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2018-04

藤田五郎(斉藤一)の墓 - 2013.06.10 Mon

23日の斉藤一イベント、まだ地元新聞には募集記事が載っていないのですが、ツイッターやブログをご覧になった方から早くもお申し込みが。
関東や、なんと山都G.T.初! 九州は福岡県からの参加申し込みがあり、喜んでおります。
(遠来賞創設に向けて今考え中です(笑))

これから23日までは幕末関連の話題を中心に書いていきたいと思います。

まずは今回のイベントのメインターゲット、斉藤一。
ご存じの方も多いかと思いますが、あの剣客揃いの新選組の中でも沖田総司、永倉新八と並んで「最強」といわれた剣士です。

戦局が悪化の一途をたどる会津を離れ北へ向かおうとする土方や旧幕臣の面々に対し、「今、落城せんとするを見て志を捨て去る、誠義にあらず」と言って、最後まで会津に残り、命運をともにした斉藤一。

ほとんどが若くして討死している新選組隊士にあって、永倉とともに例外的に天寿をまっとうした斉藤さんのお墓は、ご本人の遺言により会津若松にあります。

IMG_0418.jpg
藤田五郎(斉藤一)の墓。  (雪に埋もれてる写真しか見当たらなかったのでスミマセン。私は冬にひっそりと訪れるのが好きなもので。。。)
墓は七日町通りの阿弥陀寺の境内にあります。
(阿弥陀寺 〒965-0044 福島県会津若松市七日町4-20)

斉藤一は、その危険な任務のせいか、いくつも名前を変えています。
いわゆる「斉藤一」は新選組全盛期の時の名で、スパイ潜入していた御陵衛士から新選組に戻ったときには「山口次郎」、会津戦争の最後のほうでは「一之瀬伝八」、斗南藩に移る時からは「藤田五郎」と名乗ってました。
そんなわけで墓には「藤田」姓が刻まれています。


因みに阿弥陀寺の境内には、斉藤一の墓の前に、重要な鶴ヶ城の遺構があります。
IMG_0413.jpg
「御三階」。
阿弥陀寺は戊辰戦争で堂宇が消失し、明治3年に鶴ヶ城の小天守にあたる「御三階」を移築し本堂としたため、今となっては鶴ヶ城の江戸時代から残っている貴重な遺構となってます。
もちろん中には入れませんが、この「御三階」は外から見ると3階、しかし内部は4階になっているそうで、鶴ヶ城内にあった時は重要案件を話し合う密談が行われた重要な場所でした。移築の際には本丸御殿の玄関唐破風も同時に移築され、現在のような形となったそうです。
この建物の中で密談が。。と想像するだけで楽しいですね(笑)。

IMG_0414.jpg


話を斉藤一に戻すと、私の聞いた興味深いエピソードをいくつか。

晩年、警察官になったのち、師範学校で剣術を教えることになった際、学生はだれも斉藤の竹刀に触れることさえできなかったとか。

子供たちにも剣術や武士の心を教えていて、「常在戦場」の考えから、常に物陰から不意打ちしたりして、子供たちに恐れられてたそうです(笑)。

子供たちには「玄関は頭から出るな、足から出ろ」と常々語っていたそうです。待ち伏せされていた場合、頭をやられたらそこで終わりだが、足だけならその後反撃して敵を倒せる、と(笑)。

そんな斉藤さん、東京での最期は正座したままの姿で大往生、と伝わっています。

では今日はこのへんで~。
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