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2017-06

第5回会津発見塾~明治を生きた会津の女性達の足跡を訪ねて~ - 2012.09.20 Thu

本来なら16日のイベント報告を「稲刈り体験無事終了しました!」って、真っ先に書きたいのですが。。。。
その前に書きたいものがふたつほどありまして。。。(苦笑)
稲刈り報告まだか、という御叱りをいくつか受けましたが、もうしばらくお待ちください(笑)。

というわけで、まずは先週13日に行った「第5回会津発見塾」のことを。


前々回、講師をやらせていただいた会津発見塾。
こちらをクリック

前回の7月はグリーンツーのイベントとかちあっていたため欠席しましたが、今回の第5回はまた参加させていただきました。
今回のテーマは「明治を生きた会津の女性達」。
来年の大河ドラマ「八重の桜」の予習編です。

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今回の講師は会津史学会の佐藤紀子先生。
私の知らなかった様々な興味深い会津史のディープな話を伺えました。

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出発前に30分ほど座学。
会津の女性といえば、中野竹子、おけい、若松賤子、瓜生岩子、新島八重子、山川捨松、海老名リンなどとてもたくさんの偉人がいますが、今回は新島八重子、中野竹子、山川捨松、海老名リンの4名に絞っての解説。
しかしそれでも時間は全然足りません(笑)。

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まずは私の中で会津の女性といえばこの人!の憧れナンバー1、中野竹子女史のお墓がある会津坂下町・法界寺へ。

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まずはみんなで御線香上げさせていただきました。

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中野竹子の墓。

中野竹子は藩邸生まれの江戸育ち。容姿端麗で頭も良く、武芸にも優れていたというスーパーウーマン。
戊辰戦争が始まると会津に戻ります。
自分も戦に参加したいと申し出ると、家老に「婦女子まで戦争に出したと見られては会津武士の名折れ」と一度は断られますが、「ならばこの場で自刃します」と決死の覚悟で再度直訴。
脱籍浪人で組織された「衝鋒隊(しょうほうたい)」に参加を許され、薙刀で長州・大垣藩と戦い奮戦するも、敵の銃撃に遭い、壮絶な戦死を遂げたのでした。

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竹子辞世の句。

武士(もののふ)の 猛き心にくらぶれば
 数に入らぬ わが身ながらも


竹子はこの句を詠んだ短冊を薙刀に結びつけ、敵と互角以上に斬り結んだそうです。
この句を読むたびに私は胸が熱くなります。

竹子は女子に生まれたわが身を呪ったかもしれませんが、「中野竹子」は間違いなく男子以上の「会津魂」を持った「もののふ」だったんですよね。

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お寺の中に中野竹子の遺品が展示されています。

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上の薙刀が、竹子の使ったものとのことです。
これに短冊を結んでいたんですね。
下にあるのは竹子愛用の硯。

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そして井上住職に、実に心あたたまるお話を伺いました。
(住職は昨日(19日)に放送されたNHK歴史秘話ヒストリアの番組の中でもご登場されていましたね)

かいつまんでご紹介すると、

・人間どのように散るかが大事。
・便利な時代なのに、世はいじめ、親殺し、子殺し、自殺、、、昔より不満多く何かが狂っている。やはり心の充実がすべて。
・人の一生は一本のろうそくに火をつけたのと同じ。
・明日の命はわからない。生きている今を一生懸命生きるとともに、「おかげさま」の精神、感謝の気持ちを常に忘れずに。


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そして法界寺を後にし、中野竹子殉節の地へ。
実際はもう少し東とのことですが、この周辺で1868年8月25日に竹子を含む会津藩兵と長州・大垣藩兵の激しい戦いが展開され、男達に混じって奮戦した中野竹子は敵の銃弾に倒れ、22歳の若すぎる命をここで散らしたのでした。

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続いて、今も続いている、海老名リンのつくった若松第一幼稚園へ。

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海老名リンは会津の幼稚園、女学校の創立者、熱心なキリスト教信者として知られています。
戊辰の役の際は、父の見舞いに行っていたため籠城には間に合わず、一時は自刃を考えたものの踏みとどまり、落城後は斗南に入植、極貧生活に耐え続けます。
夫の季昌(すえまさ)が警視庁課長に就任して一緒に上京してからはキリスト教の熱心な信者となり、社会活動家として成長していったそうです。
そして夫が職を辞し会津に戻ってからは、故郷に幼稚園そして女学校を設立するために奔走するのです。
生き残った者の使命として故郷に何かをしないではいられない、それが海老名リンの場合、教育事業だったのでしょうね。


