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2018-04

旧越後街道探索ウォークその3(津川~新発田編)  1日目 津川から新谷まで - 2014.09.09 Tue

会津若松城をスタートし、5月、7月と越後街道を西へ進み、津川まできた「旧越後街道探索ウォーク」シリーズ。
いよいよ今回が最終回、諏訪峠を越えて新発田城まで旅しました。

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まずは参加者への随時給水用の清水補給。
前回、最後に時間がなくイベント中には寄れなかった津川の名水、「琴平清水」で。
その昔、この清水は帆船や筏乗衆、船荷の積み下ろしをする丁持衆の喉を潤し、留守家族はこの水を汲み、お供え物とともに琴平大権現に安全祈願をしたそうです。

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琴平清水は、湧水好きの私の中でも上位ランクのおいしい水です。

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今回の集合場所は前回の解散場所、JR津川駅。
前回に引き続き、阿賀町観光ガイドから佐藤氏、新潟県地域振興局から川上氏に同行していただき、きめ細かいガイドをしていただきました。

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今回、ヒルの多い山道を行くのでご注意を、と参加者みなさんを脅しに脅したので(苦笑)、塩を塗り込む人、このようにテープぐるぐる巻きで防御する人、みなさん様々な対応をされていました。

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最初のCPは駅の裏手にある角島観音堂。

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地滑りのため今から30年ほど前に現在の場所に移築されたとのこと。小川庄三十三観音の4番札所でした。

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堂内には石でできた祠があって、観音坐像が祀られています。

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これは下見のときには気づかなかった、庚申塔。
庚申信仰は道教の伝説に基づくもので、人間の体の中には三尸(さんし)の虫がいて、その三尸の虫は庚申の日の夜に人が寝ている間に天に登って閻魔大王へ日頃の行いを報告し、報告された行いによって自分らが裁かれると思われてきました。
そこで、三尸の虫に天に登って自分の悪行をチクられないようにするため、60日に一度めぐってくる庚申(かのえさる)の日の夜は村中の人達が集まって神々を祀り、その後、囲炉裏を囲んで寝ずに酒盛りなどをして夜を明かしたのでした。
これを「庚申待」といい、まだ会津・越後ではこの風習が残っているところもあります。

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田んぼの真ん中に道標が残っている場所があります。
ここが諏訪峠方面越後街道と、阿賀野川沿いを通って本尊岩の上を山越えして水原方面へ至る小川通りの追分の道標です。

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追分道標には「右新発田・村上道」、「左水原・五せん小川通」の文字が読み取れます。

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寛文年間(1661~73)に行われた会津藩の街道整備の際に敷いたといわれる石畳が、今も断続的に残っています。花崗岩の割石や自然石を敷き、特に急な箇所は階段状に敷いて歩きやすくしています。「どうしん坂」とも呼ばれています。

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「三本松」と呼ばれるところ。今は二本しかないが、かつては三本の大きな松があったそうです。

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柳新田の集落。ここの方の先祖は甲斐・武田氏の石工で、武田氏が滅んだあとにここへ移り住んできたそうです。諏訪峠までの道を定期的に草刈等整備してくださっているそうで、とてもありがたいですね。

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このあたりからヤマビルの生息地帯に入り、雨だった下見のときと違い、この日は天気がよかったためそれほど数は多くはなかったものの、そこここで悲鳴にも似た大きな声があがっていました(笑)。

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これもヤマビル。

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かなりこまめにヒルのチェックを入れたので、ほとんどの人は血を吸われるまでには至りませんでしたが、ひとり犠牲者が(苦笑)。

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こんな木橋を渡るところあり。 と!

