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2018-04

飯豊山信仰「道者みち」ウォーク 無事終了しました - 2014.06.11 Wed

さる6月8日に、「飯豊山信仰「道者みち」ウォーク」を行いました。
天気予報では雨模様だったのですが、なんとイベント終了時まで天気は持ちこたえてくれ、飯豊の神様に守っていただけたのかな、とありがたく感じました。

昨年は「山都の峠ウォーク(雙座松峠編)」というイベント名で開催したのですが、今年は少しルートを変更し、雙座松峠からは昨年の川吉集落でなく、一郷集落のほうへ降りるコースにしました。
この道はまさにかつての飯豊山信仰登山の「道者みち」。
「道者」とはもともと仏教や道教の修行者を指す言葉だったのですが、そのうち霊山、霊地を訪れる人すべてを指すようになったそうで、その道者が通る道を「道者みち」といいます。

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今回、そのいにしえの「道者みち」を歩くイベントということで、スタッフと参加者の一部で当時の白装束を着てみました。

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山都は山間にあり、昔はどこに出るにもほぼ必ず峠を越えていました。
雙座松峠の道は、奥川(西会津町)・相川・一の木(以上喜多方市山都町)など山三郷と呼ばれた地域の人々にとっては重要な交易路、生活道路でした。

「そうざまつとうげ」は空海が植えたと伝える二本の松の木があったことから「双座松峠」とも、飯豊山の一の鳥居や色々な神社があったので「総社松峠」ともいいます。

山三郷の人々は、漆器の原料を加工した木地や薬草を運び、小荒井で米や塩などの日用品を買って帰りました。雙座松峠には三軒の茶屋があり、競争で客を呼び合ったそうです。

江戸時代から明治時代には飯豊山信仰が盛んで、村ごとに行屋があり、男子15歳までに先達に導かれて入山し、これが済めば村では一人前として扱われたそうです。村の若者たちは、先達に率いられて白い衣を身にまとって笠をかぶって飯豊山に向かい、その間、家族の人たちは水ごりをとって神仏に無事を祈ったそうです。
喜多方地方から飯豊山に登るには新町(喜多方市慶徳町)から馬坂と呼ばれる坂道を上り、古四王山→双座松峠を越えて小布瀬川→藤沢(以上喜多方市山都町)と行き、登り口の一ノ戸(一ノ木)と向かうのが普通でした。新町の古老の話によると、夏になるとこの峠への道は飯豊山への参詣者で賑わい、まるで白い行列が通るようであったとのことです。

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往時の面影を少し残している新町(喜多方市慶徳町)の街並。

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古四王神社の鳥居に到着。

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ちなみに私の持っている古写真ハガキの同じ場所はこんな感じ。

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ここから本堂までは15分ほど急な参道を登ります。

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我ながら、いいショットです(笑)。

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ワラジ初体験ですが、信じられないくらい軽いし、履き心地は最高です。あとは耐久性がどうか。。。

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かつてはここでお清めをしてから本堂へお参りしたと思われる場所。新しい石のお宮ができてました。

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古四王神社(こしおうじんじゃ)。
弘治3年(1557年)八月在銘の棟札があったことから、現在の社殿は、戦国期に建てられたものと思われます。
祭神は言い伝えによると、大ひこの命(大彦命=大畏古命)と武ぬなかわわけの命(武渟川別命=武沼河別命)だということです。

第十代崇神天皇は、四道に四人の将軍を派遣されました。その時、そのうちの二人、大ひこの命と武ぬなかわわけの命という父子二人の将軍が、この地に向かわれました。大ひこの命は高志道(こしのみち)(これは今の北陸道=北陸地方)を平げて越後の国から会津の国に向かわれました。又武ぬなかわわけの命は、東海道を平げて、これまた白川地方から会津の国に向かわれました。そして、この地でたまたま父子二人の将軍がめぐりあわれました。
このエピソードは会津の地名の由来、「相津」につながってます。
父子二人の将軍は再会を喜ばれて、ここから共に京にひき返されました。そこでこの父子の将軍が、征夷の祭神としてまつられるようになったということです。
社殿が北をむいているのは蝦夷の方をにらんでいる意味からだそうです。
御神体は四天王(東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天)ですが、秘仏で拝観することは出来ません。像はなんと聖徳太子の御作と伝えられています。
社殿はもと小原の東北にあったが、水害のため山上に移築したという伝承があります。

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本堂前にあるコウヤマキの巨木。

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古四王神社本堂からさらに登り、最初の寄り道、琴平山展望台へ。

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展望台からは喜多方市街地やこの日は少し雲がかかってましたが、雄国、磐梯山が一望できます。

