい会館で昼食。

昼食後、平堀地蔵尊へ。
南北朝時代以前の作といわれる、新潟県指定重要文化財の3体の仏像を拝観。


地蔵菩薩像(延命地蔵様)。

閻魔天倚像(ジジ)。

倶生神坐像(バサ)。

その後、津川市街の新善光寺へ。

今回は、30年以上、観音堂を守り続けてくださっている寺久保氏からじきじきに貴重なお話をうかがいました。

福海観音菩薩像。


阿賀町観光ガイドの佐藤氏からもこの新善光寺がどれだけ権威があるか、様々な興味深いお話をしていただきました。

佐藤氏のお話の中には、越後街道ウォークのときには聞けなかった白虎隊士藤森八太郎の臨終のエピソードなどもありました。

そしてここから、阿賀町観光ガイドの会長、犬飼氏にご登場いただき、ユーモアたっぷりのお話を。

ちょっと風は強かったのですが、たまたま雨はあがり、明治時代以降の津川新港にてお話をうかがいました。


最後は諏訪峠入口、石畳の前で渡部氏からレクチャーを。

一応、私、「講師」という立場でしたが、実際はほとんど阿賀町観光ガイドさんに丸投げで(笑)、「コーディネーター」に徹しさせていただきました。
ほんと阿賀町の方々は知識が深く、話題も豊富で、話も面白くて、素晴らしいです。
この場を借りて厚く御礼申し上げます。

帰りはあがの温泉まんじゅう、そして阿賀町の地酒屋に寄り、参加者みなさん、いっぱいお土産購入されていました。


これで今年度の会津発見塾も終了。
肩の荷が降り、ほっとしております。
会津の人と、越後の人の交流する機会はこれからもなんらかの形で設けていきたいと思う次第です。
300年の歴史を誇る薬局 - 2014.11.12 Wed
今、私のとなりの席に座っている今年からの市の新職員は、なんと喜多方市街で300年の歴史を誇る伝統の薬局店のご子息です。
実は彼が着任当初の4月に、実家に残る貴重な古写真を見せてくれて、スキャナで取り込んでいたのですが、その後忙しさにかまけてうっちゃっていました。
半年ぶりにようやくご紹介できます(苦笑)。

↑が昭和初期頃? ↓が現在の冠木(「かぶき」と読みます)薬局。二階部分は昔のままの形が残っていますね。

写真向かって右側の上部には「享保元年創業」と書かれた看板が今も残っているそうです。
享保元年といえば、1716年。なんともうすぐ300周年を迎える由緒ある薬屋なんですね。
興味深いのは今も残る店名の横の三角形の中にある「瀬文」の文字。
これは「せぶん」と読むそうです。ん?7?なな?しち?
江戸時代にそんな英語の意味があるわけないですね(苦笑)。
これは屋号の「瀬屋文治右衛門(せのやぶんじうえもん)」の略だそうで、現在の大和川酒造の弥右衛門さんのように、冠木薬局では代々当主がこの名を襲名していたとか。
続いて、これは昨年の山都G.T.のイベント「斉藤一の足跡を辿る」でも訪れた「安勝寺」の古写真。

安勝寺は応永29年(1422)の創建。しかし本堂は明治13年の大火で焼失、その後再建されたとのことで、この古写真はその再建のときのものと思われます。



その時の大火の教訓により、再建された本堂は土蔵と同じ珍しい形となっていて、一見の価値ありです。
境内は戊辰の役の際には野戦病院となったそうで、本堂脇には長岡藩士の墓もあります。
また、昨年の大河ドラマ「八重の桜」の重要な登場人物、新島襄の師、添川廉斎(廉斎は残念ながら大河には登場しませんでしたが)の生家はすぐ近くにあり、廉斎の墓は安勝寺境内にあります。
冠木薬局と安勝寺の位置図は→こちらをクリック
実は彼が着任当初の4月に、実家に残る貴重な古写真を見せてくれて、スキャナで取り込んでいたのですが、その後忙しさにかまけてうっちゃっていました。
半年ぶりにようやくご紹介できます(苦笑)。