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ひとり踏み抜いてしまった人が! 大事に至らずよかったです。

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柳新田一里塚。

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柳新田の集落から1.5㎞ほど峠方面へのぼったところにこの一里塚はあります。一対しっかり残っているのはここと前回通った福取、そしてこのあとの行地ぐらいで、保存状態もよく非常に貴重なものです。

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この日ガイドをしてくださった新潟県地域振興局の川上さんらのご尽力により、諏訪峠までの道の途中、そこここに旧道の石畳がみてとれました。

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これは珍しい、旧道の横に自動車が通れる道を掘り下げてつくったため、オリジナルの石畳の横が露出して断面からみれる場所がいくつかありました。

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諏訪峠手前左手に、厳かな空気漂う空間があります。
この峠の名前の由来となった諏訪神社があった場所です。

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諏訪峠は、かつて犬吠(いぬぼえ)峠といったそうです。応永9年(1402)の葦名氏VS新宮氏の戦の時に諏訪明神があらわれて、葦名の勝利を予言したという伝説があることから、葦名盛政は深くその神徳を信じ、信州諏訪から諏訪神社を勧請、この峠にも仮泊して一社を建てたことから、「諏訪峠」と呼ぶようになったそうです。

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境内にあったケヤキは今も健在。

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峠からは遠く磐梯山まで見えました。
吉田松陰、十返舎一九、山県有朋などがこの諏訪峠を越えています。
松陰は嘉永5年(1852)2月8日、23歳のときにふもとの人の反対を押し切って真冬の諏訪峠を越えています。前日は焼山宿泊まり。この日津川を通って、雪の諏訪峠を越えて綱木まで30㎞くらい歩いています。すごいですね。

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そしてこの諏訪峠を越えたときに松陰が詠んだ漢詩を刻んだ詩碑が峠には建っています。

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阿賀町観光ガイドの佐藤氏にその漢詩を読み下していただき、ご説明ただきました。

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その内容は
「諏訪嶺は高く、雲を凌ぐほどで、よじ登らなければならないほどだ。弓のように背を曲げて上ると、腰も折れんばかり。胸も喘ぎ、肌も汗で濡れ、脚も疲れ切ってしまった。時々烈しい風が雲を巻くようにして起こり、髭は凍り、顔は叩かれ、肌には冷たい針が突き刺さる。」 と。

さしもの松陰もこの雪中軍は相当きつかったんですね。

しかし、さらに漢詩の続きを読むと、
「やっと頂上を極め、まわりを見渡してみると、快感で下あごがはずれるほど大笑いした。…このような困難は未だかつて経験したことがない。困難が益々大きくなればなるほど、珍しいことに直面する。地元の人が盛んに雪中行の困難を言っていたが、困難の中に奇特を知ることが出来るのは誰だろうか。」
と、結んでいます。
この厳しい諏訪峠越えの経験が、その後松陰に大きな影響を与えたと言われています。

山県有朋は、戊辰の役の際、津川で会津軍が船を引き揚げてしまって阿賀川を渡れなかったので、船大工の手配のため二度もこの峠を越えて新発田へ向かっています。山県はこの遠征にあたり、師匠松陰の「東北遊日記」を熟読して、諏訪峠の状況を学んでいたと言われています。
その後山県が書いた従軍記「越之山嵐」の中では、そのせいか「諏訪峠越えは思いのほか簡単だった」と記されています。

十返舎一九がこの峠を通ったのは、文化11年(1814)のことです。
 「この峠ほど高く難儀なるはなし、暑い時分でも峠は寒し」
 「茶屋2軒、砂糖餅と雑煮餅あり」             十返舎一九「諸国道中金の草鞋」
 
 諏訪峠には神社跡、松陰の詩碑の他に、かつての茶屋で使われた井戸の跡もあります。

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松陰詩碑の前で。

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昼食後、行地集落へ向けて下ります。

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街道沿いに樹齢300年以上の大きなブナの木があったのですが、つい最近倒れてしまって枯れた幹だけが残っています。
その昔、参勤交代の際、村上藩、新発田藩の殿様が、この木の下で休憩したと言われています。

