炭焼き勉強会 - 2012.06.26 Tue
私がこのグリーンツーの仕事に携わることが決まったとき、炭焼きは是非ともやりたいテーマのひとつでした。
しかし、化石燃料主体のこの時代、現役バリバリの炭焼き職人を探すのは容易なことではありません。
教室をやりたいといっても、我々スタッフが素人では、イベントのやり方すらわかりません。
そんなとき、たまたまおとなりの高郷町で炭焼き窯を有していて、炭焼き教室も行っているという話を聞いたので、そこでイベントの前にまずは「勉強会」という形で、会員のみで学ばせていただくことにしました。
炭には竹炭、黒炭、白炭などがありますが、今回の対象は「白炭」。
本来は最低でも3,4日はかかるとのことですが、炭の出来は度外視して2日間で、炭焼きの流れを学ぶ、という形をとりました。

今回の勉強会を行った炭焼き窯は温泉保養施設「ふれあいランド高郷」の近くにあります。


本来は窯の温度が高いまま、連続して行ったほうがいい炭がつくれる、とのことでしたが、なにせ何年も使わずに眠っていたものなので、そこはそれ、冷えた窯からスタート。

今回の講師は高郷の小林氏。まずは座学で、炭焼きのメカニズム・流れをざっくりと説明していただきました。


まずは、窯の中に木を立てて並べていきます。
本来は生木を使うものだそうですが、あるのは切り出してだいぶたっている乾いた木。条件的には厳しいとのことですがどうなることやら。。。


窯の内部は円形なので、壁の高さにあわせて最初は短いの、だんだん長いのをなるべくびっしりになるようつめていきます。
また、窯手前から火をつけるので、手前は太い木、奥は細い木を置いていきます。

今回使った木の種類はサクラ、ナラ、ブナなどでした。本当は30年、直径10cmくらいのを使うとのこと。

で、窯全体を薪で満たしたら、いよいよ点火。

窯の裏側の煙道口。炭焼きのキモはこの煙道口と前側の通風口の調整だと言い切っても過言ではないとか。なかでも点火後の空気調節が最も大切なプロセス。煙の色やにおいで状況を判断し、穴を調節していく、というまさに職人芸の領域です。

最初は水色の水煙。

これがさらに加熱が進むと黄褐色の刺激臭をともなった煙に。

白煙がいったん弱まったあと再び強くなったあたりでいよいよ窯口を塞ぎます。窯のふたをする前に熱を外に逃がさないよう、まずレンガで塞ぎます。


まず下側に蓋を固定して、


次に同様に上側にレンガを積んだ後に蓋をします。

昔はこの蓋も石を用いていたとのこと、当然こんな都合のいい形の石は少ないので非常に貴重なもので、背負って運んで大切にしていたそうです。


そして釜内の温度を高めるため、粘土でさらに密閉します。


ここで、初日の行程終了。しかし本当はつきっきりで空気調節を行います。我々は翌日までいなかったので、わかりませんが、小林講師の見えない苦労がたくさんあったことと思います。
二日目

本来は点火して40時間くらい後にやるそうですが、今回は乾いた木であることもあり、日程的な問題で30時間くらいで煙道口を開いていきました。煙はなんか青い?
一気に開くと炭が割れてしまうということで、徐々に穴を広げていき、、、

いよいよ窯口を開くときが。



なぜ、全部燃え尽きないのか、今もって不思議ですが。。。黄金色のいい感じにできあがっていました。

そして出炭。なるべく崩れないように丁寧に扱います。

すぐに灰と土と水分を混ぜた「消し粉」をふりかけ、消火します。この工程で炭の表面に白っぽく灰が付着することから「白炭」といわれます。
早すぎるとかたく締まらなかったり、折れたり割れたり砕けたりしてしまうし、逆にモタモタしてると炭が灰になってしまうので、これも空気調節の次に大切なプロセスとのこと。




窯の温度は800℃以上。長いこと前にたっていると顔がやけどしそうなほど熱く、過酷な作業でした。

そして精煉が終わった頃合で、ふるいにかけて炭だけ取り出します。下に落ちたものはまた消し粉として使います。


今回できあがった炭。生木でなく乾いた木だったこと、久しぶりに使用された窯だった(高温でなかった)こと、通常より早めに窯から出したこと、などあまりいい条件ではなかったことを鑑みても、上々の出来だったのではないでしょうか。

