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2018-04

旧越後街道探索ウォークその2(野沢~津川編)  2日目 鳥井から津川まで - 2014.07.18 Fri

旧越後街道探索ウォークその2の続き、二日目鳥井から津川までの模様です。

二日目はさらに2名の一般参加者を迎えスタート。
前日のにしあいづ観光交流協会さんのガイドも素晴らしかったですが、2日目は新潟に入り、阿賀町観光ガイドから4名ものプロフェッショナルガイドが駆け付けてくださり、各ポイントを分担して密度の濃いガイドをしていただきました。

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前日のゴール地点からスタートし、八ツ田の集落を過ぎると。。。

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鳥井峠の標識が。
ここからの道は歴史の道調査報告書にも記載されておらず、打ち合わせの段階で阿賀町の方々に教えてもらって初めて私は知りました。

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石畳もところどころ残っています。
阿賀町には「会津街道ファンクラブ」というものがあり、会員によって道普請がたびたび行われているようで、旧道の雰囲気が復活しており、かつ歩きやすくてとてもありがたかったです。

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それでもところどころは国道で寸断されており、かつての旧街道がわからなくなっているところもあります。
そのへんは迂回するしかないのですが、往時のルートを丁寧に解説していただきました。

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福取集落の入口にある福取一里塚。

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この福取の一里塚は、高さ約3m、周囲約20mで、旧道を挟んで一対が現存し、ほぼ原形を今日に伝えている貴重なものです。
一里塚がやや高い位置にあるように見えますが、これは道路の勾配をゆるくするため現代になって道自体を掘り下げたためです。

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福取集落中央あたりに「ゴロ石」と呼ばれる円柱状の石があります。

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なんでもこれは、明治初期に三方道路開削の際に道を平らにするためのローラーに使用した石とのことです。

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後ろの建物はかつて旅籠だった「泉屋」。

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惣座峠の開削の模様を古写真で解説。

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今回の重要なチェックポイントのひとつ、八木山(かつての焼山)集落に入ると、右側に防空壕のような穴が。
これについてはのちほど。

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旅籠の雰囲気を今に伝える「三条屋」の建物。

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「三条屋」の看板は今も残っています。

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そしてこの三条屋の前が旧越後街道で、おとなりにかつての本陣だった渡部家があります。

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渡部家は郷頭とともに宿駅の問屋も兼ねていました。会津藩主の巡検や新発田村上藩主の参勤交代の際にはここ渡部家を本陣として休息したので、「殿様の間」「家老の間」があります。
以前にこのブログでも書きましたが(こちらをクリック)、下見のときにお会いした当主渡部一郎翁からいただいた名刺には「旧会津領」と書かれていました。
「今は新潟県に属しているが、今でも自分は会津人だ」とおっしゃる通り、今でも会津に対して熱い想いをお持ちの方で、今回も本陣の内部を開けて、我々が来るのを待っていてくださいました。

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普段の玄関の横に、かつて殿様のみが使った特別の玄関があります。

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この方が、ご当主、渡部一郎翁。

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御年95歳とは思えない矍鑠としたお姿に、一同驚き。
この焼山宿の話を中心に、様々な興味深いお話をユーモアたっぷりにお話していただきました。

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渡部さんは「今年はじめて老いを感じている」とおっしゃっていました。
それに対し、70代の参加者からは「まだまだ自分も年とったなんて言ってられない。これからが本番だな」と(笑)。
私なんぞは赤子同然です(苦笑)。

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我々が座っている場所が、かつて家老が泊まった「家老の間」。

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その奥が「殿様の間」です。
普通、殿様の間は敷居が一段高くなっているのですが、ここはのちの大工が手抜きをした?とかで、そうなっていません(笑)。

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殿様が使用した?トイレ。

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渡部さんのご厚意で、普段お目にかかれないいろんなお宝が次から次へ披露されました。

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ついには刀も登場。

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そうそう、本陣の脇の崖には人がくぐれるほどの穴が。

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実はさきほどの写真の穴は、ここと通じていて、本陣が襲われたときの要人緊急脱出用のトンネルだとのことです。

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渡部さんには今後もちょくちょくお話を聞きに伺いたいなと思ってます。

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後ろ髪ひかれる思いで渡部さんの本陣をあとにし、一路西へ。
このあたりは沢の近くを旧街道が通っていたそうですが、今はその道形をみつけることができません。

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栄山の一里石。
建立年は享和元年(1801)。旧越後街道は現在の国道よりもっと下、川の近くを通っていたそうです。
川の脇は崖で、本来の一里塚をつくるスペースがなく、場所をとらないこの一里石を置いたとのこと。

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これも歴史の道調査報告書にはまったく記載がなかったのですが、かつて旧街道は花立と平石の間は国道よりもさらに北の山のほうを通っていたとか。

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途中、スギ林の中を石畳がずっと続いている箇所に案内していただきました。

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今は杉の葉の下に埋もれていますが、たしかに石畳です。

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うまく露出させて整備できるといいなあ、なんて思いました。

