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2018-06

"戊辰戦争白河口の戦い"ゆかりの地を巡る - 2013.07.17 Wed

ちょっと間が空いてしまいましたが。。。
他団体のイベントをみることも今後の勉強になるかな、と個人的に参加してきました。
「6月30日 イベント名 白河駅「駅長オススメの小さな旅」戊辰戦争白河口の戦い ゆかりの地を巡る」

早朝会津を発ち、白河には早く着きすぎたので、集合時間まで小峰城のまわりを散歩。
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小峰城には震災後2回訪れていて、南側の大きな被害は見ていたのですが、反対側も痛々しく。。。

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そこここで崩れていました。

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組み直すために一時並べられた石。

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正直、崩れなければ見えない部分の形状はわからないわけで、こうやってみると普段地中にある奥側の形は興味深いですね。

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そして、白河駅に集合してイベント開始。
募集が25名のところ30名くらいの参加がありましたが、案内人の方が2人おられて、2班に分かれたので解説がとても聞きやすい手頃な人数でした。

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本来なら小峰城は現在石垣に近づくことはできませんが、こういったイベントの特権?ゲートの中へ。

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現在、石垣の石を外し、積み直す前の段階ですが、なんと!あの、熊本城をはじめ、全国の名城といわれる石垣をつくった石工集団「穴太衆(あのうしゅう)」の末裔の方々が復旧作業にくるそうで、その石積みの過程を見学するプランも現在検討中とのこと、そのときはもう絶対必ず参加させていただこうと思っています(笑)。

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この写真は石垣の間から草や木が生えています。実は石垣というのは、表に見えている大きな石の奥に「裏ごめ石」という小石が敷き詰められているのですが、それがちゃんと機能していれば草が生えていることはないそうです。つまり小峰城の石垣はダメダメと(苦笑)。

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写真にはケヤキは写ってないですが、この部分は上にあったケヤキの老木が地震で揺れて倒れ、その勢いで石垣も崩れたところです。
木が原因となるというのは今回の震災で初めてわかったとか。

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小峰城の天守(厳密な名称は「御三階櫓」)は平成3年に再建されました。日本で最初の木造復元天守で、その再建には後で書きます激戦地・稲荷山の木を使ったので、柱から弾丸がみつかったそうです。
昔、行ったときは覚えがないですね。今は入れないので、復旧した暁には確かめに行きたいと思います。

ちなみに天守手前の「前御門」は映画「武士の一分」のロケで使われました。キムタクが毒にあたって板に乗せられ担ぎ出されるシーン、思い出しますね。

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本丸にあがるときに身を整えたといわれる「化粧櫓」は現在はその流れで?トイレになってます(笑)。

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城をあとにし、城下へ。かつての奥州街道から少し入ったこのあたりに大手門があったとのこと。

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カクカクした道はこのブログでもよく書いてますが、「枡形」「鉤形」といわれる宿場や城下町によくある形。敵の侵入を遅らせる効果があります。

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その鉤形の角の奥に、唯一現存する外堀の土塁跡がありました。個人宅なので塀の向こうを覗き見る感じで(苦笑)。

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手前がお堀だったとイメージできますね。

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脇本陣「柳屋旅館」跡。
慶応4年(1968)、白河口の戦いに参戦した斉藤一率いる新選組が宿営した場所です。
斉藤らは最大の激戦となった5月1日、ここから出陣しました。

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ここは明治天皇が東北巡幸の際にお泊りになった場所でもあり、当時の蔵座敷が現存しています。

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菊の御紋入りの灯篭もありました。

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歴史ある酒造店「大谷忠吉本店」。
ここはあの萩原朔太郎の妻美津子の生家だそうです。

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大谷忠吉本店のすぐわきを少し入ると「長寿院」。
ここには白河口の戦いの西軍(長州、土佐、大垣、館林、佐土原)戦死者が眠っています。

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しかし、なぜか薩摩藩士の墓だけはありません。。。なぜ?