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中ノ茶屋跡。
諏訪峠の7合目付近、このあたりにふもとの人が商売を行ってた「中の茶屋」があったと言われています。ここは諏訪峠の茶屋と違い、冬場は閉鎖するような簡易的な施設だったようで、団子などを販売していたそうです。

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行地(いくち)の一里塚。
二基一対の完形が現存する貴重な一里塚です。高さ3m、円周30m。
とても巨大で、一対の両方を写真に収めるのは至難の業です(苦笑)。
参加者の1人にパノラマで撮っていただきました。

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そして峠道は終了、行地の集落へ到着。

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ここで我々をまた素晴らしい方々が待っていてくださり、これまた貴重な品々を見せていただけることに。

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旅籠「藤屋」跡。
「富士屋」と表記されている文献も多々あるのですが、初代~四代までは「藤屋」だったそうで、ここでは「藤屋」で表記しました。
戊辰の役の際、津川を突破できない山県有朋はこの藤屋に1か月近く宿営しました。そのせいか、村内の旅籠の多くは戊辰の役の際に焼失してしまったのですが、藤屋は戦禍をまぬがれていました。
しかし。
なんと昨年11月火事で燃えてしまい、今はありません。築300年を越える古い建物だったそうで、残念でなりません。

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「藤屋」のご当主、安部さん。
我々の到着を待っていてくださり、たまたま別棟に置いてあって火災をまぬがれた藤屋ゆかりの品々を出してきてくださいました。

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これが、山県有朋らがここに陣を張っていたときに、飯炊きに使った釜だそうです。
本邦初公開、阿賀町のガイドさんですら初めて見るレアなものでした。

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この「旅籠屋」の看板や、前回の八木山宿渡部さんの本陣同様、運送関係を一手に引き受けてた名残の看板がずらり。
「藤屋」の権威は相当なもので、ご先祖さまは諏訪峠を馬から降りることなく移動し、通行人はよけていったという逸話も残されています。

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そしてここからまた強力な案内人、合流。
行地、新谷周辺のことならこの方の右にでる人はいないと言われる地元新谷の郷土史研究第一人者、吉澤氏。

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地域の歴史、そして私の初回下見だけでは見つけられなかった旧道などを吉澤さんにじっくり詳しくガイドしていただきました。

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実は行地から新谷の間の旧道は、吉澤さんのご尽力により草刈りがなされ、かなりの部分がわかるようになっています。本当に頭がさがる思いです。
しかしお一人ですべてというわけにはいかず、草刈無しの部分はすぐこんな感じになっちゃいます。
それでもルートを知ってる方に案内していただけば、はっきりと道形はわかります。
田んぼの区画整理や自動車道等をつくったために失われてしまっているところは仕方ありませんが、草刈りさえすれば見事に復活できる旧道は、簡単な標識をつけるのも含めてなんとか整備して観光資源につなげられたらいいな、なんて思います。

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そして、行地と新谷のちょうど中間地点あたりのこの場所は。。。。。

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このあたりにかつて胴回り7m以上もある「あねさ松」と呼ばれる巨木があったそうです。
伝説によると、街道を歩いていた娘がここで襲われ、殺され埋められた場所で、あとでその場に松が植えられたとか。
そのせいか、松のそばの田んぼをクワで耕していたら、髪の毛が巻き付いてきて恐ろしくなり、耕作をやめたとのこと。
「貞子」を地で行くような怖い話ですね(苦笑)。
実際この松が生えていたころには子供たちは大人から「その松を傷つけてはならん!血が出てくるぞ」と言われていたそうです。

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かつて阿賀町北東、旧鹿瀬町に、草倉鉱山という江戸時代会津藩随一といわれた銅山がありました。採掘は大正3年まで続き、一時は6000人もの人々が働いていたそうで、その富がのちに足尾銅山の開発につながったと言われています。
その草倉鉱山への道と越後街道の分岐がここになります。
写真左方向が草倉道、右が越後街道です。