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花立集落へ。右上に大山祇神社。

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会津藩家老・田中土佐関連墓石。
前回その1の最初、甲賀口門で少し触れた会津藩家老・田中土佐の妾の二男の墓が花立集落内にあります。

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天満の地下壕跡。
第二次世界大戦の末期、昭和20年(1945)、戦局が不利になり、軍の指導者は本土決戦を考慮し、軍需物資の疎開を行いました。
そのときに天満に地下壕を掘削し、物資の貯蔵施設をつくった跡、坑道入口が今も確認できます。

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110m四方の中に、高さ3m、幅4mの坑道が縦5本、横に8本掘られています。

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天満に入り、北野神社境内へ。
参道入り口の左右に樹齢400年以上といわれる御神木の2本の大杉があります。それだけでなく境内にはスギやモミの大木がたくさんありました。
ここで昼食タイム。

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昼食は豪華弁当。

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北野神社から野村集落方面をのぞむ。
野村集落のはずれに延命地蔵尊が祀られていて、そこに明治4年まで一里塚があったそうですが、今はなくなっています。

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天満の集落内で旧街道と三方道路が合流していて、そこに道路元標があります。

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常浪川の渡船場跡。

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この日は鮎の解禁日で、太公望たちがいっぱい来ていました。

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平堀地蔵尊。下見のときは中を見れませんでしたが、この日はこの集落在住の阿賀町役場の方のご厚意で御開帳していただきました。
 
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お堂の中央に地蔵菩薩像、右に閻魔天倚像、左に倶生神坐像が安置されています。

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地蔵菩薩像。地域の人は「延命地蔵様」と呼んでいます。

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閻魔天倚像。地元では「ジジ」と呼ばれています。

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倶生神坐像。地元では「バサ」と呼ばれています。

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鬼子母神(刑場跡)。
江戸時代の中期、このあたりに罪人を処刑する刑場があり、紫の衣を着た尼さんがいつも処刑された人を供養していたそうです。
その尼さんが亡くなったのち、宝暦年間(1751~64)に石の地蔵様が建立され、人々はその尼さんにちなんで「紫地蔵」と呼ぶようになりました。現在は延命地蔵と子育て地蔵が合祀されています。

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ちょっと寄り道。地酒を扱っている酒屋へ。

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試飲して私が一番気に入ったのが、この本醸造「はでっぱの香」。
「はでっぱ」とはお米を天日干しにする「はざ架け」のことだそうで、地元限定のお酒です。
次回、車で寄ったときには何本か購入しようと思います。
「はでっぱの香」以外にも「蒲原」とか私の好みのお酒がいっぱいありました。

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いいお酒はいい水から。
津川の街中にもおいしい清水がそこここにあります。

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新善光寺。
建久元年(1190)、尾張の沙門定尊が七堂伽藍を創立して開山し、その後貞治元年(1362)相州鎌倉光明寺の僧、感誓が現在の場所に移した、と伝わります。戊辰の役の際、柏崎から退いてきた桑名藩主・松平定敬(容保の弟)が、約2か月本営としてここに宿営しています。

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新善光寺の境内には戊辰の役の際、戦死した白虎寄合一番隊士藤森八太郎の墓があります。
藤森八太郎が属していた白虎寄合一番隊は慶応4年7月15日に若松をたち、越後街道を通って8月2日に藩境の赤谷口に到着、すでに西軍に寝返っていた新発田藩の領内から攻めてくる西軍に対する守備につきました。
8月15日に西軍と新谷で激突、銃撃戦の末津川に撤退、16日には阿賀野川を挟んで砲撃戦となり善戦していましたが、23日に猪苗代方面の母成峠が破られたため、津川口の兵を引くよう命が下り、25日に下野尻に移動しました。その際に琴平山で戦死したのが藤森八太郎でした。享年16歳。

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境内右側のお堂に福海観音菩薩像が安置されています。

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像は浮き彫りで、台石に上半身と下半身がほぞ差しで組み合わされている珍しい石像です。この像には数奇ないわれがあります。
ここ津川出身の品誉(ほんよ)上人が三国町の西光寺の住職となって11年勤めたのち、師匠である新善光寺の住職が亡くなり、その遺命によって新善光寺の住職になりました。その際、品誉上人を慕う西光寺の在家信者二人が無事息災を観音像に託して上人に贈りましたが、船が難破し、観音像は海に沈んでしまったそうです。
その後、漁師さんが上半身を日和山沖、下半身を信濃川河口で引き上げ、新潟の商人浅井家が浜辺にお堂を立てて祀っていました。その御子息がやはり観音像は新善光寺にあるべきと考え、平成2年に今の場所にお堂を建てて観音像を寄進したとのことです。

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津川は雁木発祥の地。
慶長15年(1610)津川大火復興の際、津川城主・岡半兵衛重政により家々の玄関先の土間の部分にひさしをかけ、雁木(がんぎ)がつくられました。
津川では雁木を「とんぼ」というそうです。

