越後街道探索ウォーク 無事終了しました! その1(初日) - 2012.06.05 Tue
さる6月2日、3日の二日間に渡って、喜多方市、西会津町、会津坂下町において越後街道探索ウォークが行われました。
初日は1611年の慶長大地震以前の道を、西羽賀から野沢まで。
二日目は大地震以後の道を今度は野沢から片門まで。
街道沿いの名所旧跡や野花を見ながら、参加者延べ25人で歩きました。
6月2日 西羽賀~塩坪~漆窪~松原利田~尾登~松尾~野沢 約15.5km

朝、喜多方市高郷総合支所集合、まずはスタート地点西羽賀の舟着き場跡へ。

旧越後街道は、西羽賀と東羽賀の間の阿賀川を渡し舟が運航していました。
(明治9年以降は「船橋」といって、舟を並べてその上に敷板を並べて渡るという仕組みをとったそうです。)


そしてこの辺りは「舟場」という地名で、この建物の屋号は「マス屋」といって、豆腐を出したりする茶屋と旅籠を営んでいたそうです。

西羽賀はかつて何度か大火によって村全体が消失しており、集落の端と端に火除け地蔵尊が置かれています。

西羽賀集落のほぼ中央の現在造り酒屋を営んでおられる斉藤家は、かつて肝煎(庄屋や名主と同義)を勤め、家の前には高札場があったとのこと。同家には江戸後期のものと思われる西羽賀村絵図があり、参加者全員で見させていただきました。



斉藤家の向かいに西に向かう道があり、これが古い越後街道だったとの文献があったのですが、今は途中で道が藪になってます。しかし、我ら探索隊はあえて突入(笑)。

3km地点、塩坪橋から。かつて会津は海の底でした。この付近は約1000万年前の砂岩層で、クジラやサメ、アシカなど海にすむ哺乳動物の他、巻貝や二枚貝などの化石が大量に埋れています。昭和55年に国内では数例しか存在しない学術的にも大変貴重なダイカイギュウの一種、「アイヅタカサトカイギュウ」が発見され、世界中からスポットを浴びるようになりました。


この阿賀川左岸をかつて越後街道は通っていました。しかし現在は阿賀川の氾濫等で削られてしまい、道の痕跡は途中からはっきりしません。しかし化石ごろごろの楽しい河原歩きを堪能しました。



わかりずらいかもしれませんが、写真右手前の四角い穴が戊辰戦争時、西軍の侵攻を阻むために会津軍がつくった門の柱穴で、「カンモン」と呼ばれています。
拡大↓

このカンモンの対岸(阿賀川右岸)に徳川幕府重臣小栗上野介の家臣だった塚越富五郎の墓があります。
塚越富五郎は上州、いまの群馬県の侍ですが、西軍がその知恵と胆力を恐れ無抵抗の小栗上野介を斬首したのを受け、「罪のない小栗の殿様を殺した西軍に一矢報いたい」と会津軍に加わり、この地で戦死したのだそうです。


漆窪集落に近づいたあたりから貝などの化石の数が増えていきます。みんなで化石の種類勉強会。



ツキガイモドキ、ウバトリガイ、エゾイシカケガイ、オウナガイ などなど。

漆窪へ入る辺りの街道も今は寸断されてしまっていて、杉林から田んぼのあぜ道を進みました。
漆窪(うるしくぼ)はその名の通り、漆の木が多い場所で、会津藩はこの漆を厳重な管理下におき、漆の樹液を年貢として取り立てていたそうです。
また、昔、漆窪の神様が「牛の糞ですべって、ゴマのからで目をつつき、井戸に落ちた」そうで、漆窪では「牛を飼わない」「ゴマをつくらない」「井戸を掘らない」ということが長い間続いてきていて、「ゴマを作らない」は現在も続いているとのことです。

漆窪、そして松原利田を過ぎてしばらく行くと、小野小町の塚があります。小野小町の墓は全国にたくさんありますが、ここの塚は新編会津風土記に小野小町が年老いて出羽へ赴く途中、病のためにここで没したと記載されています。

その塚のそばにある「小野小町の化粧清水」

化粧清水を過ぎてしばらく行くと、この日のルート最大の難所、尾登峠への急登が始まります。




峠の頂上には、尾登伊豆神社の3つの祠がありました。


尾登集落側には見事に一直線の石段が続いていました。





松尾集落には「酒の神」を祀る松尾神社があります。参道左には「貴水」と呼ばれる清水があり、会津の多くの酒蔵がその年の最初の酒にこの「貴水」を加えてつくる儀式を今も行っているそうです。


そして、この日は野沢の西会津町役場へゴール。遠方(名古屋、東京、新潟など)からきて2日目も参加の方々は往時の面影を残す旅籠、「十一塩屋」に宿泊。
十一塩屋(じゅういちしおや)
西会津町野沢字上原乙2404
(0241)45-2015
1泊2食付 6500円~