キンキンと高い金属音を奏でる素晴らしい出来の炭も結構ありました。

化石燃料偏重の時代になり、その中で失われつつある炭焼きの技術。
首都圏で生活していた頃、登山や釣り、旅等で山と密接に関わってる人たちに触れるにつれ、私は物の豊かな時代に生まれ、なんでもひょいと買ってこれる便利な生活に慣れてしまって、いつのまにか自分の手で何かをつくるということを忘れてしまっていることを感じていました。
ものづくりの点においても、そしてなにより人が循環可能の森の自然な再生サイクルの中の一員だった、その大切な文化を守っていく意味でも、もっともっと知っていきたい、と思いました。
これをどうイベント開催につないでいくか、今後の検討課題ですね。
しかし、化石燃料主体のこの時代、現役バリバリの炭焼き職人を探すのは容易なことではありません。
教室をやりたいといっても、我々スタッフが素人では、イベントのやり方すらわかりません。
そんなとき、たまたまおとなりの高郷町で炭焼き窯を有していて、炭焼き教室も行っているという話を聞いたので、そこでイベントの前にまずは「勉強会」という形で、会員のみで学ばせていただくことにしました。
炭には竹炭、黒炭、白炭などがありますが、今回の対象は「白炭」。
本来は最低でも3,4日はかかるとのことですが、炭の出来は度外視して2日間で、炭焼きの流れを学ぶ、という形をとりました。

今回の勉強会を行った炭焼き窯は温泉保養施設「ふれあいランド高郷」の近くにあります。


本来は窯の温度が高いまま、連続して行ったほうがいい炭がつくれる、とのことでしたが、なにせ何年も使わずに眠っていたものなので、そこはそれ、冷えた窯からスタート。

今回の講師は高郷の小林氏。まずは座学で、炭焼きのメカニズム・流れをざっくりと説明していただきました。


まずは、窯の中に木を立てて並べていきます。
本来は生木を使うものだそうですが、あるのは切り出してだいぶたっている乾いた木。条件的には厳しいとのことですがどうなることやら。。。


窯の内部は円形なので、壁の高さにあわせて最初は短いの、だんだん長いのをなるべくびっしりになるようつめていきます。
また、窯手前から火をつけるので、手前は太い木、奥は細い木を置いていきます。

今回使った木の種類はサクラ、ナラ、ブナなどでした。本当は30年、直径10cmくらいのを使うとのこと。

で、窯全体を薪で満たしたら、いよいよ点火。

窯の裏側の煙道口。炭焼きのキモはこの煙道口と前側の通風口の調整だと言い切っても過言ではないとか。なかでも点火後の空気調節が最も大切なプロセス。煙の色やにおいで状況を判断し、穴を調節していく、というまさに職人芸の領域です。

最初は水色の水煙。

これがさらに加熱が進むと黄褐色の刺激臭をともなった煙に。

白煙がいったん弱まったあと再び強くなったあたりでいよいよ窯口を塞ぎます。窯のふたをする前に熱を外に逃がさないよう、まずレンガで塞ぎます。


まず下側に蓋を固定して、


次に同様に上側にレンガを積んだ後に蓋をします。

昔はこの蓋も石を用いていたとのこと、当然こんな都合のいい形の石は少ないので非常に貴重なもので、背負って運んで大切にしていたそうです。


そして釜内の温度を高めるため、粘土でさらに密閉します。


ここで、初日の行程終了。しかし本当はつきっきりで空気調節を行います。我々は翌日までいなかったので、わかりませんが、小林講師の見えない苦労がたくさんあったことと思います。
二日目

本来は点火して40時間くらい後にやるそうですが、今回は乾いた木であることもあり、日程的な問題で30時間くらいで煙道口を開いていきました。煙はなんか青い?
一気に開くと炭が割れてしまうということで、徐々に穴を広げていき、、、

いよいよ窯口を開くときが。



なぜ、全部燃え尽きないのか、今もって不思議ですが。。。黄金色のいい感じにできあがっていました。

そして出炭。なるべく崩れないように丁寧に扱います。

すぐに灰と土と水分を混ぜた「消し粉」をふりかけ、消火します。この工程で炭の表面に白っぽく灰が付着することから「白炭」といわれます。
早すぎるとかたく締まらなかったり、折れたり割れたり砕けたりしてしまうし、逆にモタモタしてると炭が灰になってしまうので、これも空気調節の次に大切なプロセスとのこと。




窯の温度は800℃以上。長いこと前にたっていると顔がやけどしそうなほど熱く、過酷な作業でした。

そして精煉が終わった頃合で、ふるいにかけて炭だけ取り出します。下に落ちたものはまた消し粉として使います。


今回できあがった炭。生木でなく乾いた木だったこと、久しぶりに使用された窯だった(高温でなかった)こと、通常より早めに窯から出したこと、などあまりいい条件ではなかったことを鑑みても、上々の出来だったのではないでしょうか。

キンキンと高い金属音を奏でる素晴らしい出来の炭も結構ありました。

化石燃料偏重の時代になり、その中で失われつつある炭焼きの技術。
首都圏で生活していた頃、登山や釣り、旅等で山と密接に関わってる人たちに触れるにつれ、私は物の豊かな時代に生まれ、なんでもひょいと買ってこれる便利な生活に慣れてしまって、いつのまにか自分の手で何かをつくるということを忘れてしまっていることを感じていました。
ものづくりの点においても、そしてなにより人が循環可能の森の自然な再生サイクルの中の一員だった、その大切な文化を守っていく意味でも、もっともっと知っていきたい、と思いました。
これをどうイベント開催につないでいくか、今後の検討課題ですね。