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そして、いよいよ来年の大河の主役、「新島八重」の登場です。
新島(山本)八重は会津藩砲術師範を務める山本家の三女として生まれ、小さい頃から男勝りの気性、60kgの俵を上げ下げ出来るほどの怪力で、お堀で石投げをするとどの男にも負けなかったといいます。
今の世なら、レスリングか砲丸投げで金メダリストになってたかもしれませんね(笑)。

そんな八重が戦ったという、鶴ケ城北出丸へ。

藩の砲術師範であった父や兄から射撃・砲術を学んだ八重は、戊辰の役の際、断髪、戦死した弟の服をまとい、新式のスペンサー銃と刀を手にとって果敢に戦ったとのことです。
西軍が怒涛のごとく城下に押し寄せてきたとき、八重の一家も自刃しようと思ったそうですが、八重は先の鳥羽伏見の戦いで戦死した弟三郎を思い、「私は弟の仇を討たねばならぬ。一は主君のため、二は弟のため、命の限り戦う!」と家族を説得して入城したそうです。

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北出丸の東のこの角には、かつて櫓があったそうで、八重はここで戦ったと伝えられてます。

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籠城戦最大の激戦区だったといわれる北出丸東の追手門付近。
八重はここから鉄砲や大砲を放ったといわれ、ほんとかどうかわかりませんが、一説には35人以上もの敵兵を倒したとか。


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そして城をあとにし、八重の生家跡へ。
もちろん建物はすでになく、写真奥、バスの停まっている駐車場付近が山本家屋敷があったあたり。

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来年に向けて、こんな看板が立ってました。

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近くには白虎隊士であった伊藤悌次郎の家があり、八重は悌次郎はじめ、他の白虎隊士にゲベール銃の撃ち方を教えていたとか。


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そして山本家の菩提寺である大龍寺へ。
会津にはいわゆる「お供寺」といって、保科正之公が最上から会津に移封されたとき、一緒に移ってきた寺がいっぱいあり、大龍寺もそのひとつです。
ここは戊辰の役でも焼き討ちにあわなかったので(その理由はこの後書きます)、370年前の建物がそのまま残っています。

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境内に入ってすぐ左にあるのが小笠原長時の墓。
よく「小笠原流」とか聞いたことあると思うのですが、礼儀作法の流派として名高い小笠原流の祖です。
長時はもともと信濃領主でしたが、武田信玄に破れ、上杉謙信を頼って越後に落ち、謙信死後は葦名氏を頼って会津に落ちのびました。
しかしこの地で家臣に殺されたとのことです。跡目相続争いのせいとも、家臣の個人的な恨みのせいとも言われています。
小笠原家はその後、子孫が徳川家康に協力し、小倉の大名に任ぜられます。
佐賀藩ではこの寺が小笠原氏ゆかりの寺であったことを知っていたため、戊辰の役の際、市内の多くの寺が焼かれたものの、この寺は焼かれなかったのでした。

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山本家の墓は境内奥にあります。これまた来年用にこんな看板ができていました。

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八重自身の墓はここではなく京都にあるのですが、八重は亡くなる前年の昭和6年、それまで点在していた山本家の墓をここにまとめ、墓標を建立します。

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この「山本家之墓」の文字は八重自身が書いたといわれています。裏には「昭和六年九月合葬 山本権八女 京都住 新島八重子建之 八十七才」と刻まれています。

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さらに大龍寺には、今私の中で静かなるブームの(笑)、安藤有益の墓もあります。
安藤有益は会津藩の勘定役や普請奉行だった人で、あの関孝和と並ぶ和算家、安井算哲に並ぶ暦学者として有名です。
先週から公開されている映画「天地明察」の中にも登場してきます。(劇中出番が少なかったのが私は少し不満でしたが。(苦笑))
面白いエピソードとして次のような話があります。
1688年、有益が政争に巻き込まれ所領を没収され今の西会津町極入に幽閉されたとき、有益はこれ幸いと数学、特に魔方陣の研究に没頭し、ついには日本最初の魔方陣の解説書である『奇偶方数』を完成させたとのことです。
いや~、謹慎どころか有益にとってはやりたいことをやれる時間をもらったぐらいにしか感じなかったんでしょうかねえ(笑)。

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そして大龍寺の中へ。
さすが築370年。重厚感が違います。

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中野竹子らが慕った、照姫(松平容保公の姉)が使った輿がありました。

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ひときわ異彩を放っていた人形。
「あまかっつぁま」と呼ばれている前述の小笠原長時の娘が小さいときに遊んでいたからくり人形の一部と伝えられています。つまり400年前の人形。今は頭部と手しか残っていないそうです。
小笠原長時が殺されたとき、妻も子も一緒に殺されたとか。
寺の奥さんは「供養の意味もこめてみなさんにはなでていただいてます」と。


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そ、そんな古い貴重なものを、素手で触っていいのかな~、と少し思いましたが、私も手にさせていただきました。

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さらに。。。。こんな張り紙発見。
なになに?ゆうれいの足跡???