遠来賞として五十嵐さんの御厚意で配られた、クロモジを使った手作りの箸を持ちながら、野沢のおいしい地酒「栄川(さかえがわ)」で、日付が変わるまで宴は続きました(笑)。
本イベント報告は二日目の野沢~縄沢~軽沢~束松峠~片門ルートに続きます。
初日は1611年の慶長大地震以前の道を、西羽賀から野沢まで。
二日目は大地震以後の道を今度は野沢から片門まで。
街道沿いの名所旧跡や野花を見ながら、参加者延べ25人で歩きました。
6月2日 西羽賀~塩坪~漆窪~松原利田~尾登~松尾~野沢 約15.5km

朝、喜多方市高郷総合支所集合、まずはスタート地点西羽賀の舟着き場跡へ。

旧越後街道は、西羽賀と東羽賀の間の阿賀川を渡し舟が運航していました。
(明治9年以降は「船橋」といって、舟を並べてその上に敷板を並べて渡るという仕組みをとったそうです。)


そしてこの辺りは「舟場」という地名で、この建物の屋号は「マス屋」といって、豆腐を出したりする茶屋と旅籠を営んでいたそうです。

西羽賀はかつて何度か大火によって村全体が消失しており、集落の端と端に火除け地蔵尊が置かれています。

西羽賀集落のほぼ中央の現在造り酒屋を営んでおられる斉藤家は、かつて肝煎(庄屋や名主と同義)を勤め、家の前には高札場があったとのこと。同家には江戸後期のものと思われる西羽賀村絵図があり、参加者全員で見させていただきました。



斉藤家の向かいに西に向かう道があり、これが古い越後街道だったとの文献があったのですが、今は途中で道が藪になってます。しかし、我ら探索隊はあえて突入(笑)。

3km地点、塩坪橋から。かつて会津は海の底でした。この付近は約1000万年前の砂岩層で、クジラやサメ、アシカなど海にすむ哺乳動物の他、巻貝や二枚貝などの化石が大量に埋れています。昭和55年に国内では数例しか存在しない学術的にも大変貴重なダイカイギュウの一種、「アイヅタカサトカイギュウ」が発見され、世界中からスポットを浴びるようになりました。


この阿賀川左岸をかつて越後街道は通っていました。しかし現在は阿賀川の氾濫等で削られてしまい、道の痕跡は途中からはっきりしません。しかし化石ごろごろの楽しい河原歩きを堪能しました。



わかりずらいかもしれませんが、写真右手前の四角い穴が戊辰戦争時、西軍の侵攻を阻むために会津軍がつくった門の柱穴で、「カンモン」と呼ばれています。
拡大↓

このカンモンの対岸(阿賀川右岸)に徳川幕府重臣小栗上野介の家臣だった塚越富五郎の墓があります。
塚越富五郎は上州、いまの群馬県の侍ですが、西軍がその知恵と胆力を恐れ無抵抗の小栗上野介を斬首したのを受け、「罪のない小栗の殿様を殺した西軍に一矢報いたい」と会津軍に加わり、この地で戦死したのだそうです。


漆窪集落に近づいたあたりから貝などの化石の数が増えていきます。みんなで化石の種類勉強会。



ツキガイモドキ、ウバトリガイ、エゾイシカケガイ、オウナガイ などなど。

漆窪へ入る辺りの街道も今は寸断されてしまっていて、杉林から田んぼのあぜ道を進みました。
漆窪(うるしくぼ)はその名の通り、漆の木が多い場所で、会津藩はこの漆を厳重な管理下におき、漆の樹液を年貢として取り立てていたそうです。
また、昔、漆窪の神様が「牛の糞ですべって、ゴマのからで目をつつき、井戸に落ちた」そうで、漆窪では「牛を飼わない」「ゴマをつくらない」「井戸を掘らない」ということが長い間続いてきていて、「ゴマを作らない」は現在も続いているとのことです。

漆窪、そして松原利田を過ぎてしばらく行くと、小野小町の塚があります。小野小町の墓は全国にたくさんありますが、ここの塚は新編会津風土記に小野小町が年老いて出羽へ赴く途中、病のためにここで没したと記載されています。

その塚のそばにある「小野小町の化粧清水」

化粧清水を過ぎてしばらく行くと、この日のルート最大の難所、尾登峠への急登が始まります。




峠の頂上には、尾登伊豆神社の3つの祠がありました。


尾登集落側には見事に一直線の石段が続いていました。





松尾集落には「酒の神」を祀る松尾神社があります。参道左には「貴水」と呼ばれる清水があり、会津の多くの酒蔵がその年の最初の酒にこの「貴水」を加えてつくる儀式を今も行っているそうです。


そして、この日は野沢の西会津町役場へゴール。遠方(名古屋、東京、新潟など)からきて2日目も参加の方々は往時の面影を残す旅籠、「十一塩屋」に宿泊。
十一塩屋(じゅういちしおや)
西会津町野沢字上原乙2404
(0241)45-2015
1泊2食付 6500円~

遠来賞として五十嵐さんの御厚意で配られた、クロモジを使った手作りの箸を持ちながら、野沢のおいしい地酒「栄川(さかえがわ)」で、日付が変わるまで宴は続きました(笑)。
本イベント報告は二日目の野沢~縄沢~軽沢~束松峠~片門ルートに続きます。
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