↑が昭和初期頃? ↓が現在の冠木(「かぶき」と読みます)薬局。二階部分は昔のままの形が残っていますね。

写真向かって右側の上部には「享保元年創業」と書かれた看板が今も残っているそうです。
享保元年といえば、1716年。なんともうすぐ300周年を迎える由緒ある薬屋なんですね。
興味深いのは今も残る店名の横の三角形の中にある「瀬文」の文字。
これは「せぶん」と読むそうです。ん?7?なな?しち?
江戸時代にそんな英語の意味があるわけないですね(苦笑)。
これは屋号の「瀬屋文治右衛門(せのやぶんじうえもん)」の略だそうで、現在の大和川酒造の弥右衛門さんのように、冠木薬局では代々当主がこの名を襲名していたとか。
続いて、これは昨年の山都G.T.のイベント「斉藤一の足跡を辿る」でも訪れた「安勝寺」の古写真。

安勝寺は応永29年(1422)の創建。しかし本堂は明治13年の大火で焼失、その後再建されたとのことで、この古写真はその再建のときのものと思われます。



その時の大火の教訓により、再建された本堂は土蔵と同じ珍しい形となっていて、一見の価値ありです。
境内は戊辰の役の際には野戦病院となったそうで、本堂脇には長岡藩士の墓もあります。
また、昨年の大河ドラマ「八重の桜」の重要な登場人物、新島襄の師、添川廉斎(廉斎は残念ながら大河には登場しませんでしたが)の生家はすぐ近くにあり、廉斎の墓は安勝寺境内にあります。
冠木薬局と安勝寺の位置図は→こちらをクリック
農家民宿のススメ - 2014.11.12 Wed
市からの委託を受けて、山都地区で農泊開業希望の方を対象に、先進地である山形県飯豊町へ行って農泊について学ぶ研修会を山都G.T.で企画することになりました。
該当される方は奮ってご参加ください。

印刷用PDFは→こちらをクリック
該当される方は奮ってご参加ください。

印刷用PDFは→こちらをクリック
「かせる」。 - 2014.11.11 Tue
会津に完全に拠点を移して5年。
いまだに会津の言葉ではわからないフレーズがしばしば登場します。
こんにゃく作りの打ち合わせをしていたときのこと。
「こんにゃく作りのときはビニール手袋みたいなの必要だ。かせっつまう~」
私「カセッツマウ????」
答え: かせっつまう→「かせって」しまう
かせる=かぶれる。
なるほど。
あと最近、私の「会津弁辞書」に新規登録されたのは
「げすぬげ」
「しびらっこぐ」
です。
いまだに会津の言葉ではわからないフレーズがしばしば登場します。
こんにゃく作りの打ち合わせをしていたときのこと。
「こんにゃく作りのときはビニール手袋みたいなの必要だ。かせっつまう~」
私「カセッツマウ????」
答え: かせっつまう→「かせって」しまう
かせる=かぶれる。
なるほど。
あと最近、私の「会津弁辞書」に新規登録されたのは
「げすぬげ」
「しびらっこぐ」
です。
こんにゃく作り体験 - 2014.11.07 Fri
今月の雑穀おむすびの結その5は脱穀と干し柿づくりですが、来月13-14日に開催予定のその6では収穫祭、たくあん作りの他に、こんにゃく作り体験を行いたいと思ってまして、宮古へその打ち合わせに行ってきました。

ちょうど収穫されたこんにゃくいもがずらり。
低温に弱いこんにゃくいもは畑に置いたままにできず、冬になる前に全部収穫して、家の中の暖かいところで管理するのです。
食用となるのは3年~4年たったものだけなので、1年や2年のはいったん収穫して、春にまた埋めなおします。
大変な作業ですよね。



こんにゃくいもはじゃがいもと同じく種イモから増えていきますが、その年には食べられるサイズにはならず、3年から4年かかります。
このとがったのが「生子(きご)」と言われる、こんにゃくいもの赤ちゃんです。