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つがわ狐の嫁入り行列
津川の正面にそびえる麒麟山にはキツネがいて、毎晩のようにキツネの声が聞こえ、狐火もよく見られたと言われています。
津川で毎年5月3日に行われる「つがわ狐の嫁入り行列」は古くから伝わる狐の嫁入り伝説を発展させて再興したものです。
行列は住吉神社をスタートし、街を練り歩いた後、麒麟山を望む常滑川左岸の会場に到着、結婚式と披露宴のあと、花嫁・花婿は常滑川を渡って麒麟山に向かい、漆黒の麒麟山に狐火が揺れる幻想的情景が広がるとのこと。
平成2年に始まったこの祭りは、2010年にはなんと5万3千人もの来訪者で賑わったそうです。

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住吉神社内 一里塚跡。
住吉神社の祭神は、底筒男命、中筒男命、表筒男命で、津川らしく、舟運の神です。かつては境内に一里塚があったとのことで、今は説明柱だけが立ってます。

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正法寺。
天文元年(1532)に鵜川丹波と器堂存朴が本寺を創建したと伝わります。
境内にあの「姿三四郎」のモデル、講道館四天王の1人、西郷四郎の墓があります。

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西郷四郎は慶応2年(1866)、会津藩士志田貞次郎の三男として会津若松で生まれました。
その2年後、戊辰の役で会津が敗れたのちは清川村角島、現在の津川に移住、幼少時代を過ごします。
17歳で上京、講道館の門をたたき、めきめきと力をつけ講道館四天王の1人となります。20歳であの西郷頼母の養子となって西郷家を再興、「西郷四郎」となります。
西郷頼母は大東流合気柔術の達人。会津藩内の「御留技(おとめわざ)」(門外不出の技)として伝えられてきた秘技を四郎は頼母から伝えられ、それが伝説の荒技「山嵐」につながった、といわれています。
大正11年(1922)、療養先の尾道で57歳の生涯を閉じました。

興味深いエピソードをひとつ。あのイザベラ・バードと西郷四郎は津川で遭遇しているのでは、という話です。
「日本奥地紀行」に、津川を通ったとき、一人の子供がイザベラに向かって外国人を侮辱する言葉を発し、警官が謝罪、その子供はこっぴどく叱られた、という記述があり、どうやらその悪童が少年時代の西郷四郎なんじゃないか、と。
真偽のほどはわかりませんが、儒教教育を中心とした会津藩士の家庭に育ち、生涯徹底した「毛唐嫌い」で通したと言われる西郷四郎ならありえるんではないでしょうか。

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イザベラ・バードは著書「日本奥地紀行」に津川の宿で「生鮭の切り身がひとつ出たが、こんなにおいしいものは今まで味わったことがないと思う。」と書いています。
原文では「fresh salmon」=「生鮭」となっていますが、イザベラが津川に泊まったのは7月2日。鮭の遡上はおそらくありえません。
イザベラは塩鮭なら「fresh」とは書かないと思うので、この時期に生で食べられるのはサクラマス(ヤマメの降海型)だろうと思われます。

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津川河港跡。
会津藩は、物資を若松から津川までは越後街道で陸送、津川から新潟までは阿賀野川の舟運を利用していました。その関係で津川は輸送の中継地として重要な場所で、越後街道随一の規模を誇っていました。
津川からは廻米、会津塗、たばこ、薪、炭、木材などを輸送し、新潟からは塩、綿布、海産物などを運びました。
江戸時代の船着場、「大船戸」は、その規模、賑わいから、岡山県旭川、千葉県利根川と並んでかつては日本三大河港と呼ばれていました。
明治になってから三方道路が整備されましたが、それでも物資の輸送は船のほうが効率的だったので、大船戸の川下に水量の増減に対応できる新河戸をつくり、津川の発展は続きました。
しかし、その後鉄道の開通、自動車輸送の発展などで、舟運は衰退し、下流にダムができて完全に港としての機能を失いました。
十返舎一九は津川のことを「川舟の出入り多く、越後新潟へ舟の出る所にて、商人見世も多く、いずれも大家のみ見えて繁盛のところなり。」と書いています。

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現代の麒麟橋を渡り、JR津川駅にゴール。
旧越後街道探索ウォークの第2回は終了しました。

ほんと何度も書いていますが、西会津町、阿賀町と越後街道で結ばれている地域の方々と連携できて、実りあるイベントシリーズになってきています。
関係各位にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。
早くもこの越後街道ウォークのネクストのイベント構想の話も出てきていて、かつての街道のつながりでもっともっと深い交流ができていけばいいなと思ってます。

このイベントの翌日から2日間、私はさらに先へ進み、第3回のゴールの新発田まで歩き通して下見してきました。諏訪峠に代表されるように、第1回、第2回とは違って山歩き的要素が大きい第3回となりますが、見どころは多く、楽しめると思います。

次回もご期待ください。
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