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実際はこのガイドさんの立ってるあたりに薩摩のお墓もあったそうですが、「なんで維新一番の功労者である我々が、他の藩よりちょっと外れたこんな場所に葬られているんだ」と、小峰城本丸近くの鎮護神山へ移しちゃったとか。

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その後、奥州街道の反対側にある永蔵寺へ。

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永蔵寺には「戦死供養塔」があります。
ここには東軍、西軍の隔てなく、戦の際この付近で亡くなった全ての人が葬られています。

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実は白河では他にもたくさんこういった東軍西軍の隔てない供養塔があるそうで、これは戊辰の役の時点で、白河は藩主不在の空白地帯だったので(時の白河藩主、阿部正外が勅許を得ずに英仏蘭3か国との条約を締結した責任をとらされたため)敵とか味方の感覚が比較的薄かったのではないか、とのことです。

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大統寺、松平定信ゆかりの鐘。
文化4年(1807)定信がつくらせた鐘で、第2次世界大戦時に供出させられたもののその由緒あることから、そのままで無事に戻されたとのことです。

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こちらは龍蔵寺の鐘です。上の大統寺の鐘と比べると違いがはっきり。
普通あるはずの108の「イボイボ」がありません。
そのため「奥州白河いぼなしの鐘」として知られています。
元禄4年(1691)鋳造、国の重要文化財にしてされています。

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谷津田(やんた)川のほとりにある「南無阿弥陀仏」。
白河口の戦いの一番激しかった5月1日の翌日、西軍に処刑されてこの川に流された東軍将兵と白河領民の慰霊碑です。

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写真上のほうに「南無阿弥陀仏」がありますが、その下あたりで首級が洗われ、川は赤く染まったたとか。。。

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常宣寺。この山門は定信の寄進によるものとか。正方形という珍しい形をしています。

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常宣寺境内にある阿部内膳の墓。
阿部内膳は棚倉藩の家老で、白河口の戦いでは桜町口を守りました。
16人組の隊長で、甲冑に身を固め槍や弓矢など古来の武器で勇気をもって戦い、ゲリラ戦を得意としたので敵軍に恐れられたとのこと。

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常宣寺には会津藩士の墓もありました。

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十二士となっていますが、戦死者の名前はいまだ不明のままなんだそうです。
合掌。

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常宣寺入り口から。奥に見えるのがあとで書きます稲荷山。
この寺は野戦病院となったそうで、敗走してきた東軍はここを通ってきたんですね。

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川沿いに少し西へ、関川寺(かんせんじ)地内に入るとここにも戦死者の供養塔が。
敗走する途中この地で亡くなった東軍の兵士を祀ったものだそうです。
本当に白河にはそこここに供養塔があり、多大な犠牲が出た悲惨な戦いだった現実が胸に迫ります。

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妙関寺。

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赤い山門入ってすぐ右に桜の名木があります。

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「乙姫桜」。
樹齢400年以上のベニシダレ。
伊達政宗が将軍家へ苗木を献上する途中、住職に所望され、この地に一本植えていったのがこの桜だそうです。

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この桜の赤はそうごく濃いそうで、来年ぜひ見に来てみたいですね。

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妙関寺にはあの服部半蔵の墓もありました。

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おとなりの妙徳寺には「源清桜」という大きな桜があって、こちらはウスズミザクラで真っ白な花を咲かせるとのことで、乙姫桜の赤との対比がそれはそれはきれいだそうです。

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関川寺、結城宗広の墓。
宗広は後醍醐天皇から鎌倉幕府追討の命を受け幕府を滅亡させて、のちの建武の新政でも重要な役割を担いました。
その後も足利尊氏を京都で破り、南朝側の中心で活躍しました。
この関川寺は結城家の菩提寺で、宗広の開基と伝えられているとのことです。
ちなみにここ自体が結城氏の舘があった場所だそうで、写真には撮りませんでしたが、土塁や堀の遺構がありました。

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同じく関川寺境内、棚倉藩士小池理八の供養碑。
前述の阿部内膳とともに桜町方面で戦い、足に重傷を負い、立って戦いを続けられないと悟り、ここで自決。
当時の白河の歌人は「武士の心の駒はいさめども 黄泉までとはすすめざりしを」と詠んでいます。
武士の駒(馬)のようないきりたつ心はわかるけど、あの世まで走れということではないはずだ、って感じでしょうか。。。

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関川寺境内には「結城桜」という名木もあります。前述の「乙姫桜」「源清桜」とともに一度春に見に来たいですね。

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なんと、関川寺にはあの赤穂浪士ゆかりの墓もありました。
あの吉良邸討ち入りを遂げた赤穂浪士・中村勘助の妻のお墓です。
白河藩士の子として生まれた勘助は18歳のときに赤穂藩士中村庄助の養子となりました。
勘助は討ち入り後自決しましたが、それより前に本家へ預けた妻はそのまま白河で没したので、ここ白河にあるのです。

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関川寺を出て、市役所の前を歩いていくと、ひときわ目をひく建物が。
一見して古い建物だなと思ったら、それもそのはず、大正4年に建てられた白河ハリストス正教会聖堂。
ビザンチン様式の建物は日本では珍しく、中にはあの山下りんの作品も収蔵されてるとのことで、今度は予約して内部を見学したいなと思います。