こうしてぽきっと折って、来年植えます。これが1年生となります。

写真真ん中上が「生子」、下が1年生、右下が2年生、右上が3年生。

作り方はまた後日ということで、今日つくりたてほやほやのコンニャクをみせていただきました。
今回、コンニャクづくり体験でお世話になる大下(おおしも)さんは、こうして自家栽培のこんにゃくいもから作っているので、真っ白ではなくやや黒みががっています。


少しお土産にいただきました。
今夜は刺身こんにゃくで一杯、です(笑)。
12月のイベントでは、こんにゃくいもから皮むき、すりおろし、コンニャクにするまですべて体験して、その場で自分でつくったものを味わいます。
お土産用もたっぷりつくる予定です。
カロリーが極めて低く、食物繊維が豊富な最高のダイエット食品。
お楽しみに~。
その前に11月22-23日の雑穀おむすびの結その5脱穀&干し柿づくり(こちらをクリック)
24日の飯豊の幸やまとのみそづくり体験(こちらをクリック)も参加者募集中です。
よろしくお願いいたします。

ちょうど収穫されたこんにゃくいもがずらり。
低温に弱いこんにゃくいもは畑に置いたままにできず、冬になる前に全部収穫して、家の中の暖かいところで管理するのです。
食用となるのは3年~4年たったものだけなので、1年や2年のはいったん収穫して、春にまた埋めなおします。
大変な作業ですよね。



こんにゃくいもはじゃがいもと同じく種イモから増えていきますが、その年には食べられるサイズにはならず、3年から4年かかります。
このとがったのが「生子(きご)」と言われる、こんにゃくいもの赤ちゃんです。

こうしてぽきっと折って、来年植えます。これが1年生となります。

写真真ん中上が「生子」、下が1年生、右下が2年生、右上が3年生。

作り方はまた後日ということで、今日つくりたてほやほやのコンニャクをみせていただきました。
今回、コンニャクづくり体験でお世話になる大下(おおしも)さんは、こうして自家栽培のこんにゃくいもから作っているので、真っ白ではなくやや黒みががっています。


少しお土産にいただきました。
今夜は刺身こんにゃくで一杯、です(笑)。
12月のイベントでは、こんにゃくいもから皮むき、すりおろし、コンニャクにするまですべて体験して、その場で自分でつくったものを味わいます。
お土産用もたっぷりつくる予定です。
カロリーが極めて低く、食物繊維が豊富な最高のダイエット食品。
お楽しみに~。
その前に11月22-23日の雑穀おむすびの結その5脱穀&干し柿づくり(こちらをクリック)
24日の飯豊の幸やまとのみそづくり体験(こちらをクリック)も参加者募集中です。
よろしくお願いいたします。
ナメコ収穫 - 2014.11.06 Thu
「山都の峠シリーズ」 五分一(ごぶいち)峠 - 2014.11.05 Wed
木々の葉も落ち、雪が降る前は、旧道探索のシーズン。
(ま、森のクマさんにも会える季節ですが(苦笑))。
大体のルートは地図に落としていたけど、まだ踏破してなかった山都北部の峠、五分一峠の調査に行ってきました。
峠の名前は、喜多方側の起点となる集落の名前からきています。
「ごぶいち」とは変わった名前ですよね。
となるとどうしても由来を知りたくなるのが私のクセ(苦笑)。
最初は村八分的なネガティブなイメージを持ってたのですが、違いました。
昔、五分一集落のあたりは隣の譲屋(ゆずりや)集落の範囲内だったそうですが、人口が増えてきて独立することになり、その際譲屋村の五分の一を別村としたことから、そのまま村の名前となったそうです。
なるほど。

そして峠道はイベントを想定して、山都側・沼ノ平を起点に。
福寿草の群落に行ったことある方ならピンとくるかもしれませんが、春はカエルの卵いっぱいの池の端から旧道ははじまります。

道形は結構しっかり残っていて、いい感じですすみました。


かつての木橋の残骸も。

しかし、どうやら私の想定していた道とは違ったようで、だいぶ北へ進んだ後、無理やり下って川へ。
ジャブジャブと渡渉を強いられました。
林道出るまでの道は再調査が必要のようです。


