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2018-04

第7回(今年度最終回) 会津発見塾~白河街道・湖南方面の寺・神社を中心に~ - 2012.11.14 Wed

11月7日、先日下見にも参加した、第7回会津発見塾(今年度最終回)に行ってきました。

これまでの発見塾の模様は→こちらをクリック

今回のテーマは白河街道の湖南パート。街道沿いにある神社仏閣を中心に巡ります。
まずは郡山市湖南町福良にある千手院・伏竜寺へ。
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境内にある大きなカエデが紅葉見頃をむかえていて、のっけから感嘆の声が。

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観音堂への石段の両脇には、山門のように一対のモミの巨木があります。
樹齢400年以上、郡山市の天然記念物に指定されています。
完全な対でなく、微妙に斜めに前後してるのが興味深いですね。

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幹の太さもですが、根の張り方が迫力満点。巨木好きの私としてはもうほんとうっとりです(笑)。

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写真左の方のモミは平成2年に落雷の被害があり、その後修復が行われたとのこと。

伏竜寺の名の起源には興味深い伝説があります。
その昔、猪苗代湖から大蛇が出て山を荒らしまわり、谷や沢に死気を撒き散らしていたため、里には悪疫がはびこり、暗雲が天を覆って作物も実らず、村人は苦しんでいました。
そこへ弘法大師が通りかかり、村人を哀れに思って大蛇のいる山に登り、大蛇の根城である大岩の上を箒で掃き清めると、大蛇は退散し麓山の裾の洞窟に這って逃げ込みました。
しかし、頭隠して尻隠さず、もがいているところを里人に見つかり、切り殺されてしまったそうです。
山に逃げた大蛇の尾が竜の臥せた姿に似ていたことから「伏竜寺」と名づけた、と伝わります。
ちなみに現在薬師堂だけが残る、大蛇が逃げた洞窟のあった付近は穴尾という地名が、大蛇の根城を掃いたところを岩掃山という名が今も残っています。

また、ここ伏竜寺は、戊辰戦争時には新撰組の野戦病院となっていたことも知られています。

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千手院観音堂には県の重要文化財に指定されている秘仏があります。
それは毎年7月17日の例大祭の日、1日のみしか公開されないのですが、今回特別に拝観させていただきました。

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「福良千手千眼観世音立像菩薩」。
ヒノキ材の一木彫、像高1.73mもある大きな仏像で、鎌倉時代よりも前、藤原末期の仏教文化を伝える貴重なものといわれています。
縁起書によれば大同年間(807年)に弘法大師自らの彫刻と伝わります。

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足元はみれませんでしたが、いただいたパンフの写真ではこのようなお姿であられます。木目がとても美しい造りでした。

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また、伏竜寺境内には「おたか不動尊」があります。

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となりには秩父宮勢津子妃殿下の参拝記念碑が。

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この御地蔵様として祀られているのは、「おたかさん」の愛称で親しまれている高橋たか刀自。
おたかさんは勢津子妃殿下が4歳の時からお興入れされるまで乳母として一身を投げ打って養育に努めた人なのでした。
女性で御地蔵様にまでなっている人は稀でしょうし、私は今回はじめて知りましたが、まだまだ会津にはあまり知られていない素晴らしい女性がいるのですね。

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観音堂に向かって左手の奥のほうに、おたかさんのお墓があります。
日露戦争で戦死した夫・高橋誠二郎氏とともに眠っています。

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脇には妻「ムツ」と。
そう、おたかさんの本名は「高橋ムツ」というそうです。
しかし、乳母をつとめた勢津子様が皇族へ嫁ぐ際、明治天皇の幼名が「睦仁(むつひと)」であるため、恐れ多いということで、「タカ」と改名したそうです。



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そして伏竜寺をあとにし、隠津島(おきつしま)神社へ。
創祀年代は不明ですが、三世紀に大和朝廷の東北平定の際に遠く九州から勧進されたとも伝えられており、かなり古そうです。

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猪苗代の大山祇神社社叢と同様、この隠津島神社の社叢も、数百年もの間神域として斧を入れられることもなく、原生林の形をそのまま残しており、森自体が県の天然記念物に指定されています。

例えばあの伊勢神宮もそうですが、ここも凛とした空気が全体に漂っていて、普段それほど信心深いわけでもない私でも、ひとたび「神域」に踏み込めばとても厳かな気持ちになります。
「対人」でもなく「唯物」でもない自然発生的なもの。
やっぱり自分は日本人なんだな、と。

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「菅谷地」と呼ばれる神域。
新編会津風土記によると、「社の前に多く菅の生する所あり。早魃の時神職桑名氏潔斎して菅を採れば雨必ず降る」と伝えられております。
江戸時代にはこの隠津島神社は「菅明神」と呼ばれていたとか。

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本殿は入母屋造で銅板葺。祭神は宗像三女神。九州から海の神ではなく農耕の神として遷されたものと考えられています。

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本殿のある神域は背後にある巨岩に見てとれるように磐座(いわぐら)であって、風穴もあり、山・岩そのものを神の依り代として信仰した古代人がここに神域を見出した理由がとてもよくわかります。

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本殿の左手にさらに少し登っていく道があります。
別宮である風月堂、「蛇神様」へ向かう道です。

