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2018-06

山都にある会津藩士の墓 - 2014.10.14 Tue

今、高畑ステさんという方が書かれた「会津藩士の実録」という本を読んでいるのですが、これは会津藩若年寄・西郷勇左衛門近潔の実孫である高畑ステさんが近潔の遺稿などをまとめた1冊で、とても興味深い内容です。

近潔(ちかきよ)は西郷家の分家4代目で、幕末は江戸に常に詰めていて、京都守護職在勤時は京都にて藩のために懸命に働いた重役です。
槍術の師範でありながら、歌道に通じ、まさに文武両道を地で行く方だったようです。
また、先日の越後街道ウォークの資料作りの際にも近潔のことはちょこちょこ出てきてたのですが、戊辰戦争が始まると、新発田藩が新政府側に寝返らないように特命をもって新発田に赴きました。
その後、越後口での戦いで指揮をとっていたものの、補佐役のあの秋月悌次郎と意見があわず城へ召喚されたとか。籠城戦では最後まで戦いました。

その近潔のお墓は実は山都町にあります。

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5月に開催した「山都六観音ウォーク」でも訪れた、山都町寺内の泉福寺。

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そして泉福寺本堂左奥の山側にお墓はあります。

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西郷一族の三つの墓が並んでいます。

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中央に近潔夫妻の墓。
近潔は開城後、東京の講武所(幕府の武芸訓練所)で謹慎、その後斗南にはいかずに、山都(熊倉のときもあり)で小学校の先生となり晩年を過ごしました。
そして明治29年(1896)、ここ山都寺内で85歳の天寿を全うしました。

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左の墓石は近潔の嫡男、西郷刑部一家の墓。
刑部は朱雀寄合二番隊中隊頭で越後口の戦いで活躍。その後若松まで転戦、明治元年(1868)城の南・一ノ堰の戦いで深手を負って戦死。享年30歳。
また、運命の1868年8月23日、西郷頼母の家族21人が自刃した悲劇は有名ですが、この刑部一家も全く同様に母、妻、妹、娘、息子の5人と近潔の姉も含めた9人が同じ日に自刃して散っています。
合掌。

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右側は近潔の二男、芥川斗機の墓。
芥川家を嗣いで、斗機と改名、父と同じく山都の小学校の先生に。明治19年没。享年40歳。

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墓は長い間風雪にさらされ字も読めないほど壊れていたそうですが、昭和53年に、前述の近潔の実孫、高畑ステの手により、再建されたとのこと。

あまり会津藩の歴史の表舞台には登場してきてない分家西郷家はなじみが薄いかもしれませんが、ここ山都にも幕末・明治を懸命に生きた会津藩士の一族の魂が眠っているのです。

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