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ここも最初自分で下見をしたときはわからず、先週最終下見で教えていただいた旧道入口。入ってみれば草刈されてしっかりした道が続いています。

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大きな岩が右手にあり、近くにはのどを潤す清水も湧いていて、かつては腰掛けて休み場所になっていたといわれる場所。

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新谷集落の入口にちょっとだけ石畳が残っているところがあります。
ただ、草で覆われてしまっていて、「足」で感触を確かめる感じです。

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新谷集落に入り、旧道の名残としてひとつ小さな祠が残っています。

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「えのき様」と呼ばれていて、かつてはそばに大きな榎の木があったのではないかといわれています。

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祠の側面には建てられた時代が書かれているのですが、文字は「暦」の字の上の文字が削れていて読めず、「明暦」か「宝暦」かわかりません。
でも、なんとなくうかんむりが読めるような気がするので、「宝暦」かもしれません。
ちなみに明暦だとすると1655~1657年、宝暦だとすると1751年~1763年です。

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新谷熊野神社の境内に樹齢350年以上といわれるケヤキの巨木があります。

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熊野神社からまっすぐ新谷川のほうへ向かうとかつて木橋が架けられていた場所に出ます。当時は水害の度に補修しなければならなかったそうです。

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欄干の長さが62間(約112m)もあった当時としては長い木橋だったとのこと。

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これが木橋当時の写真。

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現在の新谷橋へ回り込んで川を渡ると、集落入口にいたマムシ君。

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そしてこの日のラスト、新谷(しんこく)寺境内奥にある喜多方ゆかりの新宮氏がらみの史跡、「新宮氏首の宮跡」へ。

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南北朝の時代、会津の葦名氏とその家臣はふたつに分かれて争いました。
北朝方の葦名氏についた金上氏と、南朝側についた新宮氏は長い間争い続けましたが、永享5年(1433)、津川城の攻防で金上氏が勝利し、新宮氏は滅亡しました。
阿賀町には新宮氏の伝説が数多く残されていますが、そのひとつ、新谷(あらや)の新谷(しんこく)寺には新宮盛俊兄弟の首塚があると昔から言い伝えがありました。
それはずっと謎のままだったのですが、今回行地から新谷を案内してくださった吉澤さんにより、なんと昨年、津川城の戦いで敗れた新宮時兼父子ら4人の首級が祀られたとされる「首の宮」の跡と思われる遺構が発見されました。
それがここです。

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周囲は長方形に土塁が形成されていて、今後さらなる調査で新事実がわかってきそうです。

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旧本陣であった現在のここ安部家には、江戸時代、参勤交代の際に村上藩主が宿泊した記録が残されているそうです。

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そして、新谷集落のはずれにあるこの日のゴール、新谷一里塚跡へ。

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新しいふとんかごが設置されていることからわかるとおり、ここはしょっちゅう土砂崩れがある場所で、一里塚の痕跡は失われてしまっています。

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しかし、吉澤さんらのご尽力により、昨年一里塚跡を示す標柱が設置されました。文字は吉澤さんの筆です。

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標柱の後ろにはなにやら暗号のような数字が。意味を教えていただくと、なるほどと思いました。

ここで、峠越えあり、旧道探索あり、貴重な往時の品々の鑑賞あり、発見されたばかりの遺構巡りありの、濃密な初日が終わりました。津川から新谷までの約13㎞の峠歩きでした。
宿のお迎えバスに乗り、今宵の宿へ。

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うちたてのそばは絶品。源泉かけ流しのお風呂も最高でした。

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いよいよ翌日は最終日、新発田城へ。
それぞれのこれまでを振り返った感想、そして明日への想い。
それらを聞きながら、なんとなく終わってしまう一抹の寂しさを感じていた私でした。

とういうわけで最終日の模様へ続きます~。



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