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風穴のある巨岩の上にお堂が建っています。

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蛇は水辺や湿地に多く生息するので、水の神の姿またはその使者とみて蛇に雨乞いをしたり、五穀豊穣を祈ったりと、この土地の重要な信仰の対象となってきたと思われます。

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この風穴には神である蛇が棲んでいると言われ、生卵をお供えするのが習わしです。

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また、この森は、ミズナラの下生植物が日本海型と太平洋型とが混生しているそうで、この地域が両洋気候の接点地帯であることを示す注目すべき場所であるとのことです。

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そして、隠津島神社の近くを流れる沢に下りてみると。。。

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これが「菅滝」です。
高さ7mほどの小さな滝ですが、かつてはここで雨乞いの儀式が行われていたという伝説が残る由緒ある滝です。

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滝のそばの木の根元には、こんな穴が。
以前私の家の脇の杉も全く同じようにやられたことあったのでわかるのですが、おそらくクマが掘った痕ではないかと。木の洞に蜂が巣をつくると蜂蜜欲しさにクマが掘っちゃうんですよね。

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そして隠津島神社を後にし、昼食へ行く前にちょっと寄り道。
郡山市の重要文化財に指定されている「磨崖供養塔」。
古代から中世にかけての白川郡から会津に抜ける唯一の街道はこのへんを通っていたそうで、隠津島神社もその街道沿いにありました。

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一番上に阿弥陀如来を表す梵字、その下に永仁2年(1294年)蓮阿と書いてあるらしいですが、蓮阿という人物は会津の歴史には登場せず、不明だそうです。


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そして、湖南町中野にある東光寺へ。
まず境内入り口にそびえる巨木、「大仏の大ケヤキ」。
福島県の天然記念物および緑の文化財に指定されていて、県内では若松の神指城跡にある高瀬の大ケヤキに次ぐ大樹です。

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なぜ「大仏の」ケヤキというかというと。。。

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東光寺阿弥陀堂内には通称「中地大仏」、県の重要文化財に指定されている木造阿弥陀如来坐像が安置されているからです。
(普段は扉が閉められていて、大仏様を拝観するには事前予約が必要です。)

前九年の役(1053年頃)でこの地を踏んだ源義家公が、戦勝を祈願して中地村堂ノ窪にお堂を建て、大仏を安置したのが始まりといわれ、鎌倉時代以降、安積伊東氏が管理していたものの、伊東氏が没落すると東光寺も廃れましたが、寛文年間(1661~1672年)にかの保科正之公が西に3kmほど移動した現在の位置に遷座し、以来大仏殿は藩公の祈願所として江戸からも参詣者が来るほど栄えたそうです。

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この中地大仏は座高3.31m。座高が2.41mの喜多方の会津大仏よりも大きいです。
しかし、肩幅が頭部の大きさにくらべて狭く、細身の大仏様だなあ、と思っているとなんと!
肩には削った跡があり、保科正之に保護される前の荒廃していた時期に雨ざらしに遭って腐食したためその部分を削ったためとも、お堂が火災に遭った際に燃えてしまったぶんを削ったためこのような肩幅になったともいわれています。

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写真ではわかりませんが、大仏様は大仏動座の際に使用した木車の上に今も安置されていて、もしお堂が火事になったら正面の壁が取り払われ、台座ごと引っ張り出せるようになっているそうです。

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お堂の中には江戸時代につくられた木彫りのおみくじ原版も展示されていました。

ちなみに義家軍は東征を続けるにあたり、その場所場所で兵士を半ば土着させ、地元の娘達と結婚させて支配を強めていったそうですが、ここではその結婚式場にあてられたのがこの大仏殿だったそうです。
そこで後世、「中地大仏縁結び」と謳われるようになり、今もってカップルのお参りが絶えないとか(笑)。



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東光寺をあとにし、猪苗代湖方面へ。
舟津にある代官所跡の碑。
江戸時代、会津藩の廻米は、笹山原からここを経由して江戸へ送られていました。
米だけでなくいろんな物資が運ばれ、ここ舟津は大変にぎわっていたそうです。

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舟津浜から青松浜への途中(湖南から西へ時計回り)、猪苗代湖が入江のようになっている地形の美しいところがあります。それが鬼沼です。
中世には港として使われていたとか。
はやくも白鳥の姿が見られました。

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青松浜の手前にある「藩領境の碑」。
大永三年(1523年)、舟津村(二本松領)と福良村(会津領)との間に境界争いが起きて、葦名氏による裁決の結果、ここが境と定められたとのこと。
本当はその時目印に植えられた大松があったそうですが、今は枯れて、根の部分だけが残っています。

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これがその大松の根っこです。

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猪苗代湖。風があって波高く、一見すると海ですね(笑)。

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対岸に磐梯山。

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帰り道、少し時間が余ったので、私の知ってる湧き水をみなさんに飲んでもらおうと寄り道しました。
西田面(にしたづら)集落のはずれにある「馬洗い清水」。
ここは旧白河街道沿いで、おそらく宿場に入る前に馬を洗ったからこういう名前が付いているのではないかと。

と、いう感じで今年度の会津発見塾は無事全日程終了しました。
ひょんなことで4月から関わることになった「会津発見塾」。
私自身、下見や下調べの段階からいろんな出会いや発見があって、とても有意義な時間でした。

活性化って、きっと「再発見」からスタートするのかな、と。
地元の人すら知らないマニアックないろんな自然、歴史、文化を来年も掘り起こしていけたらいいな、と思います。

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