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そして二つ目の寄り道、不動滝へ。
峠道の途中を南に400mほどそれたところに清めの滝・不動滝・行者ケ滝、弁天滝・大蛇ゲ滝・雨降り滝の6滝があり、各滝には不動明王の像があります。
 今から100年以上前、大正時代にお不動さまが荒川吉馬さんなる人の夢枕に立ち、かの地の不動明王、村をあげて大事にせよ、とのお告げがあり、荒川さんが翌朝峠を越えて行ったところ、六つの滝に囲まれた石像があり、それ以来村の人は四代にわたって守り続けて来たのだそうです。
不動明王は「水」の神様であるといわれ、霊地の滝の水をくみ帰り、眼病などを癒すという方がいまでもおり、又、背に火炎を負うことからも「火」の神様でもあるのですが、その心は広く、願い事の多くをかなえてくれるとのことです。

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その中のひとつ、「大蛇ヶ滝」。

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滝つぼには不動明王の石像があります。

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大蛇ケ滝のすぐ上の空間が「奥の院」と呼ばれているところで、なんらかの祭事が行われていたのではないかと思われます。

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この峠道は倒木が多く、イベント3日前に道普請に赴き、チェーンソーで何か所も切り開きました。

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そして、ここが「雙座松峠」。
わかりづらいかもしれませんが、広場になっており、かつてはここに3軒の茶屋があったとか。

雙座松峠についての話は結構残っており、「喜多方の民話と伝説」や「会津・山都の民話」のものをここに転載すると以下のとおりです↓。

「双座松の茶屋
相川から喜多方へ出るのに、小布瀬川という、山都の奥を通る。
その相川寄りの峠に双座松というのがあった。
そこで爺さま戸婆さまが茶屋をやっていて、いい人が通ると、ばっさりやって金をとったという。
昭和十八年に戦死した弟が、若松連隊をたつというので見送りに行った時、夜そこを通るのが気持ち悪くしばらく足踏みをしていた。」

「惣社松(双座松)
飯豊山登山道の一ノ鳥居があったといわれる惣社松(双座松)の峠に一軒の茶屋があって、登山道を記した版画や、甘酒を売っているおじいさんとおばあさんがおった。
その人達の若い頃は、そこに大きな松の木があり、それがその峠の名前となったといわれている。
が、その松は明治の末頃に枯れてしまい、そのあとにヒノキがすくすくと育って茶店をおおい道者達をよろこばせてくれていた。鉄道が敷かれて参道が変ると、急に人通りが少なくなり、一ノ戸方面などから喜多方へ馬で荷をはこぶ人とか、小布瀬川の人達が日用品などを求めに色々な荷を背負って通る位となってしまったが、それでも双座松は、その人達にとって大切な休み場所だった。
昭和になって、ある大雪の年、誰も峠を越えられないまま何日か過ぎて、小布瀬川の人達が喜多方への道を開けようと、そろってガンジキで踏んで行くと、雪にとざされた峠の茶店で二人はヒッソリと冷たくなっていたということでした。
そのあと、茶店はなくなっても、双座松は荷駄を運ぶ人にとっては、茶店があった時と同じに必ず一服する場所となり、双座松の休み場としてあとあとまで親しまれた所。」

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今年は峠から北西、一郷集落へ進みました。

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ドウダンツツジ。

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クマのウンチはそこここに(苦笑)。

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本日のゴール、相川・早鳥居のおんば様への最後の登り。

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おんば様、ゴール。

ここは民話「会津の三御婆様」の舞台です。

その昔、飯豊山が女人禁制の山だった頃、中通りから3人の姉妹が飯豊山に登りに向かってきましたが、まず一番下の妹が猪苗代の関都で倒れ、二番目の妹がここ早鳥居峠で倒れ、最後まで頑張った一番上のお姉さんも飯豊山頂上手前で力尽き、女人禁制の禁を破ったため三姉妹とも石仏になってしまったというお話です。
ここのおんば様は、飯豊山信仰登山の登拝路にあり、ここから先は女人禁制、侵入するべからず、という結界の意味もあったそうです。

また、おんば様信仰の内容はいろいろありますが、一番ポピュラーなのは「お産の神様」で、ここ山都でも安産祈願の信仰が篤いです。
医療が今ほど発達していなかった昔は、お産で命を落とす人も多く、神に頼るしかなかった当時の信仰が色濃く残っていて興味深いですね。
昔、お産を控えた人は、このおんば様にお参りして、その着物か帽子を借りて持ち帰り、それを身に着けてお産を迎えたそうです。
そして無事お産を終えると「倍返し」といって、借りてきた物を倍にして返したとか。

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ちなみに私の履いたワラジは終わってみるとこの通り。
ちょっとわかりずらいかもしれませんが、半分はすり減ってなくなっちゃってました。
まあ、他の人はこれほど減ってなかったので、体重が大きく影響していたと思われますが(苦笑)、街道歩きをワラジでやるとしたら相当予備のワラジを持たなくてはならないですね。

この際ワラジづくりからイベント化して、自分でつくったワラジで歩く、というイベントもいいかな、なんて今思っています。

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そして最後は山都G.T.少人数イベント恒例の懇親会。
いいで荘でおいしい山都そばを食べながら、親睦を深めました。

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