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ありました(笑)。土踏まずばっちりの運動神経よさそうなゆうれいですね~(笑)。

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足跡にあやかってこんなお守りも売られていました。

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壁にはこんな会津藩の旗が。私は不勉強でわかりませんが、「靂」という難しい字にはどんな意味があるのかな。。。辞書ひくと激しい雷の意のようですが、、、二という数字があるので「隊」とか「陣」とかと同じ意味でしょうかね?

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また、大龍寺には。。。それほど手入れの行き届いてない(笑)庭があります。
しかし、この庭は有名な作庭家、目黒浄定という人がつくったもので、実はあの御薬園を造る前の試作として造ったものだそうです。

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大龍寺の正門右手にある長命不動尊へ。

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立派な御不動さまですね。
みんなの健康を祈りました。


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最後に、善龍寺へ。
寺の伽藍は戊辰の役でことごとく焼失しましたが、この白亜総塗籠の山門は幸運にも焼け残ったのだそうです。
白壁と、その上に乗っている母屋造りの屋根が見事に調和しています。
楼上には西国三十三観音が安置されているそうです。

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本堂北側に「奈興竹(なよたけ)の碑」。
戊辰の役で犠牲になった会津藩婦女子の霊をなぐさめる慰霊碑です。

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碑の後ろ側には犠牲となった233人一人一人の名前と続柄が刻まれています。

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なよたけの碑の名前のもととなった西郷千重子(家老西郷頼母の妻)の辞世の句。

なよ竹の 風にまかする身ながらも
 たわまぬ節の ありとこそ聞け


この句も読むたびに熱いものがこみあげてきます。
「たわまぬ節」に、強烈な、高い、高い誇りを感じます。
千重子は籠城戦に参加しても自分は足手まといになる、しかし城外で敵の辱めを受けるわけにはいかない、と、自邸で娘達と自刃しました。
戦って死んだ中野竹子同様、高き誇りを持ち続けた立派な会津人だったと思います。

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「なよたけの碑」の裏山に会津藩の代々家老をつとめた西郷家の墓所があります。

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その中に西郷頼母と妻千重子の墓も。

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署名はあの「飯沼貞吉」とありました。白虎隊唯一の生存者飯沼氏はなんと西郷家の血筋だったのですね。

実は善龍寺の裏山は、全体が巨大な墓地のようで、会津藩の武士が無数に眠っており、その数は把握できないとのこと。
飯森山は白虎隊があまりに有名なため、参拝者は後をたたないけど、こちらはいつ行っても閑散としています。

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少し登ったところに、前述の西郷千重子はじめそのとき自刃した21人の墓があります。

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会津降伏後、親族が屋敷の焼跡より遺骨を一つ一つ拾い出して善龍寺に埋葬したそうです。
背負って行くその途中、籠の中の骨がこすれあって、21人の人々がまるで自分に話しかけているようであったと伝えられています。

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とても充実した発見塾でした。

時代を精一杯生きた人たち。
今の時代を生きる我々にとっては考えられないようなことばかりですが、、でも。。。
いつの時代であれ、絶対に忘れちゃいけない日本人としての志、誇りはしっかり受け継いで残していくべきだと思うし、それが色濃く残っているのが、ここ会津だと思うのです。

NHKが来年の大河ドラマに会津を取り上げてくれるのはありがたいし、それによって風評被害にあえぐこの地が少しでも浮上できることを私も切に願ってます。

ただ、これをいいことに集客一辺倒に偏って浮わついたまま来年を過ごすことになったりすると、その先にある「会津」が少し不安になります。

きっと来年は多くの方が会津を訪れてくださることでしょう。
そこでその人たちに 
一過性でなく、
ブームでもなく、
決して時代による変節を受けたりしない、
「REAL DEAL」な「会津」を発信できたらいいな、なんて思います。

それにはまだまだ勉強しなきゃならないですね。



さあ、明日は稲刈りの模様をレポートします~。遅れてすみません。。。
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