林道に出て少し行った後、旧道の鉄則「ななめ前方」にしっかり道形が残っていました。



今度は県道の舗装路へ出た後、この写真右斜め前方へ向かっているのがいよいよ五分一峠への道。


雙座松峠、譲屋峠、そして旧越後街道の峠。。。。数々のヤブ漕ぎを強いられた廃道に近い峠を通ってきた経緯があるので、それと比べるとこの五分一峠は歩きやすかったです。




峠からの飯豊の眺めは秀逸。

桐の木が2本、多少眺望を邪魔していますが、大日岳方面がばっちりでした。

そしてさらに眺望のよかったのが、この場所。

磐梯山から高曽根山、日中ダム、日中飯森山をバックに喜多方の平野が眼下に一望できました。


かつてこの道を往来した人々も、おそらくここで一休みしたことでしょう。
目印となっていたと思われる巨木がありました。

最初、何の木かなあ、とわからなかったのですが、落ちてる実をみて、なるほど、と。


「ヤマナシ」の巨木でした。
やまなしというと、私はやっぱり宮沢賢治の童話を思い浮かべます。
「クラムボンはかぷかぷ笑ったよ」っていう有名なアレです。

五分一峠は、山都G.T.イベント化できそうなとてもいい道でした。
ただ、逆にこれまでの私のイベントでヤブ漕ぎを楽しんでらした方々にはちょっと物足りないかもしれませんが(笑)。
まだ一部の道の調査が必要ですが、他の峠の調査と並行してつめていきたいですね。
(ま、森のクマさんにも会える季節ですが(苦笑))。
大体のルートは地図に落としていたけど、まだ踏破してなかった山都北部の峠、五分一峠の調査に行ってきました。
峠の名前は、喜多方側の起点となる集落の名前からきています。
「ごぶいち」とは変わった名前ですよね。
となるとどうしても由来を知りたくなるのが私のクセ(苦笑)。
最初は村八分的なネガティブなイメージを持ってたのですが、違いました。
昔、五分一集落のあたりは隣の譲屋(ゆずりや)集落の範囲内だったそうですが、人口が増えてきて独立することになり、その際譲屋村の五分の一を別村としたことから、そのまま村の名前となったそうです。
なるほど。

そして峠道はイベントを想定して、山都側・沼ノ平を起点に。
福寿草の群落に行ったことある方ならピンとくるかもしれませんが、春はカエルの卵いっぱいの池の端から旧道ははじまります。

道形は結構しっかり残っていて、いい感じですすみました。


かつての木橋の残骸も。

しかし、どうやら私の想定していた道とは違ったようで、だいぶ北へ進んだ後、無理やり下って川へ。
ジャブジャブと渡渉を強いられました。
林道出るまでの道は再調査が必要のようです。


林道に出て少し行った後、旧道の鉄則「ななめ前方」にしっかり道形が残っていました。



今度は県道の舗装路へ出た後、この写真右斜め前方へ向かっているのがいよいよ五分一峠への道。


雙座松峠、譲屋峠、そして旧越後街道の峠。。。。数々のヤブ漕ぎを強いられた廃道に近い峠を通ってきた経緯があるので、それと比べるとこの五分一峠は歩きやすかったです。




峠からの飯豊の眺めは秀逸。

桐の木が2本、多少眺望を邪魔していますが、大日岳方面がばっちりでした。

そしてさらに眺望のよかったのが、この場所。

磐梯山から高曽根山、日中ダム、日中飯森山をバックに喜多方の平野が眼下に一望できました。


かつてこの道を往来した人々も、おそらくここで一休みしたことでしょう。
目印となっていたと思われる巨木がありました。

最初、何の木かなあ、とわからなかったのですが、落ちてる実をみて、なるほど、と。


「ヤマナシ」の巨木でした。
やまなしというと、私はやっぱり宮沢賢治の童話を思い浮かべます。
「クラムボンはかぷかぷ笑ったよ」っていう有名なアレです。

五分一峠は、山都G.T.イベント化できそうなとてもいい道でした。
ただ、逆にこれまでの私のイベントでヤブ漕ぎを楽しんでらした方々にはちょっと物足りないかもしれませんが(笑)。
まだ一部の道の調査が必要ですが、他の峠の調査と並行してつめていきたいですね。