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2020-05

柏木城ウォーク  - 2014.07.30 Wed

だいぶ前の記事で申し訳ないのですが。。。(苦笑)
6月14日に開催された北塩原村の「会津米沢街道歴史ウォーク」に参加してきました。
といっても、米沢街道は個人的に何度も歩いているので、前からとても興味のあったCコースの柏木城に関する講話や柏木城跡周辺を中心に史跡に関する話を聞きながら歩くプログラムへ参加しました。

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スタートは北塩原村活性化センター。
ここはかつては芦名氏の家臣、清野六郎の屋敷があったところです。

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柏木城へ行く前に、大塩集落の北のはずれにある山塩工場へ。

地名が示す通り、伝承ではここ大塩では今から1200年以上も前に、弘法大師がこの地を訪れて護摩を焚き続けたところ、濃い塩分を含む温泉が湧き出したとされています。
そして噴出する温泉から製塩して会津藩に納めたり、明治時代には皇室にも献上していたとこのと。
「新編会津風土記」には塩井(塩をとる温泉井戸)が2基、「会津邑日記」には塩を精製する塩釜が34基あったと記されています。

その後昭和に入り、物流がよくなって海の塩が安価で入るようになったり、煮詰めるための薪が不足するようになったりで、山塩作りは昭和24年から完全に途絶えてしまっていたそうですが、地域活性化のために地域名産品を作りたいとの地元の熱い想いから平成19年からこの工場ができて復活しました。

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製塩作業は昔ながらの至ってシンプルな、しかしこれまた昔ながらのすべて手作業なのでメッチャ大変そうなやり方です。
この釜で2段階に分けて煮詰め、そのあと仕上げの釜へ移すとのこと。

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これも昔ながらの薪を使用。ガスだと火を均等に回すことができず、味に影響してしまうとか。こだわりですねえ。
昔はこの薪を確保するためにそこらじゅうの森林を伐採してしまい、そのため米沢街道筋にはカヤしかない「萱峠」なんて地名が残っているくらいで、薪不足は深刻な問題となっていたそうですが、今の時代は森の整備、間伐材の有効利用として逆にメリット大かもしれないですね。

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これが仕上げの釜。
私は勘違いしてたのですが、ここで結晶になるまで煮詰めることはご法度で、水分が残った状態で、これまた手作業で少しずつ掬い取っていき、最後は天日乾燥させるとのこと。
そしてさらに手作業で夾雑物を取り除いてようやく山塩として出荷できるようになるそうで、ほんと大変な作業ですね。
今度からは大切に使わないと(苦笑)。

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そしていよいよ本題の、柏木城跡探索へ。
上の写真の墓の台地の上あたりが中島氏の舘跡で、狼煙台があったといわれています。

柏木城は天正12年(1584)頃に会津の雄・葦名氏が、米沢・伊達政宗の侵攻に対抗すべく築いたといわれる山城で、「檜原軍物語」には檜原峠から侵攻してきた伊達政宗が、対岸の萱峠あたりからこの柏木城を見たとき、その堅固さに驚き(政宗はこのとき石垣を持つ城というのを初めて見たとか)、攻めるのをあきらめ軍を引いた、とあります。

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このイベントにあわせて草刈り等がなされたと思われ、快適なウォークに。苦労がわかるだけに、頭がさがります。

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柏木城にはいわゆる「石垣」と呼べるような本格的なものはないようですが、「石塁」と呼ばれる石を土塁状に積んだものはそこここに見られました。

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こんなにしっかり残っているなんて、ちょっと感動しました。
でも、これらもおそらく最初はブッシュの中に埋もれていたことでしょう。調査された石田先生、そして草刈り整備された方々に感謝です。

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柏木城には多くの曲輪(くるわ)が確認されており、この写真の上部はその中の一番東側の曲輪があるあたりです。

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城の中心部、一番大きい曲輪と丸馬出の間には空堀があって、かつては木橋が架けられていたとのこと。
いざというときは橋を落とし、敵の侵入を阻止するシステムですね。

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このあたりが丸馬出。これは武田信玄が多用した技法で、武田氏が滅んだあと、葦名氏は武田氏の家臣を引き取っているので、それによって甲斐の技法がこの地にもたらされた可能性もあるとのことです。

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丸馬出から空堀越しに曲輪1をみたところ。結構深いです。ここに木橋がかけられていたとのこと。

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大手口側の虎口から中心部へ。クネクネ曲がってます。

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倉があったと思われる?場所。苔むした石塁が並んでいます。

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いよいよ城主が住んでいたといわれる場所へ向かいますが、いきなり行き止まりのようになっています。
埋門(うずみもん)といって、敵が侵入してきた場合、大きな石や土で塞ぐ構造になっていたそうです。

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その門を乗っ越すと、中心部の曲輪の中でもさらに石塁で区画されている場所に出ました。
城主の居た主殿があった場所と思われ、塀が周囲に建てられ、ここには冠木門があったのではないかといわれています。

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ここが城主のいた主殿跡。二階建ての建物があったとのこと。

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中心部の曲輪の西側にも空堀がめぐらされ、ここにも木橋がかけられていたとか。

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橋を置いたと思われる石。

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こちらは城の南西部、裏口の搦手(からめて)口。
やはり埋門になっていて、石積石垣でつくられた内枡形の虎口がありました。

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石積みは少し崩れていますが、いい感じで残っています。

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この門のわきには今でも「鏡石」が残っていました。
権威の象徴、そして魔除けの意味で城の門に置く巨大な石です。

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城の南は今は水田になっていますが、かつては水堀になっていたそうです。

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城を下りると大久保集落で、採れたてアスパラのおもてなし。
味付けの塩はもちろん「山塩」です。

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心配された天気も持ちこたえ、いいウォーキングでした。
正直こんなに遺構が残っていると思わなかったので、とても有意義な日となりました。
やはり文献だけで見てるのと、実際歩いてみるのは大違いですね。

維持管理するのはとても大変かと思いますが、これも地域の大切な宝、しっかり整備して山城散策を楽しめるようにしておいてほしいなと思います。

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