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皇徳寺。
お墓の中をどんどん行くと。。。

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ここにも東軍西軍の分け隔てない「戦死人供養塔」が。
そしてその横には。。。

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写真ではわかりづらいですが、墓石の一番上に「誠」の文字がみてとれます。
これは新選組隊士、菊池央(たのむ)の墓。
菊池央は、あの近藤勇を斬首へ追いやった武川直枝を討つ命を受けていたとも言われ、武川は白河で戦死、見事仇を討った形になるのですが、菊池央自身もこの戦いで戦死。享年22歳。
やはり会津の立場で考えると新選組隊士はみんなヒーローです。合掌。

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さらに奥には江戸時代の文人画家、羅漢山人の墓。
その右奥に変わった形の墓石がありますが。。。

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これが有名な小原庄助の墓。小原庄助と飲み友達だった山人が作ったといわれる徳利に杯をひっくり返して乗せた墓石(笑)。
これはなんとニ代目とかで、一代目は「削って煎じて飲むとアル中は治る、飲めない人は飲めるようになる」と伝わり、削られてなくなってしまったとか(笑)。
小原庄助については諸説あり、架空の人物だという人もいますが、ここでは会津の漆器職人である庄助が羅漢山人に絵付けを習っている間に白河で飲みすぎて亡くなった、と伝わっています。


イベント最後に「白河戊辰見聞館」へ。
入場料200円かかるので参加者ほとんどは土産物屋の方へ行きましたが、私はせっかくだからと入場。
しかしこれが小規模なれど、白河口の戦いを上手にまとめているいい資料館でした。
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展示品も充実していました。
そのひとつ、白河口総督・西郷頼母の書である掛け軸。
これは、白虎隊の生き残り、飯沼貞吉の父時衛から依頼を受けて西郷頼母が書いたものだそうです。
「うらやまし 角をかくしつ 又のへつ心のままに 身をもかくしつ」

「かたつむりがうらやましい」・・・
会津戦争後、世を忍んでひっそりと暮らさざるを得なかった飯沼家や自身の心情がにじみ出ていますね。。。

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そして頼母さん、なにげに絵もすっごくうまいです(笑)。


その後、スタート地点の白河駅に戻り、本イベント終了。
案内役のボランティアガイドさんもとても白河に詳しく、そしてガイドとして絶対必須の「地元愛」がそこここに感じられ、とてもいいイベントでした。
歩いて回れる範囲にいっぱい史跡があるのがうらやましかったですね。
参加費は無料、白河駅長さん自身も1日イベントに同行され、JRさんの顧客獲得の地道な努力も感じました。
再来年は福島県ディスティネーションキャンペーンの年。
やはり都市部に発信力のあるJRさんと協力してイベントを行っていくのは重要だと、あらためて感じました。


解散後引き続き、私は白河に来たら絶対行かねばならない場所へ。
それは白河口の戦い、最大の激戦地であった稲荷山。
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会津藩戦死墓。左の会津藩銷魂の碑にはここで戦死した若年寄横山主税ら304名もの戦死した藩士の名前が刻まれています。

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そのとなりには会津藩士田邊軍次君之墓。
田邊軍次は白河口の戦いで敗れたのは大平八郎が西軍に間道の案内をしたせいだとずっと思い続け、戦争後、斗南藩からその遺恨をはらすべく、はるばる白河の地に舞い戻り、大平八郎を血祭りにあげ、その場で自害しました。
その行動の是非はともかく、私怨でなく会津のためにそこまで思いつめられること、私はなんだか感動してしまいます。

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道路を挟んだ反対側には、ここで戦死した長州藩士3名、大垣藩士3名の墓があります。

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そして稲荷山へ。

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大河ドラマ効果で、少し整備されていて、参戦した東軍各藩の幟り旗が。
いやがおうにも胸が高まります(笑)。

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これは奥羽越列藩同盟。

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二本松藩。

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棚倉藩。

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そして我が会津の旗印。

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この稲荷山を死守すべく、斎藤一が、西郷頼母が、横山主税が、死力を尽くして戦ったんですよね。

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対岸には西軍陣地の小丸山が。
いつも書いてますが、まさに「つわものどもが夢の跡」。


八重の桜ではほとんどちょこっとしか触れられませんでしたが、この白河口の戦いで敗れたことが、奥羽越列藩同盟の崩壊、ひいては会津藩の敗北につながった重要な局面だったんですよね。

非常に有意義な1日でしたが、さすがに戊辰の史跡はまだまわり切れていないところも多いので、この白河を含め、西郷、泉崎、矢吹、中島、棚倉などをまたじっくりまわってみたいと思います。




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