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2018-04

新選組斉藤一の足跡を辿るin喜多方 無事終了しました! - 2013.06.25 Tue

「八重の桜」、もうほんと涙とまらないですね。。。(苦笑)
いよいよ来週は、会津の人たちにとって最も長い日「1868年8月23日」。
覚悟をして見ないとですね。。。

来週の大河を見る前におさらい編は。。。→こちらをクリック

そして。
「今、落城せんとするのを見て、志を捨て去る、誠義にあらず」
斎藤一。

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先週会津も梅雨入りし、天気が少し心配だったのですが、快晴の中、「新選組斉藤一の足跡を辿るin喜多方」が開催され、遠くはなんと福岡県から!新選組や幕末史大好きな方々にご参加いただきました。

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まずは新選組が戦った一番西の地、「陣ヶ峯峠」へ。
斉藤一率いる新選組はじめ、町野主水率いる朱雀四番士中隊、大鳥圭介率いる伝習隊、さらに増援として長岡藩兵が迫りくる西軍(芸州、松代、新発田、長州)と激しい戦いを行いました。

新選組は1868年9月1日に塩川を出発、山都町木曾を経て、9月2日には陣ヶ峯峠で戦っています。

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今回、案内人講師をお願いしたのは、石田明夫先生。
大河ドラマ「天地人」の福島県部分の時代考証や原作に関わったり、昨年の福島民友紙上で一年間「新島八重の生涯」を執筆されたり、TV、出版社から協力依頼があり、会津の歴史等多数執筆、活躍されている方です。

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写真だとちょっとわかりづらいですが、こういった所々たいらになっている場所は当時砲台が設置された場所とのこと。このあたりで斉藤一が命をかけて戦っていたわけですね。

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写真左のくぼんだラインが、かつての越後裏街道。
西軍がここを通るのが見える場所に陣を張っていた形ですね。

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そしてこうやって狙い撃ちしたわけです。

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続いて喜多方市高郷町の大谷古墳公園へ。

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数ある墓の中に、陣ヶ峯峠で戦死した長岡藩士4人の墓があります。一同合掌。

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そして、これも激戦の場となった山都町舘原(たてのはら)へ。
まずは新編会津風土記にも記載のある古刹久昌寺。

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久昌寺には福島県指定文化財の十一面観世音菩薩があります。普段は非公開なのですが、特別に見せていただきました。(撮影は禁止なのでパンフの写真を)
弘安2年(1362)道円の作と伝わっています。

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その久昌寺のすぐそばの「舘原代官所跡」。ほとんど何も残っていなく、この石橋が唯一といってよい遺構。しかしよく残っています。石橋は四方にあって代官所はお堀で囲まれていたようです。
ここが戊辰の役当時、新選組らの宿営地になったとか。

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代官所跡のすぐお隣に住んでいらっしゃる方のお家に、戊辰戦争時の大砲の砲弾が残っているということで、お邪魔して見せていただきました。

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これがまさに戊辰戦争時の主力野戦砲「四斤山砲(よんきんさんぽう)」の砲弾。
「四斤」とは、砲弾重量が4㎏であることを意味します。
阿賀川の対岸、川井からの西軍の砲撃で舘原の大半は焼き払われてしまったのでした(9月4日)。

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真ん中の木の棒が発火材となるとのことで、破裂まで3分くらいかかるのだそうです。

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今回唯一の小学生の参加者、信じられないかもしれないけど本名「斉藤一(いち)」クン。まさにこのイベントにぴったりのマスコットボーイですね(笑)。
彼にはちょっとこの日のお話は難しかったかもしれませんが、この砲弾の重さとか、この日体験したことが大きくなっても頭のどこかに残っていてくれるとうれしいですね~。

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そして舘原から退いた会津軍が向かった山都町木曾へ移動。この木曾の宗像神社に斉藤一らは陣を敷いて戦ったとのことです。

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昼食は山都の「いいでとそばの里センター」内のそば伝承館(こちらをクリック)で。

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伝承館のご厚意で平常時にはないスペシャルメニューをご用意いただきました。
参加者のみなさん山都のそばを堪能されたようです。

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いつもアピールさせていただいてますが(笑)、玄そばの中心部分の70%しか使わない、そしてつなぎを使わないいわゆる「十割そば」、もちろん挽きたて・打ちたて・茹でたての山都のそばはほんとに絶品です。

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そして新選組が昼食をとった記録があるという慶徳地区を通り、喜多方市街中心部の小田付へ。
新選組が滞在した小田付代官所跡。旧幕臣大鳥圭介も合流しました。

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小田付代官所跡近くの瓜生岩子刀自の家があった近くの公園へ。
おそらく今の大河ドラマ「八重の桜」新島八重より、会津若松では中野竹子、そして喜多方ではこの瓜生岩子の方が有名というか人気があります。

瓜生岩子刀自については→こちらをクリック

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少し時間に余裕があったので、当初予定には入れていなかった満福寺の日向内記のお墓と長福寺の佐川官兵衛のお墓も訪れることにしました。
 
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満福寺 日向家の墓。

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長福寺 佐川官兵衛夫妻の墓。
日向内記と佐川官兵衛の墓については先日書いた記事をご参照ください。→(こちらをクリック

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最後に小荒井へ。
安勝寺。
この境内は戊辰戦争時、野戦病院となったそうです。

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ここ安勝寺にも長岡藩士の墓があります。

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境内の奥のこのお墓。
「添川廉斉」という方のお墓です。
この方、「八重の桜」には登場しないと思いますが(今まさに大河でやっている会津戦争の10年前にはすでに死去しています)、実はあまり知られていないけどとても重要なお方だったりします。

そのうちまたあらためてじっくり書きたいと思いますが、添川先生はここ小荒井村(現喜多方市寺町)生まれで、小さいころから学問、読書好きで、親は家業を継がせることを断念、武家屋敷奉公に出しちゃったそうです。

その後も学問に勤しみ、時の安中藩主に見いだされ、儒学者として雇われます。
安中藩といえば。。。。もうすぐ大河登場の新島襄。
添川先生の安中藩での学問所の生徒に若き新島襄がいたのでした。

添川先生はのちの新島襄の生き方に多大な影響を与えたとのことで、もしかしたらこの喜多方で生まれた偉人がいなかったら新島襄がアメリカに渡ることも、帰国してキリスト教を広めることも、同志社をつくることも無かったかもしれませんね~(笑)。

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北宮諏方神社のすぐとなりにひっそりと愛宕神社があるのですが、↓

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その愛宕神社の境内に添川廉斎先生の顕彰碑があります。
ここで今回のイベントは終了となりました。

石田先生曰く、今回のような喜多方での会津戦争の史跡を巡るイベントは過去に例がないとのこと(会津若松ではいっぱいありますが)。

遠くは関東、そして九州から参加してくださった方々、そして移動中も様々な解説をずっと途切れることなくしてくださった石田先生に本当に感謝したいと思います。

企画者の私自身とても意義深い1日となりました。
今後も隠れた歴史・文化・自然などを掘り下げる新しい企画にチャレンジしていきたいと思います。

今後とも山都地区G.T.推進協議会をよろしくお願いいたします。

ありがとうございました。
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